オシリペンペンズと出会わなければクリトリック・リスは生まれていなかった。
そうスギムが語るほど、オシリペンペンズはクリトリック・リスに大きな影響を与えている。マイクがぺちゃんこになるまで自分の頭に叩きつけたり、ステージ上でゲロを吐いたり、天井にぶらさがったり、とにかく狂気という言葉が当てはまる切迫感に満ちた石井モタコのヴォーカル、中林キララのミニマムでサイケなギター、道下慎介のタイトで緊張感のあるドラム。その三位一体は、オシリペンペンズが作り上げた唯一無二のバンドのスタイルだ。
2016年に出身地で活動の拠点だった大阪から上京し、今年バンド結成20周年を迎えたオシリペンペンズ。2019年4月20日、50歳の誕生年を祝う自身最大級の日比谷野音のワンマンライヴに臨むクリトリック・リス。道筋やアウトプット方法は違えど、2人の会話は共通のアティテュードにあふれていた。その2者が東京は高円寺の居酒屋に集い、初めての対談を行った。
インタヴュー&文:西澤裕郎
写真:RYUTARO SAITO
OSHIRIPENPENZ are VO.石井モタコ Gt.中林キララ Dr.道下慎介
1999年大阪にて結成。うどんサイケ界の帝王。犬に聞かせる音楽。恐怖、憎悪、破壊、混乱、狂気、絶望、全部足りない。
Official HP
誰しもが、なんかやってたんちゃうかな
石井モタコ (以下、モタコ):スギムラさんと会うてから15、6年経ちますっけ?
スギム:いや、俺がモタコと出会ったganja(※大阪西心斎橋にあるサイケデリックバー)に行ったのが1999年やから、もう20年くらいかな。
モタコ:まじっすか! たしかに、俺、大学のときから働いていたから。
スギム:俺の行くほとんどのライヴハウスで、ganjaのマスター鉄人さんがビラを撒いとったんですよ。その頃、海外やアンダーグラウンドのサイケが好きでライヴによく行っていたんやけど、毎回、髪の毛が長くてボソボソ喋りながらビラを撒いている人がおって。あまりにもよく見かけるんで1回行ってみようって思ってganjaに行ったらモタコしかおらんくて。「今日マスター来ないですよ」って言われたあと、接客もせずに自分のフライヤーを書いとったんですよ(笑)。
モタコ:初見のお客さんには「お名前なんていうんですか」、「どこ住んではるんですか」、「どこ出身ですか」、「お仕事何してはるんですか」って4つの質問と写真を撮らんと鉄人さんに怒られるんですよ。だから、それを訊いたあとに俺は大体絵を描いていたんです(笑)。
スギム:飲んでいる間、モタコから「音楽どんなの聴くんですかー」って訊かれて、フレーミング・リップスの話をしたら「うちのマスター好きなんで、話が合うと思いますよ」って言ったのは覚えている?
モタコ:それ言いました。共通項を探そうとするじゃないですか。それで、鉄人さんが来るのを待っといてもらおうかなってことになって。
スギム:結局、終電までに来んくて。モタコに電話番号を教えたら数日後に鉄人さんから「コンパやるんで来うへん?」って電話がかかってきた。それでganjaの常連のコンパにいきなり入れさせられて。相手の女性たちは美容部員の人たちで全然話が合わんくて。鉄人さんはじめ、こちら側の男のダメさに衝撃を受けた。
モタコ:男の中でも、だいぶコンパ・レベルの低い人たちが集まってましたもんね。収入もない、社交性もない、顔もまあまあ(笑)。
スギム:そうそう(笑)そのメンバーでもう1回コンパでリベンジしようって話になり、ganjaに通うようになったんですよ。そのあとペンペンズの『黒アルバム』を買ったんですよね。
モタコ:当時、街でティッシュ配りをしていた時に、タイムボムっていう店の前で1人しょげているハゲがいたんですよ(笑)。「何してるんですか! スギムラさん!」って。そしたら元気なくて。
スギム:そうそうそう(笑)。Ganjaで出会った二十歳の子に振られたばっかりの時で、仕事が手にかなかった時やね。
モタコ:ganjaに通い始めてからクリトリック・リスを始めるまで、何年間かあったんですっけ?
スギム:3、4年あった。その間に結婚して、その後クリトリック・リスを始めたんだよね。
モタコ:だから未だに僕にとって、スギムラさんはバーの常連さんというイメージ。
スギム:そう。モタコからしたらスギムっていうよりスギムラさんなんですよ。
──クリトリック・リスは15年近くも活動していますけど、やっぱり当時のお客さんのイメージが強いんですね。
モタコ:当時、全員何かやろうとしていましたからね。例えば、ganjaの鉄人さんはバンドをやっていないんですけど、バーベルを上げるっていうイベントをやっていて。「ボミュボミュボミュ」とか言って、気持ち悪い格好してバーベルを上げて帰るみたいな。誰しもが、なんかやってたんちゃうかなって。
スギム:そういう環境の中で、自然とクリトリック・リスが生まれてきた。音楽がきちんとできなくてもステージに立てるんだ、って。ハードルはめっちゃ低かった。クリトリック・リスがやれると思ったきっかけは、モタコのやっている手ノ内嫁蔵をベアーズに観に行った時、ドクター中松のぴょんぴょんっていうので跳ねていて、全く音楽にも何にもなってないっていうのを観たときなんよね。
モタコ:「みんな胴上げしてくれー」って言って、最終的に胴上げしてもらって終わるっていう。ライヴ時間も5分とかで。
スギム:俺はこんなのにお金取られるんかって(笑)。
モタコ:最近思い出すと怖いんですよね(笑)。俺、ようあんなんでお客さんからお金取っていたなって。お酒を飲んで出ていって、アホーって言って帰るだけとか、そんなのがいっぱいあって。ソロのときは大体そうやったんですよ。
スギム:ウルトラ・ビデの再結成ライヴも衝撃的で。ほんまに人生変えるぐらいのライヴだった。再結成を祝うために集まっているのに、ベロベロになったモタコが、「しょうもねえバンドは辞めろー!」って叫んでいて。暴動になるかってぐらいのピリピリした中でのライヴを観た時、ただ観るんじゃなくて体験するんやなってことを学んだんですよ。そこからオシリペンペンズにハマっていった。2回目を観た時はどらりどらーりのドラえもん♪ってドラえもん音頭を歌っていて。
モタコ:それganja・acidでやったやつですか?
スギム:ベアーズやったと思うんやけど。あまりにも酷くて、なんやこの落差は! って。何が起こるか分からんっていうバンドは、オシリペンペンズもそうだし、あふりらんぽもそうだったけど、当時大阪に出てきはじめていて。
モタコ:でも、今1番ライヴで何が起こるか分からないのはスギムラさんでしょ。最近現場で観たとき、お客さんが参加しているし、みんなに負けたくない! みたいなライヴをしていて。対バンのときも、こんなに野次が飛ぶねんなと思って。
おしっこも、うんこも、ゲロもしてない(笑)
スギム:そのへんもオシリペンペンズの影響というか。よく野次られるんです。俺が観たベアーズとかのライヴでは、演者が普通に降りて来るんですよ。クリトリック・リスを始めた時もステージと客席っていう垣根もなかったし、最初から野次られるのも、酒を飲むのも前提にやっていたから。
モタコ:俺も未だにそういうもんやと思っている部分があるんですけど、この間スギムラさんに言われたんですよ。「ライヴ前に酒を飲んでるバンド、もうおれへんで」って。
スギム:それはそれでええと思うんやけど、もうロン毛のやつも少なくなったやん。ブルースとかをやっているようなヤツ、あの時代はたくさんおったけど。
モタコ:いましたね。梅田に行くとそういうブルースの人がいたんですよね。
スギム:どぶろく兄弟とか、関西にもブルース・ハードロック・サイケ・バンドみたいなのがおった。彼らにお酒ってつきものやん? 今は酒を飲みながら長いギター・ソロをやっても、それが求められてない時代になって来ちゃった。ストイックにガーって短い曲をやるほうがあっている。だから酒飲まないですし、飲めないですよ。
──モタコさんはお酒と切っても切り離せないというか。よく一気に煽って、途中で吐いていましたよね。
モタコ:そうでもないんですけどね。みんな一緒やと思うんですけど、限界のとこまで行って、パっと最高の何かが出るみたいなのが一番楽しいんです。
スギム:クリトリック・リスもステージで起こるハプニング系のことはほとんどやってきたんだけど、全部モタコにやられているんですよ。テントに登ったり、客と酒の飲み合いするのも、大体やられていることなんですよ。
モタコ:でも、おしっことかはしてないでしょ?
スギム:ううん。正直、おしっこはあるねんけど、うんことゲロはしてない(笑)。おっさんがやったらきついじゃないですか(笑)?
世界一ギターの上手い人と、うんこするような人が同居してた場所
──実はあまり本当のところは語られていないような気がするんですけど、モタコさんがオシリペンペンズを始めるきっかけってなんだったんでしょう。
モタコ:高校生の時に画塾に通っていたんですけど、行く途中の楽器屋さんにふらっと寄ったら、パンクの本が売っていたんですね。その頃は、パンクの意味も全然分からへんくて、パラパラっと本を見ていたら、ダムドのギターのキャプテン・センシブルっていうおっさんがウェイトレスの格好をしてライヴしている写真が載っていて。俺、それを見てびっくりしたんです。音楽って格好つけてやるものやと思っていたんですけど、なんでステージでこんなバカなことをしてるんやろうって。未だに俺はそれを目指しているし、それを見てパンクだって思ったんですね。
スギム:音楽も聴いてないのに(笑)。
モタコ:音楽なんて聴かない。うわー、こんなことしていいんだと思った。みんな、よう音楽を聴いているじゃないですか? そこは劣等感を感じますね。スギムラさんもめちゃくちゃ聴いてるんですよ。家に行ったらCDが天井まであったり。
スギム:逆に俺はたくさん聴いたけども、歌も下手やし演奏もできないから、クリトリック・リスが生まれたと思っていて。もしテクニックがあったら、普通のロックンロールをやっていたと思う。それができないからクリトリック・リスになったんやと思う。
──スギムさんは、オシリペンペンズとか手ノ内嫁蔵とかを観て、音楽以上にそのアティテュードに感化されていったと。
モタコ:ベアーズっていう場所がほんまにそういう場所やったというか。プレゼンっぽく言うと、世界一ギターの上手い人と、うんこするような人が同居してた場所だったんじゃないかな。
スギム:その頃は、ganjaも、ベアーズも、グリッチも、全部がリンクしとったんですよね。ほんまに毎日が楽しかった。毎日ライヴハウスに行って。大したことはやってないねんけど、楽しいみたいな。
──お客さんとしてのスギムさんは、オシリペンペンズとどういう関係だったんですか?
スギム:俺は一線引いていたんですよ。オシリペンペンズと。
モタコ:初めて聞きました。
スギム:ganjaでのモタコは普通なんですよ。でも、ステージではドラム缶を投げたり、初期は体を切ってたりしていたので、ちゃんとした人っていうのは分かっていながら未知の凄い奴で、自分のぺらさを見透かされるのが怖かった。
モタコ:それは俺も同じですけどね。スギムラさんだけじゃなく、誰にでもですけど、自分のぺらさを見透かされるのが怖いというか。
──当時、良くも悪くも関西ゼロ世代という形容で、関西で何かが起こってる感じが全国に伝わっていたと思うんですけど、当時どうしてそんなに関西でいろんなバンドが盛り上がっていたのかなってことは分析されていないですよね。
モタコ:これ、スギムラさんの口から聞きたいですね。
スギム:そういう意味で言ったら、ライヴハウスで音楽以外の何かも生まれていたんですよ。俺も、オシリペンペンズを鳥取とか東京まで観に行ったりもしていて。新宿JAMとかすごかったもんね。大阪以上にめちゃ人気があるんです。
モタコ:あ、東京に行くとね。
スギム:そうそう。ミッコ(水内義人/巨人ゆえにデカイ)がそれに驚いて泣いているんですよ。
モタコ:覚えてますわ。こんなことになるとは! みたいな。誰かに解明して欲しいですね。大阪は、たぶんそんなにお客さん入っていなかったですよ。
スギム:でもね、オシリペンペンズを観て、バンドを始める人がたくさんいたんですよ。午後零時回転数ひちはごじゅうろっくのチカメくんとか。
モタコ:いっぱいって、1人やん(笑)。
スギム:空きっ腹に酒も初期は相当影響受けてたと思うねんけどなぁ。みんな客を煽るモタコスタイルなんですよね(笑)。みんな客に向かってオラオラ言うてる。
モタコ:そうやったら嬉しいですけど、そう言ってくれるのスギムラさんだけですからね。あとは、みんなツンケンするじゃないですか大体。
スギム:そんなことないよ。
モタコ:いや、ツンケンしますよ! むしろ睨まれたりする。
スギム:峯田(和伸)くんとか後藤まりこちゃんとかも影響受けていると思うけどな。
モタコ:いや、峯田くんはないでしょ。
スギム:影響っていうか、意識はしとったと思うんです。
モタコ:峯田くんはなにかで言ってくれて、それでペンペンズがちょっとだけ人気が上がったときがありましたね。
スギム:あふりらんぽも、巨人ゆえにデカイも、ペンペンズがなかったらないんですよ。
モタコ:いやいや、そんなことないでしょ。
スギム:そこはそうですよ!
モタコ:すげー居心地悪くなってきた(笑)。大きく関西って意味で言えば、ボアダムスやアルケミーレコードの流れで、若いのどうなってんねんってパッと振り向いた瞬間やったかもしれない。世界ではボアダムスとか非常階段とかが注目されていて、そこにあふりらんぽが現れて海外に呼ばれたり、ZUINOSINが話題になったりした。
スギム:当時、今ペンペンズのドラムを叩いている道下(慎介)さんもめちゃくちゃ怖かったもんな。
モタコ:道下さんはサイケ界の王子って呼ばれていて、マッシュルームっていうサイケの巣窟みたいな姫路のライヴハウスの店長をやっていた。裸のラリーズをやっていたヒロシさんも店長をやっていて、日本でも危ないところだった。
スギム:道下さんのバンド名もLSD MARCHだし、ほんまにもう怖かったっすよ。それが今は、オシリペンペンズをやっている時はかっこいいけど、プライベートで飲んだらほわーんってなっていて(笑)。でも、未だに辛口な意見をガンガン人にも言ってくれる。
当時は後先なんかもうないし、死んだる! みたいな気持ちだった
──スギムさんは当時からサイケはじめ様々な音楽を聴いていましたよね。
モタコ:いろいろ好きで詳しいから、クリトリック・リスをはじめる前、フレーミング・リップスの大阪案内をしたりとかしてたんですよ。
スギム:それは音楽ライターの人がフレーミング・リップスと仲良くて、たまたま大阪に滞在している時に同行していたんです。ベースの人が特撮とかが好きだって言うんで、フィギュアショップに一緒に行ったりしたくらいで。
モタコ:家の中のCDの量だったり、周りの人の話とかからすると、昔からサイケの影響はあったのかなと思って。あと昔の写真を見たらスギムラさんはパンクの格好をしていたり。音楽をやるべくしてやったのかもなって。
スギム:でも、ベアーズでほんまのライヴを体感するようになって人生が変わったんですよ。それまで音楽は受け身のもので、家で聴くようなもんやったのが、自分の人生の中にガッツリ定着してきたのは、100人規模のちっちゃなライヴハウスに通うようになったことが大きい。今まで、クアトロとか、せいぜい満員のファンダンゴとかしか行ってなかったから、平日のガラガラのベアーズに行くってことは想像もしてなかったし、そういうバンドすら知らんかった。
モタコ:そういう場所は、居心地はよかったですか?
スギム:それまでライヴハウスで酒を飲むってこともしていなかったから、まったく別世界というか。ベアーズは持ち込み自由なんですよ。だからお金を気にせず飲めるんですよ。出演者も酒任せでパフォーマンスをしてる奴もおったし、酔っ払った客が野次ったら雰囲気も変わるし、曲も演奏も変わっていく。出演者じゃないのにライヴを作れるっていうことに快感に感じましたね。
モタコ:変な話、俺もスギムラさんも会社を辞めて魂をかけてやっているじゃないですか。未だにライヴもブチ切れるまでやるというか。そういう部分は共通点なのかなと思って。
スギム:俺が会社員を辞めてクリトリック・リスやっていこうと思ったのは、中途半端な状態でステージに立つのが本気でやっている人に申し訳ないなと思ったからなんですよね。それまで本気でやっていなかった訳じゃないねんけども、後ろめたい面もあったので、後には引けない状態に自分を追い込んだんですよね。
モタコ:大変な決断じゃないですか。そんな人いないでしょ。仕事辞めたって話を聞いた時、我々界隈がやばいことになったぞって。
──心配だったってことですか?
モタコ:いや、10年ぐらい前やから大阪で1番ライヴをやっている人やったんですよ。当時でも100回超えていたでしょ?
スギム:そうですね。
モタコ:だからいよいよ覚悟決めたなっていうか。後戻りできないぞ、知らんぞって。
──モタコさんは20歳ぐらいの時から、オシリペンペンズでやってく覚悟みたいなのがあったんですか?
モタコ:今もそうなんですけど、シド・ヴィシャスがかっこいいと思っていて。俺も死ぬやろうなって思ってたんです。その日のライヴで死んでやる! みたいな。当時は後先なんかもうないし、死んだる! みたいな気持ちだった。周りもそうやったと思うんですけど、そんなんやったんちゃうかなって。
──モタコさんは本当に死ぬんじゃないかって心配になるようなライヴばかりだったじゃないですか。今も切迫感を持ってやっている理由はなんなんでしょう。
モタコ:言葉を着せずに言うと、ステージ上がるとボカーンってなっているんですよ。自分でも頭なんかぶつけたくないし、今日は何もせん何もせん…… とかずっと言ってるんですけど、結局いろんなことやっていたりする。これは怖いですよね。俺も怖いというか。
──ステージに立つと、自分のコントロールができなくなっていると。
モタコ:自己コントロールのレベルが低いんじゃないかなって。
スギム:だけど、だいぶ歌うようになったよね。初期は全く歌っていなかったから。大体歌詞も即興みたいな感じだったし。そう考えると、ショーとしてはだいぶ成熟しているし、音楽的にもすごいと思う。
モタコ:昔、焼酎瓶をバーンって割ったんですけど、その破片でうちのメンバーが顔を切って顔面血だらけになったんです。それを観て、そういうことは辞めようと思って。自分は多少傷ついてもいいけど、周りは傷つけないようにって。
スギム:タワレコのインストアでも焼酎瓶を割って、その上をモタコがバリバリバリって歩いたり寝転がったりしていたやん。それで足にガラスが入って入院したんやろ?
モタコ:その日の夜も、次の日もライヴがあって、ずっと足の裏にガラスが刺さったままだったから、結果、入院して。2年後またガラスが出てきたりとかして。
怖いものがあまりなくなった
──そういう日々を積み重ねて、学んだり、発見したこととかってあります?
モタコ:いい質問ですねー、スギムラさんどうですか?
スギム:正直、俺は1年後のことすらあんまり考えてないんですよね。だから何かが見えるっていうのはどうやろう……。
──僕は音楽の仕事をやりたいな思ってこの仕事を始めたけど薄給だったから、身銭を切って借金しながらでも好きなものを取材しに行ったりしていて。でも、こうして10年前に見ていた2人からこうやって話を訊けたりする訳じゃないですか。自分が好きなものを追求していれば、自分のやりたかったことに結びつくんだなと。もちろん、人によって幸せは別だと思うんですけど。
スギム:そういう意味で言うと、サラリーマン時代は友だちが全然できなかったけど、ganjaに通うようになり音楽を始めてから友だちが増え続けているんですよね。ドラゴンボールのように強い敵を越えると、もっとすごい友だちができる。坂本慎太郎さんと知り合うなんて夢にも思わなかった。どんどん好きなことをやって、自分が今まで手届かんかったみたいな人たちと知り合えたり会話ができたり、認識してもらえたりっていうのは割と快感ですよね。
モタコ:俺も同意見です。
スギム:その一言で片付けるの(笑)。
モタコ:俺の場合は、怖いものがあまりなくなったというか。昔はビビリの典型やって、ハードコアのバンドの人らが怖かった。でも、もう怖いものほとんどないっていうか。あと、昔はコミュニケーションもできんくて、女の子とも人とも喋られなかったんですけど、今はむしろ喋りたくてしょうがないくらいの感じになっている。
スギム:モタコは東京に出てきたわけやけど、大阪との違いは感じる?
モタコ:大阪ではganjaとマンティコアっていうBARで働いていて、東京では今Rojiっていうところで働いているんですけど、本当にいい人たちばっかですね。大阪はアホとバカしかいない(笑)。
スギム:バーganjaは金持ってないやつが来るんですよ。みんな、ツケばっかり。
モタコ:マリファナ吸えるんかなと思って来る人とかね(笑)。
スギム:めちゃめちゃ民度は低いですよ。そういうのが人情みたいに思われるんかもしれないけど。俺もライヴで東京に来ることが増えて、関東人は冷たいとか一切思わなくなったね。でも、東京で飲んでいたりプライベートで付き合うのって沢田ナオヤくんとか、ゴヤくんとか関西出身者ばっかりなんですよね。
モタコ:俺の勝手なイメージですけど、大阪の人は10秒で話を終わらすんですよ。でも東京の人は3、4分かけてやっと落とすみたいな。これはしかもおもしろいんですよね。
俺の中でも着地点を探している
──2019年4月20日、スギムさんが50歳になる年に日比谷野音ワンマンを行うわけですけど、モタコさんはそれに対してどんなことを思いますか。
モタコ:俺は友だちとして…… 友だちって言っていいですか?
スギム:もちろんもちろん。
モタコ:クリトリック・リスが盛り上がって来る様を見て、悔しいって気持ちは絶対あるんです。でも、すごいおっさんやなと思う。このハゲで裸の人がなんでいいのか? って今日来る時も考えたんですけど、本物なんですよ、そこは。
スギム:サラリーマンの頃の自分って、割と嫌いなんですよね。だから始めの頃はもっとガツガツしていたんですよ。例えば坂本さんと飲みに行ったら、一緒に写真を撮ろうとか(笑)。いろんな人ととにかく絡んでみたい、自分を大きく見せたいっていうのがあったんですよ。
モタコ:当時、スギムラさんが昔やっていたブログ、めちゃくちゃおもしろかったですからね。有名な人だけじゃなくて、どうでもいい俺の幼馴染とかも取り上げたりしていて。俺の幼馴染が水着パブに行った次の日から、みんなにパブ兄って言われて。ある種、1番おもしろく、いろんなことを伝えてはった。知り合いのバンドマンがganjaの奥でSM嬢に縛り付けられて、ちんちんを男に舐められてるところを写真に撮ってネットにあげたんですよ。次の日に、周りの女の子がシクシク、あんな姿見たくなかったって泣いていて(笑)。
──いろんな人のちんこが、スギムさんのブログに出て来ましたもんね(笑)。
モタコ:あのブログで盛り上がった人らも、結構おるじゃないですか。ファンダンゴの加藤さんとか、食笑のマスターとかね。食笑のマスターはほんとにスギムラさんに大感謝してるんですよ。こんなに伝説の場所に店がなるとはみたいな。そういえば俺も被害ありましたわ。みんなでキャバクラかなんかに行った時に、俺がキャバクラに並んでるところを写真に撮られて。当時の彼女に図書館に行くって言っていたから、あれ大変でした(笑)。
スギム:あの時はもうね、周りがとにかくおもしろかったんですよ。音楽をやっいる人もやってない人も。それを伝えたいっていう気持ちがあったし、自分で表現したかったんですよ。それがブログやったんですよね。
モタコ:大阪の今を伝えていましたもんね(笑)。
──スギムさんからしたら、クリトリック・リス始める前から知っているモタコさんに野音を観られて、気合いはいるところもありそうですね。
スギム:俺は仕事を辞めてクリトリック・リス1本になったあと、微妙にアイドルとも絡んだりしてちょっと方向性が変わって来たというか。やっていることは前と変わっていないけど、この間、後藤まりこちゃんにも俺が日和っているんじゃないかって煽って来てくれて。俺の中でも着地点を探しているんだよね。まりこちゃんと全く同じことをやってもそれを越えられないし、新しくライヴに来てくれるようになったドルオタの人たちの求めてることをやるのも違うし、昔のバンギャみたいな人も来てくれているわけで。客に合わせる訳じゃないけど、オシリペンペンズのやってきたことを観ているからこそ、クリトリック・リスっていう方向性を探していかなあかんのかなって思っているんですよね。
モタコ:すげーちゃんと語りますね。
スギム:いやいや、この間対バンした時に思ったんやけど、ペンペンズの15年前とは全然変わっているし、成長もしている。お互い、いろんな寄り道をしたりしつつ、でもこうやって定期的にでも話ができたりも嬉しいです。
モタコ:俺も嬉しいです。俺、人と酒を飲みに行くことがほとんどなくて。大阪時代からそうなんですけど、人を誘うことが照れくさい。だからって訳じゃないんですけど、バーで働いて人が会いに来てくれるのが1番楽しいというか。そういうのはあるから、スギムラさんと会えるのは嬉しいですね。
スギム:こんだけ付き合いは長いねんけど2人で飲みに行ったことってないよね。負けたくないっていう気持ちもあるから。
──クリトリック・リスにモタコさんが期待することはありますか?
モタコ:野音ってやること結構すごいことなんですか?
──まず抽選で当たらないと借りれなくて。倍率が400倍くらいなんですよ。
モタコ:え! それが当たったんですか!
──応募したら偶然当たったんですよ。今回ほんとに運もあってやれることになったんです。すぐやりたいと思ってできない場所ではあるんですよね。
モタコ:ステージ1人で立つんですよね。ゲストとか呼ばずに?
スギム:正直、ステージのことはまだ何にも考えられてないんですよね。クリトリック・リスのことを好きな人はチケット買うてくれてるんやけど、今までクリトリック・リスのこと知らんかった人にも伝えないと3000人というキャパは埋まらないから、頑張ってCDを出したりもして。
モタコ:今の話を聞いて、単純に照明に照らされて1人で裸のおっさんが立ってる姿を観るだけで涙が出そうかもしれない。
スギム:嬉しいです。あの時の絵を描いて全く接客してくれなかった店員と客がこういう形でお酒を飲みつつ野音について語れるのは。
モタコ:誰かが言っていたんですけど、大失敗を期待しているって。あれは誰が言ったんですか?
──マキタスポーツさんですね。
スギム:なんかね、予想がつかないんですよ。めちゃめちゃ規制が厳しい。ステージから降りれないし。っていう中で、今まで自由だったクリトリック・リスのライヴで酒を飲んで暴れとった人らがおとなしくしといてくれるんかなって。
モタコ:当日は、スギムラさんがうんこするんですよね、やっぱり。
スギム:そういう煽りは辞めて! さっきも言ったけど、お互い別々の道を歩み始めているので(笑)。そこをまた同じベクトルでやると、全員が潰し合うことになっちゃうんで(笑)。
モタコ:当日、俺はお酒飲んで聴いてないかもしれないですけど、観に行こうと思っています。ちょっと泣かせてもらえたらありがたいですね。
クリトリック・リス生誕50thイベント
2019年4月20日(土)東京都 日比谷野外大音楽堂
料金:全席指定 3,000円
チケット:発売中
http://w.pia.jp/t/clitoricris-yaon/
・クリトリック・リス 日比谷野音特設 HP
https://clitoricris-yaon.site/
・クリトリック・リス 公式twitter
https://twitter.com/sugi_mu
クリトリック・リス『ENDLESS SCUMMER』再現ライブMD予約受付中!!
2月20日に渋谷LOFT9で開催したイベント「クリトリック・リス日比谷野音 決起集会Vol.3 〜新アルバム『ENDLESS SCUMME』発売記念〜」にて行なったアルバム『ENDLESS SCUMMER』再現ライブを収録したライブ音源。
観客を巻き込んだ熱いライブを、1枚1枚丹精こめてMDに手焼きでダビングして販売。なお、同音源のハイレゾデータがダウンロードできるダウンロードコードが付いてくる。
数量限定となっているので、気になる人は早めにご予約を。