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写真はもっと寛容で発想力を掻き立てるもの──写真家・Jumpei Yamadaが人生、そして新連載を語る

StoryWriter

Jumpei Yamada

最近、受け手側の想像を許さない写真というか、答えを決めつけてしまっているものが多いと思う」。そう語る写真家のJumpei Yamadaが、写真をもっと自由に捉えてほしいという想いをもって、7月3日(火)より、新連載「illusionism(イリュージョニズム)」をスタートさせる。

この企画は、泉谷しげるや曽我部恵一をはじめとしたミュージシャンのポートレート撮影を中心に、CD、書籍、広告、webや雑誌などの撮影を手がけているJumpei Yamadaが公募したゲストモデルを撮り下ろし、その写真を観たゲストライターが想像した文章を自由に書き、写真と一緒に掲載するもの。

連載のスタートを前に、Jumpei Yamadaとはどのようなカメラマンなのか、どうして写真を始め生業にしようと思ったのか、連載をはじめようと思った理由など、じっくりと話を訊いた。なお、Jumpei Yamadaのポートレートは、大阪時代に共に写真を学んだ福田華菜が撮影している。普段観ることのできない顔も垣間見える写真も必見だ。

インタヴュー&文:西澤裕郎
写真:福田華菜


風穴を開けたい気持ちはあります

──2018年は、初の展示会『Immanent』開催、そして『StoryWriter』での連載スタートと、Jumpeiくんにとって攻めの年なのかなという印象があります。

Jumpei Yamada:そういう気持ちはありますね。デビューして4年くらい経つんですけど、その中でいろいろ思うこともあって。仕事で撮影する以上、必ずしも伸び伸びやれるわけじゃなくて、それはクライアントワークなので当然んですけど、時々息苦しいと思う自分もいます。少しずつ仕事が回ってきた中で、こういった活動もしていきたい気持ちが大きくなってきたんです。自分がいいと思うものと、世間が期待するもの、クライアントが期待するものって、必ずしも一致するわけじゃないけど、そこにちょっと風穴を開けたい気持ちはあります。

──写真の良し悪しって基準が曖昧じゃないですか? ある人はOKっていうけど、別の人はNGっていうなど、属人的なところもありますよね。

Jumpei Yamada:人によっても違うし、必ずしもいいって基準がない。それは僕もわかっているんですけどNGって言われると凹むじゃないですか(笑)。写真はビジュアライズされたものだからわりとファーストインプレッションで印象が決まってしまうものでもあるんですよね。

──今日は、そんなJumpeiくんのルーツについて訊いていきたいと思います。そもそも、写真を撮り始めたきっかけってなんだったんでしょう。

Jumpei Yamada:1番最初は、中学生くらいとき、父親が若いときに使っていたフィルムカメラが家にあって。おもちゃを触る感覚で、そのカメラを使いはじめたのがきっかけです。そのときは風景とか日常をただ楽しく撮っていました。

──お父さんがカメラマンだったとかってことではない?

Jumpei Yamada:そういうわけじゃないし、全然アーティスティックな人でもなくて。でもカメラもあったしギターもありました。ほとんど親が使っている姿は見たことはないんですけど(笑)。

──(笑)。それがきっかけで写真にのめり込んでいったんですか。

Jumpei Yamada:言っても、大学を卒業するまで写真を生業にしようと思っていなかったし、ある程度順当にきているレールを外そうという思いはありませんでした。父親が世界中転々としている人だったので、世界を股にかける仕事に対して憧れている部分も強くあったんです。

──お父さんはなんの仕事をしていたんですか?

Jumpei Yamada:船乗りです。父親が船のエンジニアなので、自分もそういう道に行きたくて。高校は理数科に入ったんですけど、化学が非常に苦手で高3で文転しまして…。語学好きだったので、外国語を勉強しようってことで、フランス語学科に入りました。

──高校時代、カメラへの興味は深くなっていったんでしょうか。

Jumpei Yamada:写真を撮るということは継続していましたけど、写真をやっていることを他の人に言うこともなく、状況はそんなに変わりませんでした。大学での環境が、今いる状況にすごい影響をもたらしたと思いますね。出会った人間もそうですし、今までにまったくない環境だったので。高校を卒業するまではわりと真面目勉強をがんばっていたような生活でした(笑)。京都の大学って、いろんなところからいろんな人間が集まってくるうえに、僕のいた軽音部に変な人間がたくさんいて、そこで感覚とか価値観がかなり変わりました。

──学時代を京都で過ごした人って、かなり京都のカルチャーに影響を受けている人が多いイメージがあるんですけど、どんな環境で生活していたんでしょう。

Jumpei Yamada:軽音部が3、4つあって、他の部は流行り物だったり、とてもメジャーな人たち、例えばASIAN KUNG-FU GENERATIONやACIDMANやTHE BACK HORNなどののコピーをしていたんですけど、僕の周りにいた人はすごく変わっていて。初期のN’夙川BOYSとかオシリペンペンズ、テニスコーツのコピーとかしたり。近くに、わりと尖っている芸大があって学祭がほぼ同じ時期なんですけど、僕らはみんなそっちを見にいっていました。KING BROTHERS、ボアダムス、騒音寺やまだ高校生くらいのOKAMOTO’Sとかが出ていたりして。

──変な話、酒、セックス、ドラック、ロックンロールみたいな感じ?

Jumpei Yamada:僕のまわりはイリーガルな感じはなかったですね。そういうのにあまり興味がなかったのかな。僕らの部活は酒を飲めない人間もたくさんいて、そう言う意味では純粋に音楽に酔える人が多かった印象です。プラスアルファなものがなくても楽しめるというか。でも誰よりもぶっ飛んでる。その環境が知らなかったたくさん教えてくれましたね。

──よく、THEロック大臣ズの話をしていましたけど、京都時代の仲良いバンドだったんでしょうか。

 

Jumpei Yamada:フロントマンが大学の同級生で、ドラムが後輩だったんです。京都っぽいなとか関西のロックバンドっぽいシーンの匂いを感じる人で身近で売れそうだなと思っていたのがロック大臣ズでした

──それこそJumpeiくんの好きなTHE ピーズとかもその時代にのめり込んだ?

Jumpei Yamada:ピーズを知ったのも大学行ってからですし、今も好きだと思うバンドをちゃんと聴いたのは大学に入ってからっていうのが多いです。

初めて「自分が本当は何をしたいのか」を真剣に考え始めた

──大学卒業後の進路はどうしようと考えていたんでしょう。

Jumpei Yamada:ギリギリまで進学するつもりだったんです。ものすごく行きた学校が東京にあったので、身を削って論文も書いて勉強もして口頭試問にいったんですけど、笑われたんです。「お前どこからきたの。知らないよ関西のそんな学校」みたいな。最終的に合格をもらったんですけど、言われた一言が悔しすぎて喜び以前にこんな人の元でやらなきゃいけないのかと疑問を抱いてしまって。そこで初めて「自分が本当は何をしたいのか」を真剣に考え始めたんです。それで周りを見渡したときに、軽音部の連中とかは、ものすごく自分に正直に生きていた。バンドで本気で売れたいと思って活動している人や、映画監督になりたいって人が何人かいたんですよ。自分は親の顔色を伺っていたというか、自分がやりたいと信じていたけど、本当に自分でそれを選んでいたのかなと思って。そこで、写真って職業にできるのかなと思うようになったんです。大学に入ってからライヴハウスに出入りしてバンドを撮ったりしていて、音楽に触れていることが楽しかったんですよね。僕もバンドをやっていましたけど、自分の才能のなさに絶望していて。だけど音楽は好きだったから、なにか音楽に関わりたいと思って、そのとき自分の手札にあったのが写真だったんですよ。

──大学院進学をやめてからは、どういう道を歩み始めたんでしょう。

Jumpei Yamada:まずは関西にいる写真家にアポをとって会いにいっていました。今まで撮った写真を見せて弟子にしてくれって頼んだんですけど、うまくいかずの繰り返しで。これはもう1回学校に行ったほうがいいんじゃないかと思って、バイト代を貯めて専門学校に入ることにしました。技術的なこともそうだけど、カメラマンになる道筋がまったくわからなかったので、学校に行けばそういう求人もあるし1番手っ取り早いんじゃないか、と。それで、写真学科のある大阪の専門学校に1年間行きました。初めて同じ目標のもとに集まった人間と出会ったこともあって、すごくライバル視していました。卒業したら東京に出るつもりだったので、この中で1番じゃなかったら東京じゃ敵うわけないと思っていたし、絶対に負けちゃいけないと思ってやっていましたね。

──プロフィールには、シンガポールで生活していたということも書いてありましたけど、それはいつくらいのことなんですか?

Jumpei Yamada:正確にいうと、大学4年生のときに英語を勉強する意味でシンガポールに行ったんです。まだ本気で写真の道に進もうとは思っていなかったときのことなんですけど、周りには中国人とかインドネシア人とか韓国人とかばかりで、変な感じでしたね。

──僕もそうですけど、Jumpeiくんも積極的にコミュニケーションを図ってしゃべっていくタイプではないじゃないですか? だから外国に行って、人と関わりながら語学を勉強していたというのは意外だなと思いました。

Jumpei Yamada:大学生後半がわりと転換期で。20代前半は人としゃべれなかったし、1人でお店に入れないくらいだったんです(笑)。これはまずい、意識改革をしないとと思ったんです。自分からコミュニケーションをとる姿勢を持とうと思って、少しずつ外の世界と接触を測るようになりました。

これ以上ここにいたら写真を嫌いになるって気持ちがあった

──東京に出てきてからはどういう日々を過ごしたんでしょう。

Jumpei Yamada:東京のスタジオアシスタントの内定が決まって、卒業に上京しました。

──アシスタント生活を振り返ってみて、どういう生活でしたか。

Jumpei Yamada:地獄でしかなかったですね(笑)。

──カメラマンの方は、アシスタント時代を振り返るとそう言いますよね(笑)。

Jumpei Yamada:撮影現場でのヒエラルキーが1番下だし、雑用から何からなんでもさせらるんですよ。カメラマンがお客さんとして来るので、毎回いろんなカメラマンに付くんですけど、機嫌を伺わないといけないこともあるし、人によっては撮影がうまくいかないと僕らのせいにされるし、理不尽なことはすごくたくさんありました。すごくむかついたし、なんでこんな思いしないといけないのかなと思いましたけど、1人で仕事するようになったら、そんなことたくさんあるわけじゃないですか。だからいい練習になったというか、あの頃を超える理不尽さってそんなにないので(笑)。

──アシスタント時代、基本的に写真を撮る機会はなかった、と。

Jumpei Yamada:カメラなんて触らせてもらえなかったですね。今ってカメラマンになる道が多様化していて、アシスタントを経験していなかったり、学校を出ていない人でも例えばインスタで人気が出たりして写真家になる人もいるし、実際そっちの人がめっちゃ増えていて。いわゆる真っ当なルートを経ていない、ニュージェネレーションの人たち。でも商業的な仕事をしていくのであれば、求められるものに応える技術というのは必須ですし、リスクマネジメントのことを考えると感覚だけでやっている人っていうのはクライアントからすると使いづらいと思います。どんな仕事でもそうだと思いますが基本的にミスるかもしれない人は使われないじゃないですか。「10回に1回120点とる人」より「10回全て平均点を超える人」を選ぶ。そういう意味でも僕は専門学校とスタジオアシスタントを経過してよかったと思っています。そして当時は辛くて仕方なかったですが、その分自分の意思や意図でシャッターを切れる立場にいる喜びみたいなものは今も強く感じます。

──どれくらいスタジオでは働いていたんですか。

Jumpei Yamada:1年くらいで限界がきてやめました。せっかくがんばってそこのスタジオに入ったので、吸収できることは全部しようと思っていて。1年間でいろんな現場に入らせてもらったり、大きな案件の撮影にも立ち会う中で、テクニカルな部分のパターンみたいなものを一通り見たなという実感があったんです。あと、これ以上ここにいたら写真を嫌いになるって気持ちがあって。すごい無茶な話ですけど、スタジオを出た瞬間に1人で始めましたね。それが27歳とかです

自分と被写体との心の距離感というか関係値のあり方が自分の写真

──先行くものがないなかで、カメラマンとして独立したんですね。

Jumpei Yamada:本当に業界人の知り合いもいなかったので、当時はインディ・バンドを撮りまくっていましたね。別にギャラをもらうわけではなく、好きなバンドだったり、知り合いの対バンになった人を撮らせてもらっていました。同時に、生活するために料理写真とか好きでもない撮影もしていましたね。

──そのときメインで撮影する核になるようなアーティストはいたんですか。

Jumpei Yamada:1番はTHEロック大臣ズ、あとはthe coopeezだったり。その頃はまだ関西のバンドの方が関係値も深かったので、夜行バスなんかで頻繁に京都や大阪まで行って撮影していました。あと、京都のバンドが東京で対バンしたとき自分が格好いいと思った人を撮る場合が多かったですね。とはいえ、なんの目論見もないし、30歳を目前にして焦燥感はありました。なんとなく料理の写真とかで生活はできていましたけど、これ意味あるの? 最初に思っていたことと違くない? って自問自答して。

──早い時期で写真集「ギミ! ギミ! ギミ! ダーリン!」を作っていましたね。

Jumpei Yamada:それも現状を打開したいがためのアクションだったんですよね。もっと自分を知ってもらいたいって意味も込めたもので、独り立ちして1年くらいで作りました。

女性ミュージシャンだけで構成された写真集「ギミ! ギミ! ギミ! ダーリン!」

──撮影からレイアウトまで、全部Jumpeiくんが出がけているんですか?

Jumpei Yamada:表紙のデザインだけ小田島(等)さんにやってもらいました。その他は全部自分でやりました。

──小田島さんは、Jumpeiくんの個展でトークイベントに出演したり、繋がりが深いのかなと思うんですけど、どのように出会ったんでしょう。

Jumpei Yamada:小田島さんはスタジオを出た直後くらいに出会いました。絵を描いていた知り合いの女の子が、SNSで小田島さんと仲良くなったみたいで。その子は僕がサニーデイとか曽我部さんを好きっていうのを知っていて、「今度、小田島さんに会いにいくんだけど一緒にいかない」って誘ってくれて。僕が人生で1番好きになったバンドであるサニーデイ・サービスのアートワークをずっとやっている人と出会えるなんて、なんて確率なんだと思いました。これは今も思っていることなんですけど、言い続けることって大事だなって。自分はこれが好きだとか、あの人のことが好きだって言い続けることによって、繋がったり何か起きることってたまにある。もしサニーデイが好きって言っていなかったら小田島さんと会えていなかったし、小田島さんと会えていなかったら曽我部さんと繋がることもできなかったですし。

──Jumpeiくんが、この写真家はすごいなと思う人って、どんな人なんでしょう。

Jumpei Yamada:10年前くらいに、NHKで3人のカメラマンが特集されている番組があったんですね。そこでは、篠山紀信、ホンマタカシ、梅佳代っていう3者3様の世代も違う人たちが出ていて、被写体に向かう姿勢がみんなバラバラだったんですよ。篠山紀信は、所謂みんなが思い描くような現場を盛り上げ被写体の気持ちもあげてハートフルな雰囲気で撮るスタイル。ホンマタカシは、そのときの被写体はちっちゃい子供だったんですけど、カメラを据え置きにして子供と3mくらい距離をとってシャッターもってずっと構えているんですよ。自分のほしい顔が来るでまっている。ホンマタカシは撮影するまで過度なコミュニケーションをとらないらしいんですよ。仲良くなってしまうと取り戻せない空気感とか関係性があるって。ある種、ヒリヒリ感とか不安な様は仲良くなると2度とは手に入らないから、それを大事にしたい、そういう撮り方をしている、と。梅佳代は天才肌というか天性の雰囲気を持った人で、スナップ写真が多いんですけど、本当にすっと被写体のパーソナルスペースに入っていくんですよ。距離感をつめるのがナチュラルでうまい人。そういう人にはそういう人にしか撮れない写真がとれる。だから、なにがあるからすごい写真かっていうのは一概には言えないんですけど、結局自分の撮影哲学があって、それによるアウトプットが世間に評価されている人がすごい写真家なんですよね。

──そういう中でJumpeiくんのスタイルっていうのは、どういうものですか。

Jumpei Yamada:僕は、ハッピーな現場がいいからハッピーな現場を作らなきゃとか、ヒリヒリ感がほしいからあえてコミュニケーションとらないとか、そういう枠組みではあまり撮影はしていなくて。そこは、自分との関係性によって変容していくものだと思うんです。無理して空気感を操作しようとかはあまりないですね。何回も撮影していくうちに仲良くなったら仲良くなった関係だし。だからその人によるというか。それが結果、僕が撮ることの意味なのかなって。自分と被写体との心の距離感というか関係値のあり方が、自分の写真なのかなと思います。

──Jumpeiくんが撮る写真は女性の被写体が多いですよね。そこに何か理由はあるんでしょうか。

Jumpei Yamada:これは持論なんですけど、やっぱり異性を撮ったほうがいいと思うんですよね。女の人が女のカメラマンに撮られるのと、男のカメラマンに撮られるのではやっぱ全然違うと思うんですよ。アシスタント時代にすごく嫌いな上司がいたんですけど(笑)、その人に言われて1つだけすごく胸に刺さっているのが「カメラマンは異性としても魅力的でないと、いい写真が撮れない」って。の言葉の意味は独り立ちしてからわかりました。写真を撮るという行為はコミュニケーションの一種ですから。そこでの魅力とは顔がいいとか喋りが上手いとかそんな要素的なことではなく、まあもちろんそれも一つではあるんですが、もっと広義的な意味での魅力です。

──とはいえ、Jumpeiくんは、泉谷しげるさんのオフィシャル写真を長いこと撮っていますよね。泉谷さんがステージ上でスタッフ紹介したとき、「Jumpeiは楽屋で全然しゃべんねえんだよ」って愛を持って紹介してくれた逸話は素敵ですよね。

Jumpei Yamada:僕はダラダラしゃべる人間ではないのと、ステージに立っている人へのリスペクトは持っているつもりなので、すごく距離感は大事にしているんですよ。その人が望んでいるステージに対して変な波風を立てたくないし、そういう意味で、ライヴ現場ではすごく気にしますね。

写真はもっと寛容であるものだし、いろんな発想力を掻き立てるようなものであってほしい

──そして来週からスタートする連載の話です。どうしてこの連載を始めようと思ったんでしょう。

Jumpei Yamada:基本的には、アンチテーゼとかアイロニカルな気持ちなんです。最近受け手側の想像を許さない写真というか、答えを決めつけてしまっているものが多いなと思うんです。あと、最近考えたり想像したりすることが減っているんじゃないかという気持ちがあって。そこに関して写真はもっと寛容であるものだし、いろんな発想力を掻き立てるようなものであってほしい。いわゆる、かわいく撮ってくださいとかっていう固定観念を一旦外したい。かわいいとか格好いいとか、抽象的だけどある意味決まってしまっている。でも世間一般が思っているかわいいがかわいいの全てじゃないよって。僕の写真を見て、別の発想を持ったり考えたりしてもらいたい。

──なるほど。

Jumpei Yamada:論文とかで発表されているんですけど、現代人って集中力が金魚以下らしいんですよ(笑)。それは、ITの進化とかSNSの発達とかで情報過多になった結果、人の考える力を乏しくさせているらしいんですね。本当にほしいものが情報に埋もれちゃっている。僕たちは無数に広がる選択肢の中から自分のほしいものを自由にピックアップできていると思っているけど、本当は知らず知らずのうちに選ばされているのかもしれない。そこに危機感を感じているし、実は窮屈じゃない? と思っていて。だから、もっと遊びや考える余裕のある自由なものを提示したい。見る人によっては謎の写真かもしれないんですけど、これは何を意図しているんだろうとか、この人はこのとき何を考えているのか、どういう人なのかとか、そういう発想力を掻き立てる写真にしたい。

──撮影への向かい方も、クライアントワークとは違うものになりそうですか。

Jumpei Yamada:仕事は仕事で求められるものに対して対価をもらっているものなんですけど、写真ってそれだけじゃないよねっていうのを知ってほしい。1つの極端な話をすると、完璧な構図、完璧な露出、そして高精細で撮った写真が必ずしも全てではない。ぶれていたっていいし、ピントがあっていなくてもいい。それはそこに意図があれば全部僕の中で作画だと思っているので、もっと軽やかであってもいいかなって。

──写真に対して、毎回ゲストライターさんに文章を書いてもらって、それも一緒に掲載するんですよね。そこの意図というのは。

Jumpei Yamada:何を受け取ればいいのかわからない人もたくさんいると思うので、ヒントになればいいなと思っていて。その文章が写真の意味を決定づけるものではなくて、こういう見方もあるよって。だから写真を見て思ったことを好きに書いてもらう予定です。ある人はこう見ているよって、発想を促すものになったらいいなっていうのが1つです。あとは、自分のアウトプットが他人に触れて、それがまたアウトプットになるっていう楽しみです。何が起こるんだろうっていう気持ちですね。

──第1回は、日本マドンナのまりなさんが執筆されるそうですね。どうしてまりなさんに依頼をしたんでしょう。

Jumpei Yamada:あの子の文章が好きだし、反骨的な姿勢とか、考え方に共鳴する部分も多いんです。彼女の文章に信頼を置いているってところもあるし、やりたいって言ってくれたので、ぜひぜひって感じでお願いしました。

 

──第1回の撮影は終わっているそうですが、どんな雰囲気で撮影は行われたんでしょう。

Jumpei Yamada:わりとセッションに近い感じでした。台本もそこまで決めず、撮る場所だけ決めて、歩きながら閃いたときに撮るっていうことの繰り返しで。わりと自由をもたせてモデルさんにも動いてもらいましたね。

──フィルムとかデジタルとか、いろいろなフォーマットがありますが、このシリーズではどういう機材で撮影するかなど決めているんでしょうか。

Jumpei Yamada:僕は、個人的なプロジェクトでは、ほぼフィルムで撮っているんですよ。1番最初に触ったのが父親のフィルムカメラっていうのもあるし、そもそもフィルムが好きっていうのもあるので。ただ、フィルムに甘えることはしたくなくて。最近、すごく流行っているじゃないですか? フィルムで撮っておけばおしゃれだって発想じゃなくて、これだけデジタル社会になって手法も多様化している中で、あえて面倒くさいことをやるという事実が重要なんですあとフィルムで撮ると、重みや覚悟が変わるんですね。限られた枚数しか撮れないしお金もかかる。そこは自分の姿勢的な話ですけどね。

──モデルは、引き続き募集していくんでしょうか。

Jumpei Yamada:一般人でも芸能活動していても大丈夫なので募集中です。一切男の人からは来ていないんですけど(笑)。

──逆に、Jumpeiくんが男性のモデルを撮った写真も観てみたいですけどね。最後にタイトル「illusionism(イリュージョニズム)」には、どういう意味が込められているんでしょう。

Jumpei Yamada:「イリュージョニズム」は「妄想」とか「想像」って言葉から派生したものなんですが、「絵画において錯覚を与える造形技法や表現」のことを指します。所謂だまし絵みたいなこと。色々タイトル案を考えていた中で、面白いと思ってこのタイトルにしました。言葉通り、写真を観て、みなさんに想像してもらえたら嬉しいですね。

※7月3日(火)より
Jumpei Yamadaの連載「illusionism」
スタート予定!

被写体募集
illusionismに被写体として参加して頂ける方を募集中です。経験不問。興味のある方は「氏名」「年齢」「バストアップ写真、全身写真(3ヶ月以内撮影)」「芸能活動されている方は芸歴・活動歴」を明記・添付の上、件名:被写体募集にてillusionism.wanted@gmail.comまでご連絡下さい。応募者多数の場合、採用させて頂く方にのみご連絡させて頂きます。

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Jumpei Yamada(じゅんぺい・やまだ)
1987年富山県生まれ。
2007年より関西にて活動。
活動拠点を東京へ移し、2014年独立。
ミュージシャンのポートレート撮影を中心に、CD・書籍・広告・webや雑誌等各種媒体の撮影を手がけ、並行して自身の作品制作も行う。

2015年2月 写真集「ギミ!ギミ!ギミ!ダーリン!」発表。
2018年2月写真展「immanent」at 高円寺FAITH

Web : https://jumpeiyamada.com/
Twitter : @jumpeiyamada_

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