こんにちは! 先日初めてお台場のチームラボに行って感動しました、たまざわです。
正直今までずっとただの映えスポットだろうと、声に出さずとも斜に構えていたのですが、プロジェクション・マッピングを超えた体験、まるで自分が浮いているような感覚にもなるブースがあってビルの1室なのにこんなに非日常が味わえるとは!と驚きの嵐でした。特に体験型ブースの滑り台では、薄いスカートを履いていたのに、はしゃぎすぎて猛スピードで滑ったためお尻を擦りむく始末。童心にかえりました。なんでも勝手に決めつけず、まずは体験してみることが大事だなと実感した1日です。
さて、生活に寄り添う本を紹介するこの連載。第32回目に紹介するのは、鷲田清一『ちぐはぐな身体─ファッションって何?』。
vol.32 鷲田清一『ちぐはぐな身体─ファッションって何?』
『ちぐはぐな身体─ファッションって何?』
著:鷲田清一
内容:
ピアスや刺青をすることの意味とは? コムデギャルソンやヨウジヤマモト等のファッションが問いかけているものは? そもそも人は何のために服で体を隠すのか? 隠すべきものの実体は? 若い人々に哲学の教授が身体論をわかりやすく説いた名著、ついに文庫化!「制服を着崩すところからファッションは始まる」。
本書は哲学家の鷲田清一さんのファッションにまつわる身体論を誰にでも分かりやすく説いた一冊です。
身体とは?という問いから、じゃあその上でファッションって何なんだろうという問いまで深く考えていく構造になっているので、哲学や身体論をより身近に感じることができます。
私は舐められることが嫌で黒っぽい服を着て武装している気持ちになっているのですが、そういった行為は自己満足だとしても意味があるのか。また、自意識と身につける衣服の関係性について興味があったので、手にとりました。この本から鷲田清一さんという人物を知り、以降鷲田さんが書いたたくさんの本に思考を深めることについて教えてもらった気がします。
ひとがいつ服を着始めるかということについて、本書の中で鷲田さんは「思春期」であると述べています。思春期になるまではおとなの意識をなぞっているだけの着せ替え人形でしかない、つまり自分の意思で着ていないからということです。
思春期と言うと、学校の制服。その与えられた制服をわざとちぐはぐに、だらしなく着崩すことことが服を着る始まりで、最初のファッションだということを提言しています。これに関しては人それぞれの考えがあると思うのですが、自分の意思で着る形を変えるから、それこそがあらためて自分で服を着る、ファッションの始まりなのかなと私は解釈しました。
ファッションというのは、既定の何かを外すことであり、ずらすことであり、くずすことであり、つまりは、共同生活の軸とでも呼べるいろいろな標準や規範から一貫して外れているその感覚のことだからだ。ファッションというと、まず着飾るイメージがあるが、ファッションとはほんとうは社会を組み立てている規範や価値観との距離感覚であり、ひいては自分との距離感覚であるとおもう。((2005年)鷲田清一『ちぐはぐな身体─ファッションって何?』164ページより引用)
上記引用も踏まえて、ファッションは自分を着飾るイメージでしたが、社会との距離感、自分との距離感覚を掴むものでもあるんだなと納得しました。だから、私も黒い服を着れば強くなれると勝手に思っていたし、これからも勝手にそうしていこうと思っています。また、ファッションという言葉自体が記号として消費されがちですが、実はこんなに奥が深く社会と繋がっているものなんだなとあらためて考えさせられた一冊でもあります。
ファッションに興味がある人はもちろん、自分の身体とは一体何なんだ、なんで服を着るんだろうとふと思った方にもおすすめです。
それでは今週はここまで。来週もよろしくおねがいします。
※「本と生活と。」は毎週水曜日更新予定です。
1993年生まれ。SWスタッフ。もともとクラリネットとドラムをやってました。音楽以外の好きなもの:本、映画、動物、ドラマ、Netflix、Hulu、ぬいぐるみ、文房具など諸々たくさん。モルモットのごまちゃんと生活してます。30歳になるまでに本屋さんの開業を目指しています。