
2017年に上梓した『夫のちんぽが入らない』(扶桑社)で、多くの読者に強い衝撃を残した文筆家・こだま。その後はエッセイを中心に、数多くの作品を描き続けている彼女が、今回、新作小説のテーマに選んだのは「障害を抱えた高校生と、その周囲の人々」。タイトルは『けんちゃん』(扶桑社)。かつて特別支援学校で働いた自身の経験をもとに、障害をめぐる視線と、そこに生きる人々たちの「自立」を丁寧に描いた連作小説だ。「経験していないことを書くのは苦手なんです」と語る彼女が、空想と現実のあわいで見つけた“書く理由”とは。最終章を執筆中のタイミングで東京を訪れていたこだまに、話を聞いた。
取材&文:西澤裕郎
自然体のままで周囲の生き方に影響を与えるけんちゃんのような存在
――2020年に取材させていただいた際、「次は小説を書こうと思っています」とおっしゃっていましたよね。それが、今作につながっているのでしょうか。
こだま:そうなんです。『夫のちんぽが入らない』を書き終える頃に、編集担当の高石さんからお話をいただいていて。私自身も次に書くとしたら“けんちゃん”だなと思っていました。構想はずっとあったんですけど、なかなか書けなくて。やっと今になりました。
――けんちゃんには、モデルになった人物がいるんですか?
こだま:私が特別支援学校の寄宿舎で働いていたときに、とてもユニークで、枠にとらわれず、のびのびとした男の子がいたんです。もちろん、そういう子は他にもたくさんいたんですけど、自然体のままで周囲の生き方に影響を与える彼のような存在をテーマにした小説を書いてみたいなと、なんとなくずっと思っていました。
――それほど印象的な出会いだったんですね。
こだま:『夫のちんぽが入らない』でも書いたように、私はもともと「こうしなければいけない」とか、「普通はこうであるべき」という考えにとらわれていた時期がすごく長かったんです。でも、寄宿舎の子どもたちは、全然そんなこと気にせずに自分のやりたいことを素直に表現していました。「あ、そうやって生きていいんだ」って、私のほうが学ばされることが多かったんです。
――『夫のちんぽが入らない』は私小説的な作品でしたが、『けんちゃん』もそれに近い感覚で書かれたのでしょうか。
こだま:舞台となっている施設の風景や空気感は、実際に自分が働いていたときに見てきたものなんですけど、自分のことは私小説としてなんでも書けても、子どもたちのことをそのまま書くのには抵抗がありました。なので、小説という形をとっています。モデルになったような人たちはいますが、ほとんど創作として書いています。
――私小説やエッセイと、小説ではアプローチの仕方が違いましたか?
こだま:全然違いましたね。私はずっと匿名で顔も名前も出さずに書いているので、エッセイでは本当に何も気にせず、そのまま書けているんです。躊躇もなく、思ったことを全部出せる。でもそのせいで、小説のように物語を膨らませることが本当に苦手なんだということに気づいてしまいました。書こうとしても何も書けない。そのまま書くとエッセイになってしまうから、できるだけモデルになった子が特定されないようにしたい、という気持ちもあって。でも、それがうまくいかず、納得のいかないまま何年も経ってしまいました。エッセイは慣れもあって気楽に書けたけれど、小説はどう書けばいいのかわかりませんでした。一章を書き上げるだけでもすごく大変で。そこにたどり着くまでに、ものすごく時間がかかりました。
――最初に「これでいける」と手応えを感じたのは、いつ頃だったんでしょう。
こだま:2年くらい前ですかね。そのあと1年くらい直し続け、高石さんに見せたときに「なんとなく形になったな」と思えました。そこからは、最初の一章を書き上げて勢いがついたのか、わりと早く進みました。
――なかなか書けなかったというのは、文章的なことなのか、内容の部分なのか。どちらの意味で難しかったんでしょう。
こだま:内容や流れは、もうずっと頭の中にはあったんです。でも、それを文章にすることができなかった。どう話をつなげるか、どこで区切るか、そういう部分がすごく難しかったです。エッセイだと、短い中で“ぱっ”と始まって“ぱっ”と終わるじゃないですか。だから、小説のように丁寧に積み重ねて書くというのが、本当に苦手で。そこにすごく戸惑っていました。
――こだまさんの文章ってすごく流れるようで、読んでいると“文章を読んでいる”という感覚を忘れるくらい心地いい。今作もそう感じたので意外です。
こだま:そうやって読んでもらえるのは、本当に嬉しいです。でも、自分では納得できないんですよ。長年、自分の文章を知っているだけに、「これもまだ変じゃないか」と疑心暗鬼になっていました。書いては直し、また最初から書き直す。その繰り返しでした。
小説を書くことにはコンプレックスがあった

――冒頭の一文「トングも自立するんだってさ」という描写も印象的でした。あの描写が生まれるまでにも、時間がかかったんですか。
こだま:あれを書いてからまだ1年も経っていないくらいです。最初は、あの部分がまったくない状態で書き始めたんですけど、「家を出る」という象徴的な出来事をどう描こうかと考えていました。それで、自立する文房具――筆箱とか、ポンと立つタイプの道具を見るたびに、「いいな、こんなふうに簡単に自立できて」と思っていて(笑)。その“自立するなんとかシリーズ”が、ずっと頭の片隅にあったんです。それで、これを冒頭に書こうと。物語全体のテーマのひとつとなる「自立」を印象付けたくて、あのトングを置くことにしました。
――エッセイのときもそうですが、こだまさんの観察力ってすごく鋭いですよね。ずっとエッセイを書き続けてきたからこそ、創作に挑むときに苦労もあったのではと思います。
こだま:よく「エッセイも小説もそんなに変わらないじゃない」と言われるんですけど、自分の中では全然違うんです。小説となると、やっぱり構えてしまう。
――それは、こだまさんの中で小説へのリスペクトの大きさも関係しているのでしょうか。
こだま:そうだと思います。自分はそっち側に行っちゃいけないような気がしていて。エッセイのほうがずっと書きやすいし、自分の体験を書くことのほうが性に合っているだろうなと思っていました。それに、文章をきちんと学んできたわけでもないので、やっぱり小説を書くことにはコンプレックスがありましたね。
――『けんちゃん』は、けんちゃんを軸に、いろんな登場人物の視点で物語が展開していきますが、そうした構成も最初から考えていたものだったんですか。
こだま:最初から連作にしたいと思っていました。けんちゃんは章の主人公にしない。自分の気持ちを語らないという構想は初めからありました。その代わりに、けんちゃんを見ている人、少しでも関わった人たちの視点から、少しずつ彼の違う側面を描いていく。そんなふうにして、読者の中にけんちゃんの像が立ち上がっていけばいいなと思っていました。
――けんちゃんは、とても天真爛漫で自由な存在ですよね。
こだま:私は、けんちゃんみたいに、素直に怒ったり、嫌な気持ちをちゃんと吐き出したりできない人間だったので、書いていて羨ましかったです。嫌なことから素直に逃げることもできるし、感情をまっすぐに出せる。それをけんちゃんに託して、大暴れさせているときは楽しかったですね。
インタビュー後編に続く(12月19日公開予定)
■書籍情報

こだま
『けんちゃん』
発売日:2026年1月20日
Amazonリンク:https://www.amazon.co.jp/dp/4594101798
こだま X:https://x.com/eshi_ko



