【連載】なにが好きかわからない Vol.2「『君たちはどう生きるか』を読みました。」

 

昨年、普遍的名著がマガジンハウスさんから新装版で発売されましたよね。

皆さんも読みましたか?

この本は、主人公のコペル君が出会ういくつかのエピソードがあり、それに対する叔父さんからの示唆的な手紙をもとに、大事なことに気付いていくという形式になっています。

先に述べた通り、この本は新装版でして、原版は1937年に新潮社から出版されたものです。この時期は日本が軍国主義まっしぐらの戦時体制にあり、御国の為に老若男女が生活の貧しさを耐え忍びながら列強諸国へと立ち向かっていこうとする時代背景の下にありました。

この本で問われているのは、「社会という大きな流れの中で、自分の思う道をどう生きていくのか」という事です。

 

人間としてどういうことを守らねばならないか、ということについてなら、君だって、ずいぶん多くの知識をもっている。―もしも君が、学校でこう教えられ、世間でもそれが立派なこととして通っているからといって、ただそれだけで、言われたとおりに行動し、教えられたとおりに生きてゆこうとするなら、コペル君、いいか、それじゃあ、君はいつまでたっても一人前の人間になれないんだ。

 

戦時体制真っ只中の日本で、この文章が当時の青年達にどれほど影響を与えたのかと僕は考えずにはいられません。ともすれば、戦争の勝利への為に、いきなり戦争に駆り出される。当時の青年たちは、生き方までも決められていたかもしれませんよね。そういった社会の大きな「規範」に呑まれて生きるだけの人を「立派そうに見える人」と称し、そこから本当の自分、心から湧き出る「正しい」だとか「どうすべきか」という信念に基づく行動ができる人こそが立派であると述べています。

僕はこれを読んで「自分の感受性くらい、自分で守れ。ばかものよ」という茨木のり子さんの詩を思い出しました。古来、先人は数多くの素晴らしい知識や考えを残してくれていますね。それらによって、今の世の中の道徳やカルチャーなど、大きな流れが取っては捨ててを繰り返しながら形成されてきました。でも、それに則って受け取っているだけでは、この世の中は終結してしまいます。

僕自身、普段からある場面に直目したとき「こうしたい」「こうするべきだ」と思う機会が多々あります。そして同時に「でもこれは間違っているのではないかな?」「(まだ見えていない)誰かが望んでいることかな?」という躊躇いも付随してしまうんです。その意志を貫き通せない時には、もっと自分に強い意志があればな、という後悔までがワンプレートになっていて。

別に失敗したところで反省すればいいだけの事なんですが、それを怖がってしまう弱さってのも在るものですね。これを恐れずに行動できる“強虫”っていうのは実は多くなくて、大多数の人間“弱虫”は、周りの目やその場のメインストリームに流されて自分の意志を通すことに弱ってしまい、ヨレヨレの行動をとる事が多いと思っていて。

でも、その一方でそのような弱虫でさえ、自分が考え得る最善の行動を取ることを強いられて生きていますね。どんなに意志が弱かろうと必ずその意志を持たなくてはならず、それは絶対に貫き通せないものではない、ということです。そして、それ故に自分の意志と周りとの間で葛藤してしまうことも自分の選択ですし、葛藤の結果、出した選択は「ありのままの自分」という物につながっているような気がします。

タイトル『君たちはどう生きるか』が問いかけているように、これは答えを明示する作品ではないんです。自分が精一杯考えて、どうすればいいのかを心から思った時に出る選択肢を指標に進んでいくことが、知らず知らずに自分の最善の生き方を形成していくのだというメッセージだと、僕は受け取りました。

日常だけでなく人生という大きな目線で考えても「選択肢」が多すぎる現代では、自分がやりたい事に猪突猛進できる人が少なくなってきている気がします。そういった社会だからこそ、今一度自分が選ぶ選択に自信を持ちたい。こういう弱虫達からの反響があって、この本はこんなにヒットしているのかなと思っています。

長くなってしまいました。

要するに、ただ社会の流れや規範の中で求められるような所謂「良い人」になるだけではなく、それを踏まえた上で自分はどうしていくべきか、どうやって生きていくのかくらい自分で決めろよ若者、ということを問いかける本なのです。僕と同じく弱虫な皆さんにとっても、それを考えるいいキッカケになる本だと思います。自分がどうしたいか、どうすべきかを先ず第一に考えて、その結果を生きて欲しいなと思いますし、僕もそうしたいです。

ところで、僕個人として、本書の大筋から少し外れてはしまいますが引っ掛かった部分があります。

あるエピソードで、主人公のコペル君が叔父さんから書いてもらった文章に「水が水素と酸素から成り立っているということは、実験や理論で他人に理解させることができる。しかし、目の見えない人に赤色とはどんな色なのか、どんな言葉を選んでも伝えることはできない」というものがありました。この連載を西澤さんから頂いた僕としては、そこの文章が心に引っかかったわけです。

これから自分の好きな物、音楽や書籍、ファッションなどについて、それを知らない人に対して、如何に素晴らしいか長い文章で説いてみたところで、やもすれば1mmだって伝わらないかもしれない。理論じゃなくて感受性の問題ですし。でも、その好きな物について興味を持ってもらうことくらいはできるはず。その結果として、自分が好きな物を共有できる人が増えるということはきっと嬉しいことだと思います、特に僕はそう思います! そして、僕が取り上げたアーティスト・作品について読者の皆さん自身が触れてみた時、お互いに違う感想や感情を抱いて、それを共有して新しい視点で作品を捉えた時に、更に作品が楽しめるはずです。これってカルチャーの醍醐味だと思いませんか? カルチャーって1人よがりなように見えて意外とそうでもないですよ!

2回目なのに、ただの自己啓発みたいな話になってしまいました… 反省します。
次回は音楽の話に触れたいと思っています。ひとつよしなに。

※今回出てきた「強虫」と「弱虫」の対比は、新潮社さんに掲載されております、僕が敬愛する遠藤周作さんの1966年に行った講演会での比喩を参考にさせていただきました。http://www.shinchosha.co.jp/book/112315/#b_section01

※「【連載】なにが好きかわからない」は毎週木曜日更新予定です。
エビナコウヘイ(えびな・こうへい)
1993年生まれ、青森県出身。進学を機に上京し、現在は大学で外国語を専攻している。中国での留学などを経て、現在では株式会社WACKで学生インターンをしながら就職活動中。趣味は音楽関係ならなんでも。
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