皆さんこんにちは。
最近少しだけ自分の将来、編集業に関わってくる出来事がありまして、ようやく今後数年の方向性がようやく見えてきました。とりあえず一旦はその方向で頑張ってみて、軌道に乗せてみせることが大事かなあと思います。もうふらつかないで今決めたことで邁進していければな、と。
世の中、どれだけの人が自分の仕事に満足できているんでしょうか。僕はまだまだプロとしての仕事の経験はないけど、少なくともまともに関わって来た大人達は皆自分の仕事に誇りをもって楽しんで取り組める人間ばかりだったので、それが当たり前だと思ってました。
でも、改めて世間を眺め回してみるに、僕が見てきた数十人のそういった大人よりもその何百倍もの人々がやる気なく漫然と仕事をこなしているのかもしれない。仕事なんてお金を稼げてそんなキツくなければいいやって思う人もいるかとは思いますが、僕にとって、仕事ってむこう40年近くのほぼ毎日を費やす作業だと思うと、どうしても面白いことじゃないとやりきれないんじゃないかと思うんですよね。
残りの人生の大部分を占めちゃうものなんだから、どうせなら楽しいことをしたいと思うのは当たり前ではないんですかね…… 皆どうやって割り切って生きているんだろう。
さて、今回僕がお話したいのはもう説明するまでもなく漫画アニメ「クレヨンしんちゃん」です。
1990年から双葉社の雑誌「漫画アクション」で連載が始まった臼井義人さんの作品で、1992年からアニメの放映が始まり現在まで続く作品です。
子供の頃はアニメを観てケツだけ星人とかで笑えていたのですが、年を重ねて漫画の方を読むとパロディや世相を皮肉ったブラックなジョークが多くてアニメとは違った大人向けのギャグが面白かったです。いくつになって観ても笑える面白い作品って本当に少ないですよね、そういう意味でも稀有で尊い作品だと思っていますし評価されるべき作品だと思います。
クレヨンしんちゃんは「国民的アニメ」としての評価もある大御所アニメですが、下品なギャグもある為、親が教育上よろしくないと判断して子供に見せない家庭も多いと聞きます。
確かにしんちゃんの態度は大人をおちょくっていますし、言動にも品もないという点に主なフォーカスがいってしまいますが、何も知らない子供達はうんちとかちんちんとかで笑ってしまうものですし、自由な物言いのしんちゃんだからこそ世相や大人の都合みたいなものに皮肉的なことを言えてしまうのがある意味痛快だからこそ、大人にもちょっとしたブラックな笑いを提供できていたのではないでしょうか。(特に原作)
まあ臼井義人さんがそこまでして社会や何かを皮肉りたい人だったのかは分かりませんが、何かしらそんなメッセージはあるように感じます。
例えば、クレヨンしんちゃんのアニメ映画で一番有名なものといえば「嵐を呼ぶモーレツ! オトナ帝国の逆襲」。
懐かしい匂いや昔の流行で幼少期へ退行した大人を惹きつけてオトナ帝国を建設しようとする敵ケンとチャコと、大人から放棄されて恐怖におびえるしんのすけを筆頭とする子供達。子供目線から、責任から逃れて自分の快楽を求める大人を捉える姿は、懐古主義への批判なのではないかと思います。
そんな懐古主義な大人たちを投影したケンとチャコに対して、「大人になってお姉さん(チャコ)みたいな人とお付き合いしたいから!」という未来への期待を語る子供の言葉を懐古主義へと突き立てるシーンは印象的です。昔の武勇伝だとか、何かと昔と現代を引き合いに出して「あの頃は……」「私が若いころは……」という話をしてしまう大人へのメッセージが多分に含まれている映画作品でした。
僕はこの連載で懐古主義とは関係なしに割と古い作品を取り上げることが多いです。うちの親なんかは自分が聴いて育った歌謡曲やらを聴いて、最近の音楽にはほとんど興味を示さないのですが、そういった姿を見ていると情報や流行のアップデートって大事だなって思います。
世の中では常に新しいものが出てきていて、それが若い人の流行になっているのにも関わらず、それについていけないばっかりに自分の好きなものにこびりついてしまう…… なんて事は極力避けたいなあ。
もっと常に新しいものを見て、常にオリジナルの見方が出来るようにならないといけない、と思うばかりです。
常に自分のアップデートを。
今週はこの辺で。また来週、よしなに。
1993年生まれ、青森県出身。進学を機に上京し、現在は大学で外国語を専攻している。中国での留学などを経て、現在では株式会社WACKで学生インターンをしながら就職活動中。趣味は音楽関係ならなんでも。