みなさんこんにちは。
学校行きたくねえ、早く自分の好きな仕事してやり甲斐や生き甲斐で充実した人生を送りてえ。
学校行ってるよりもバイト先やインターンで大人とお喋りして一緒に仕事してる方が絶対楽しい。元々勉強したい事もなく適当に大学に進学しただけの人間なので、アカデミックな事にどうしても興味が向かないのは仕方ないかもしれないけれど、じゃあなんで僕は大学に入ったんだろう、何を学んできたんだろうと6年目にして考えてました。
「~~の授業で話してた~~の内容が良かった」みたいなことも数えるほどしかないし、一体何をしていたのかなって考えちゃうとどうしようもなく嫌な気持ちに苛まれてばかりなんですけど、先日の講義で、ある客員教授が話の途中でさりげなく「大学生活の間に考えることがあなたの人生の本質だったりしますねえ」と仰いました。確かに、毎回の授業だったり友達と話したりやった色んな事、今となっては1つ1つ詳細に思い出せなくなっている出来事が実は積み重なっていて考えるべきことが増えているんじゃないかと思うし、それなら確かに、大学に進学した意味はあったのかもしれないなと少し納得できるようになってきました。自分の人生を豊かにする物事には確かに巡り会えていたのかもしれないな、と。
目下意味は見いだせなくとも、何事もやってみて後から気付けることって多いね、人生って。
先日、大学の生協内で目に入って5秒で購入を決めた本がありました。
オードリー若林正恭著「社会人大学人見知り学部卒業見込み」です。
雑誌「ダ・ヴィンチ」(現在はKADOKAWAより発刊)で連載されていたエッセイでして、オードリーというお笑いコンビ、テレビではボケ担当の春日俊彰の印象的なキャラクターに目が行きがちですが、彼らの担当するオールナイトニッポンの放送では今回の若林正恭という人物が結構前に出てくるイメージがあったので気になって手に取ってみた次第です。
本書では前書きである社会人1年生から3年生、真社会人社会人大学卒業論文、といくつかの章分けが成されており、それらの中でオードリー若林という人物が中二病全開(自称)で社会に対して鋭利な物の見方をしていた時から、社会という組織へ参加することを覚えるようになった数年間の彼の心情の集大成だと思いました。
そして、僕はこの本で描かれる若林さんの自意識に照らし合わせて考えると社会人1年生のバリバリとんがっている時期だなあ、と。世の中を俯瞰しているくせに自意識だけは一丁前に高いので自分が傷付くのは嫌がる…… なんとも矮小な人間だなと思っておる限りです。
5、6ページほどの短いエッセイが何十篇も掲載されているこの本、全部が全部その瞬間の若林さんを内まで透かして見れるようで本当に面白いのですが、僕が特段大好きな「暗闇に戦力で投げつけたもの」という一篇があります。若林さんは自分の殻に引きこもりで且つ自分と話の合う人間なんてほとんど会ったことがない、だからこの本が売れるわけがないと思っていたようですが思ったより共感される反応が多かったようです。
加えて、そういった人達から「これを読めば真っ当な社会人になれますか?」という反応まで。
それに対して、彼は「本一冊なんかで人格は変わらないし、そもそも真っ当な社会人になろうと焦る必要はない」という結論を出します。
目上の人を敬うことで挨拶できるようになる人もいれば、「煽てれば喜ぶんだろう?」「ビールを注げば喜ぶんだろう?」という捻くれた切り口じゃないと挨拶できないクズもいる。だけど、それでも自分がその状況の中で生きていこうとした得た結果、結局「挨拶できるようになる」わけで、その努力をしている「クズ」に寄り添い激励するようなお話でした。
僕も如何ともし難いクズで世の中に対して斜に構えること、自分は自分だとわがままでいることをやってしまいがちなのですが、それでもそこに存在している社会という物に回り道してでも寄り添ってみるという姿勢は大事なんだなと思いました。ただそこにあるだけ、別に自分に対して牙を向けているわけでもない社会にそぐう努力をしなければならないですね。
自分に共感してくれる人間なんてほとんどいないので、雑誌でどんなに自分が感じていることを掲載しても、タイトル通り「暗闇に全力で」物を投げつけるような行為だと若林さん本人は仰っていました。でもいつか、僕のようなクズと形容される暗中の人間にしっかりと、確かに当たった音がしましたと、本人に伝えられたらいいなあ。
今回はこの辺で。
また来週、よしなに。
1993年生まれ、青森県出身。進学を機に上京し、現在は大学で外国語を専攻している。中国での留学などを経て、現在では株式会社WACKで学生インターンをしながら就職活動中。趣味は音楽関係ならなんでも。