お世話になっております。株式会社SWインターンのヨコザワカイトです。
『ポスト・サブカル焼け跡派』(TVOD著 / 百万年書房)、『2010s』(宇野維正、田中宗一郎 著 / 新潮社)という本を読みました。前者では日本のサブカルの勢いが霧消した今「どうしてこうなってしまったのか」が語られ、後者は世界の全景を前提にポップ・カルチャーの変化の歴史を捉えています。「コメカとバンス」、「宇野維正と田中宗一郎」と、2人組が語り合う構造が同じで、話の内容がリンクする部分もあり、2冊を一気に読んでよかったです。
「どうしてこうなってしまったのか=焼け跡」というのは、日本にかつて存在した、哲学や文学、政治的な思想が抜け落ちた音楽が蔓延し、世界のトレンドにも乗り遅れてしまった状況を指しています。さらに、ストリーミングサービスの普及によって世界中の音楽にアクセスが繋がったのに、大きなフィルターバブルによって日本の音楽がトレンドに乗り遅れてしまったという今。1997年生まれ、Bump of Chickenを聴いてセカイ系こそ青春だった世代の僕には焼け跡になった後を生きてきた感覚もあり、自分には足りない問題意識だなと思いました。
メディア論にそこまで詳しくない僕が書けるのは、そんな現状に対して「じゃあ今の若者ってどう思ってるの?」っていうところで。おそらくそれは、「重いのは勘弁」という感覚ではないでしょうか。たくさんの自分に合ったコンテンツを消費していく中で、冷笑するのではなく、素直にボーッとする。問題は多いけど、今にそれなりに満足してるし、そんなこと考えてる余裕もない。
その反動として「Chillしてる場合じゃない」という言葉を最近目にするようになりました(※betcover!! の冷めた苛立ち「問題ばかりの日本、チルってる場合じゃない」(Link)など)。かといって、その反動が暴力に向かうかと言われれば僕はそうは思いません。
以前、僕が通う大学の授業で1968年の京都を舞台に日本の高校生と在日朝鮮学校生とのケンカと青春を描いた映画『パッチギ』を見た後、「大学闘争のころの熱量が羨ましいと感じるか」というアンケートをとったことがあります。
結果は80パーセントが「NO」でした。今の日本の若者(20台前半)は暴動を起こすほど無茶苦茶にはなりたくない。もっと“賢く”それなりに生きたいように生きられれば良いという意識が高いんだと改めて実感した覚えがあります。
2020年の東京オリンピックが始まる前という今の時期は、2010年代までを振り返るのにきっと最適な時間です。次回は、寂しさを抱える若者と、GEZANの救済についてもう少し掘り下げられればと思います。
※「【連載】digる男。」は毎週月曜日更新予定です。
1997年生まれ、千葉県出身。大学では社会学を専攻している。株式会社SWで学生インターンをしながら就職活動中、そして迷走中。ガガガSPが大好き。