人は一晩で5つぐらい夢をみるらしい。
私はよく夢を覚えている。一般的には多くても3つぐらいまでがスタンダードらしいのだけれど、私は5つ覚えていることもある。あまりに夢ばかり見るので、子どもの頃から夢日記をつける習慣があり、学生時代には夢をそのまま作品に落とし込むこともあった。「口から花が永遠に湧き出る」「目に大きすぎる派手な色のコンタクトを入れる」「柱の周りをカラフルで半透明な鬼がぐるぐると盆踊りをしている」etc……。ところが夢で見たものをそのまま作品に昇華することは、実際にやってみると案外難しい。どうしても辻褄を合わせたくなってしまい、それが邪念になるのだ。
今回は夢をそのまま作品におとしこんだと言われる漫画家・つげ義春の作品について、彼の大ファンでありオマージュ作まで制作している写真家・マキエマキ氏、つげ義春作品に初めて触れた音楽家・川内啓史氏、「ひょっとして、つげかな? 現象」を繰り返す私・近視のサエ子の3人で語らった。
おりしもこの収録をした数日後につげ義春氏が旭日中綬章を受章されたことを嬉しく思う。つげ義春さま、おめでとうございます!
文&構成:近視のサエ子
鼎談:マキエマキ×川内啓史×近視のサエ子
川内啓史:僕はこの度初めてつげ義春を知りました。『ねじ式』を読んだんですけど、1回では何が何だか理解できなかった。不思議な漫画です。見どころを教えてください。
近視のサエ子:私は美大で映像を学んで、卒業後は映像編集者やデザイナーとしてお仕事してたんですけども、周りのクリエイターはつげ義春さんに影響を受けた人がすごく多いです。
マキエマキ:そうだと思います。そもそも『マキエ式』を制作する以前から、昭和の場末感のある場所でロケをすることが多くてですね。「なぜこういう景色が好きなんだろう」とふと振り返ったときに、「ひょっとして、つげかな?」と、自分が影響を受けていることに気がつきました。
近視のサエ子:「ひょっとして、つげかな? 現象」ありますよね。私は「ひょっとして、つげかな?」もあるし、「ひょっとして、横尾忠則かな?」も、「ダリかな?」もありました(笑)。学生時代に課題を先生に見せたら「お前、『ねじ式』を読んだんだろう?」って言われましたから(笑)。
マキエマキ:クリエイターはみんな通るんですよね。
近視のサエ子:マキさんはつげ義春大ファンで、「テーマ・つげ義春」を掲げた『マキエ式』を発表されていますが、このタイトルは『ねじ式』からですよね。他にもいっぱいある中でなぜ『ねじ式』を?
マキエマキ:やっぱりつげ義春といえば『ねじ式』ですよ。「まさかこんなところにメメクラゲがいるとは思わなかった」がやりたかった。『ねじ式』の冒頭シーンは空が曇っているんです。不穏な感じの空模様なので、『マキエ式』の撮影も曇りの日を狙いました。そうしたらほんとにあの漫画の絵みたいな不穏な曇り空にあたりまして。自分では操作できないところまで味方してくれたので「やった!」という感じがありました。
マキエマキ:『ゲンセンカン主人』で舞台になった温泉にも行きました。効能がすごくわかりやすい温泉です。とってもひなびた温泉で、温泉地っていうと卓球場があったり、射的があったり、お土産屋があったりとみなさん考えると思うんですけど、本当に何もない。見事に何もない。
近視のサエ子:『ゲンセンカン主人』に出てくる温泉はめちゃくちゃおどろおどろしいです。
マキエマキ:お風呂で女将が男に迫られるんですけど、女将がお湯で「へやで」って書いて、男を待つ間に女将はお化粧をして白粉を塗ってキセルをふかしながら待っている。
近視のサエ子:あの待ってる時の顔にゾクっとしました。
マキエマキ:一説によれば、江戸時代は外から人が入ってくるのが珍しくて旅人に娘を差し出したりもあったと。集落の中で生活をしていると血が濃くなってしまうから、余所者の血を入れなきゃならないと。それで外来者に娘を差し出す。そう言う風習みたいなものが背景にあったかもしれません。『ゲンセンカン主人』に出てくる女将さんは、男手が入ってくることを歓迎すべきこととしてお化粧をしているのではないかと私は解釈しています。
近視のサエ子:私は高校卒業してから一年ちょっとくらい別府に住んでました。温泉宿でアルバイトをしてたんですけど、派遣で人手が足りない宿に行くんです。だからいろんな宿で働きました。その中で温泉街の脈々と受け継がれてきた独特の風習みたいなものに触れることが結構あって。つげ作品との出会いは別府を離れてからなんですけど、初めて読んだ時は別府での生活を思い出しました。温泉宿の独特の空気と、ご老人たちが入っているような地元のお風呂場っていうんですか……。
マキエマキ:いわゆる「ジモ泉」ってやつですね。
近視のサエ子:そうですそうです。私が別府にいた頃は100円とか10円とかを箱に入れて、洗い場もないんですよ。温泉しかない。 無人で。
マキエマキ:湯船と、床と、脱衣所。その脱衣所と風呂の間に壁もない。 そこで地元の人と会話したりね。
近視のサエ子:そうそう、そういうところに日常的に入りに行ってたんですけど、古い建物だし、隙間風が吹いていたり、雨漏りがあったりもする。地元のお年寄りがまさにつげ作品にも出てくるようなご近所のあれやこれやみたいなお話をしている横で、チャポンと。つげ作品を読むと、そういう空気を思い出しますね。
つげ義春はシュルレアリスムと呼ばれることが多いが、非日常の中にポツンと現れる超現実的な描写が魅力的
近視のサエ子:現実味というと、私が好きな『事件』っていうお話があるんですけど。それもただ都会から移り住んできたカップルが、田舎の田んぼ道で車が側溝みたいなものにハマってしまって立ち往生しているのを眺めている。
川内啓史:助けたりしないんですか?
近視のサエ子:ただ見ているだけの話なんです。ご近所の方がざわざわと集まってきて、まだ車の中にいる事故を起こした人を前に、どうでもいい近所の会話が繰り広げられる。
マキエマキ:「あのババア、ゴミ捨てたらうるせえんだよ」みたいなことをね。
近視のサエ子:今目の前で事故に遭ってる人の前で。そして大きなオチもない。警察がやってきて車のドアを開けようとするんだけど、そしたら中にいる人が車に火をつけてしまう。それを眺めながら「なんで火をつけたんだろう?」「つけたかったんだろう」みたいな会話をするんです。
川内啓史:時代背景として、戦後の重苦しさとか感じますね。僕はその作品を読んでいないですけど、そういう年代なのかなと。自分と直接関係ない人への扱いというか、感情みたいなものを陰の方向でリアルに描いている。
近視のサエ子:そうなんです、時代かなって。人が死んだりとか、男女の営みがあったりだとか。そういう性と死があまりに身近に息づいている。日本社会がそんなに裕福じゃなかった時代に、性と死が身近にあって、でもそれをつげさんはドラマティックには描かない。ただの日常でしかない。
マキエマキ:そうですね、淡々と日常を描いています。
川内啓史:僕は今回初めてつげ作品に触れましたけども、『ねじ式』と『ゲンセンカン主人』を読んだら、次は何を読めばいいでしょう?
マキエマキ:『ゲンセンカン主人』を読んだら、そこから『やなぎ屋主人』を読んでほしいです。というのはですね、つげさんが蒸発旅に出たことがあって。ある日突然ふっと行方不明になる蒸発。それで九州まで行って、あちらの女性と暮らそうというところまで行くんです。でも結局帰ってきちゃうんですね。で、その旅の後に書いたのが『やなぎ屋主人』なんです。描き方は違うんですけど、『ゲンセンカン主人』のセルフオマージュという説があります。つげ義春・蒸発シリーズです。
川内啓史:旅情の中で生まれた作品なんですか?
マキエマキ:そうですね。でも『やなぎ屋主人』では食堂の娘さんといい仲になって、そのままそこに住み着いてしまう。主人公は「そこの主人にでもなるか」っていう妄想をするんです。その妄想が『ゲンセンカン主人』ととても似てるんですね。つげさん自身も実際に九州で現地の女性といい仲になって、このまま九州に住もうかってなったみたいです。でも戻ってきちゃったという。
川内啓史:姉妹作だ。読んでみます。
近視のサエ子:啓史くんは蒸発しないでね。
川内啓史:僕はしないです(笑)。
マキエマキ:私はつげ作品を制作してから蒸発願望がすごいです(笑)。
近視のサエ子:マキさんも蒸発しないでください(笑)。
*この記事は漫画編集部で働くアーティスト・近視のサエ子と、漫画好きなベーシスト・川内啓史が漫画について語らう J-WAVE Podcast「推しに願いを -Wish Upon A Star」で2024年11月5日に公開された「#31 つげ義春 作品を写真家・マキエマキさんと語らいます!」の未収録箇所を編集加筆しました。文脈の都合上、冒頭は未収録ではなく本編から引用・再編しています。トークの全容はJ-WAVE Podcast「推しに願いを -Wish Upon A Star」をお聴きください。
PROFILE
つげ義春
漫画家。日常と旅をテーマにしたリアリズムものが多い。『ねじ式』をきっかけに夢と現実がごちゃ混ぜになったような超現実的な幻想的作品が増えていく。
マキエマキ
1966年大阪生まれ。
セルフポートレート写真家。
49歳でセーラー服姿のセルフポートレート写真を撮り、そこから昭和の場末という世界観のある写真を発表。50歳の時に山頂でホタテビキニの姿で写真を撮り注目される。写真集、著書を発売、個展も頻繁に開催。その中で、つげマンガの聖地を背景に紡ぐシリーズ「マキエ式」も制作。
川内啓史
1985年札幌生まれ。
音楽家・ベーシスト。
角松敏生、SPEED、広瀬香美などのツアー演奏・サポートの他、師匠である梶原順とのトリオ「川成順」でのライブ活動。
近視のサエ子
兵庫県西宮市出身。
音楽家、映像作家、ビジュアル表現者、ラジオパーソナリティ。
地上波お笑い番組の映像編集者、カルチャー雑誌の編集者を経て独立。マンガの広告プランナー・クリエイティブディレクター・広報等を勤める。