watch more

【連載】ツクヨミ ケイコ「大丈夫、わたしには音楽がある」Vol.16 こんな夜に

StoryWriter

大好きなはずのアーティストのMVを、最後まで観る前に閉じてしまった。本棚の隣でこれを書いているいまも、本を開くどころか本を手に取る気分にすらなれない。Instagramに現れた、暖色を纏ってにこにこ笑う知らない女の子のアカウントを見て、泣きそうになっている。

こんなことをしている場合では、無い。

締切をとうに過ぎている。

わたしはいまの自分がとにかく嫌いだ。

理由は明確だ。

もともと嫌いな自分を許せる基準は、自分を好きになれるように頑張れているかどうかなのに、いまのわたしは絶望するほどにうまく頑張れていない。

むかし、尊敬しているクリエイターのブログに書いてあった「これ、わたしはまずいと思うけどあげるねって言われて、喜んで食べる人いないでしょ」という言葉が、わたしはずっと忘れられない。

誰かに何かを勧めるのは、自分がそれをいいと思ったから、のはずだ。だから、自分を誰かに勧めるのなら、自分で自分を良いと思えなくてはならないのだ。

じゃあどうして頑張れないの? それは、それまでずっと掌に溜め込んできた塵たちが、知らないうちに両手いっぱいになっているような感覚。きっとみんななら手をぱんぱんと払ってその辺に捨ててしまうような塵を、わたしはわざわざ正しいゴミ捨て場を探していつまでも彷徨っているような。予期せずやってくる鬱々とした日々は、わたしにとって、そういうものだ。

繊細だ、と言えば聞こえがいい。コレが役に立つときもある。ただ、いまのわたしにとっては厄介でしかない。他人からすれば「そんなことで?」と言われてしまうだろうと、容易に想像できるようなきっかけで、眠れなくなったり、起きられなくなったり、立ち上がれなくなったり、大好きなはずのものたちから目を逸らしてしまいたくなるのだから。こんなことを思っている自分ですらも、学ばない被害者面で嫌になる。

そしてそんな時に限って、自分で自分に追い打ちをかけるように、嫌な記憶をひとつひとつなぞるように思い出してしまう。気にしなくたっていい。そんなことは分かっている。

でも、それができたのなら、こんな夜は来ないはずなのだ。

こんなことを言ってはいけない、思ってはいけない、わたしのことを好きでいてくれる人がいるのだから、こんなことを言っては、思っては、確かに存在しているわたしを大事にしてくれる人達があまりにも可哀想だ。分かっている。でもそうじゃない。そういうことじゃない。

やはりどうしてもわたしは、ふとわたしを見返して、反吐が出る。

24時間毎時間毎分毎秒自分と一緒にいる自分は、自分の嫌な部分を誰よりも突き付けられるのだから。

わたしは、いつでもにこにこ笑っている女の子になりたかった。格好悪くない、情けない人になりたかった。なんならいまこの瞬間も、まだそれを諦めきれずにいる。それが無理ならばせめて、自分を好きになれるように頑張れる人にならなくては。誰かに自分を、勧められるように。

こんな夜にもうひとつ思い出すのは、「頑張れないって、頑張れることより苦しい」と言った愛するバンドのボーカリストのことだ。誰にも言えなかった苦しみを、分かってくれた人のこと。会話は相手にだけ届く。それに対してステージから放ったものは不特定多数に届く。

そういうものに、この曲がなれたらいい。わたしのこんな夜が、わたし以外の誰かにもあるのだとしたら。

この曲にはきっと、未来が変わるような結論はない。肯定したい、肯定されたい、という気持ちはあれど、肯定も否定もしていない曲なのかもしれない。

ただ、こんな夜を、否定しなくたっていいと、そう思えますようにと祈りを込めて。

PICK UP