学生のとき、わたしの成績は良い方だった。
もともとわたしが勉強したいと思っていた分野の学校を選んだおかげで、勉強が好きだった。
親や先生に1位を目指しなさいと言われたことなど1度もなかったけれど、常にクラス1位を目指していたし、学年1位も目指していた。容易ではなかったし、勝手に自分自身へのプレッシャーに怯えて泣きながら勉強をした日もあったけれど、結果的にいま思えば勉強が好きだったと思う。
だから、そんなわたしが「音楽をやりたい」なんて言うことは、普通に考えたらおかしなことだった。
わたしが通っていた学校では、進学する人もいれば、就職する人も多かった。
進学を選ぶ人の多くは、この学校の分野をさらに勉強する。もちろんそれ以外の分野を選ぶ人もいたけれど、わたしの記憶が正しければ、音楽の道を選ぼうとしていたのは学年でたったひとり、わたしだけだった。
良い就職先が決まれば、本人にとってはもちろん、学校にとっても先生にとっても誇らしいことだ。だからわたしは、進路活動が始まり、三者面談が始まる頃、覚悟していた。
「成績がいいんだから就職しないなんて勿体無い」と言われることを。
そして、「音楽なんて」と言われることを。
それなのに、わたしの担任の先生は、そんなことを一言も、一文字も言わなかった。
わたしの進路希望を素敵だと言ってくれた先生の目が、まっすぐできらきらしていたことをいまでも鮮明に思い出せる。素敵ですね、けいこさんらしい、と。
「普通に就職したあと、やっぱりやりたいからって、演劇を始めた知り合いがいるんですよ」
「本当にやりたいことがあったら、一度それを諦めても、結局そこに戻る人もいる」
「だから、好きなことをやった方が良い」
母親とわたしに、先生はそう話してくれた。
先生はわたしが音楽が好きだということを知ってくれていた。
わたしは勉強で1位を目指しながら、週に3回吹奏楽部でトランペットを吹いて、週に2回軽音楽部でギターを弾きながら歌っている時期もあった。それを先生は見ていてくれた。
わたしがアイドルとしてデビューしてからも、CDを出した時、雑誌に載った時、事あるごとにその先生には手紙と一緒にCDや雑誌を送っている。その度に先生は優しい色の便箋や年賀状に、当時黒板に書いていた字と何も変わらない字で、返事を書いて送ってくれる。
先生はあのあと、別の学校で副校長先生になったらしい。
SOMOSOMOとしてデビューする前、『SOMOSOMO』の名前すらもなかった頃。
真面目で優秀な4人の兄姉に囲まれて育った5人兄弟の末っ子、唯一年の離れたわたしが、就職をして安定することもできたはずの学校に通ったあと、音楽の勉強をしたいだなんて言って、挙句の果てには「アイドルにならないかと言われた」だなんてとんちんかんな人生を歩もうとしている時、母親はわたしに言ってくれた。
「好きなことをやりなさい」と。
きっとその「好きなこと」には、何でもかんでも含まれていたわけではないと思う。
でもきっと、それまでにわたしが歩んできた道を見て、わたしのことを、母親は信頼してくれたのだろう。
こうやってわたしはいまこの瞬間までも、音楽を続けることができている。
わたしは恵まれている。人にも、環境にも。
わたしには、わたしのことを見ていてくれる、わたしを大切にしてくれる人がいる。
学生のときからいまもずっとわたしはわたしに対して、がっかりしたり、卑下したり、情けない気持ちになったりする。その上一時期、そんなわたしを正しいと思っていたことさえあった。
でも、最近思う。
わたしがわたし自身を大切にできないことは、わたしを大切にしてくれる人を大切にできていないことと同じなんじゃないか。
自分自身を大切にすることは、すごく難しいことだと思う。
大切にすることと、怠けることの境界線が分からなくなってしまう。
謙遜することと、卑屈になることの境界線が分からなくなってしまう。
こんなことを考えていることすらも、自分本位でただの自己満足でしかないような気すらする。
逆の立場で考えてみる。
例えば家族、友人、恋人、仕事仲間、それ以外にもどんな関係性であろうと、自分が大切にしているその人が、その人自身に対してがっかりしたり、卑下したり、情けないと言っていたりしたら?
わたしだったら、そんなことないよ、と思う。そんなこと言わないで、と思う。
わたしがわたし自身にそう言うよりもずっと、その人がその人自身にそう言う方が、わたしは苦しい気持ちになる。
わたしを大切にしてくれる人を大切にしたいから、その人を大切にしながら、わたしのことも大切にできるようになりたい。
最近、実はずっと勉強してみたかった分野の勉強を始めた。
いつかこれが将来や誰かの役に立ったらいい、そしてもっとわたしを大切に思えたらいい。いますぐには難しいけれど、わたしを大切にできる理由を、わたし自身で増やしていきたいのだ。
わたしが大切な人へ送りたい、そしていつかは、大切な人からわたしへ送って欲しい曲を。