
大都会が苦手だ。
それなのに、わたしはきょうも新宿に向かっている。
色々な色や光、音や匂いが混ざりあって、予測できない時に予測できない方向に縦横無尽に、人や物が動き回る。新宿や渋谷のような、東京のなかでも特に人が多く集まる場所が苦手だ。
誰か信頼できる人と一緒にいるのであれば、安心もできるし気も紛れるからまだいい。ひとりでいてもまあ、その最中にいるときは耐えるしかないから耐えられる。
でもどうしても、最寄り駅に着いたり家に着いたりして安心した途端、どっと疲れに押し潰される。ひどい時はなんとか家に着いて荷物を置いて、そのまま立てなくなり動けなくなってしまう。
しかもこれの1番厄介なところは、この苦痛は、同じ感覚を持ち合わせている人にしか分かってもらえないところだ。生き辛い。
それでもわたしがきょうもそんな場所に向かうのは、その先にあるライブハウスに向かうためだ。
ライブハウスが好きだ。
整合性の無い音や光や人はそこにはなくて、音も光も音楽を主軸としていて、それを目的に集まる人しかいない。わたしに興味がある人もいない。周りの目を気にする必要がない。フロアにいる人は全員ステージを見ていて、ステージにいる人は全員フロアを見ている。
人混みを掻き分けた先にあるそれは、学校や街中より窮屈ではなくて、でも家より刺激的な、日々を生きるご褒美であり、避難場所のような、秘密の居場所だった。
わたしがわたしでいられる場所だ。
友人からの遊びの誘いを断るようになり、家で好きなバンドの音楽を聴いたり映像を観たり 月に数回ライブハウスに行くことの楽しさを覚えた頃、それと同時に少女漫画誌やファッション誌も卒業して、音楽雑誌を買うことが好きになった。
その中で、各アーティストへのインタビュー記事の端に書かれていた、質問のひとつが何故だか印象的だった。
“あなたにとってロックとは?”
小学校では音楽クラブに入り、中学校に上がって吹奏楽部、高校に入って吹奏楽部と軽音楽部を兼部するようになったわたしは、音楽は聴く側でもあり聴かせる側でもあるものだった。
そのせいか、『あなたにとってロックとは?』という質問を、聴く側として知るものではなく、聴かせる側として答えるとしたら、わたしだったらどう答えるだろうか、とよく考えていた。
わたしがいちばん最初に思い付いた答えは、『わたしがわたしでいられる場所』だった。
先日、初めてのバンドセットツアーが終わった。
いままでに何度かバンドセットでライブをさせていただいてきたけれど、毎回どんなに少なくとも1回は「ケイコちゃん、すごく楽しそうだった」と言われる。
無意識だ。確かにバンドセットでのライブは滅茶苦茶楽しい。あの頃フロアにいたライブハウスの、ステージにいまはいられている。あの頃こっそり思い描いていたバンドをやりたいという夢を、あの頃思い描いていた形とは違えど、叶えられている。
でもきっと、それよりももっと単純に、わたしがいちばんわたしでいられるからなのかもしれない、と思う。
どんなに生き辛くても、誰にも分かって貰えなくても、ひとつでも救いがあって良かったと思う。
少なからず無理をしなくては生きていけないような日々だけれど、ひとつでもわたしがわたしでいられる場所があって良かったと思う。
そして、それを守りたいと思う。守らなくては、わたしがわたしでいられなくなってしまう。
自分が自分でいられる場所は、自分が自分を大事にできる場所だ。もしこれを読んでいる誰かがいるとしたら、そんな場所がありますようにと思う。その場所がずっと守られますように。
そしてあわよくば、その場所にわたしがいたらいいなと、ほんの少しだけ願っている。



