
他人が好きなものに対して、良いね、と言うことに抵抗がある。
例えばそれを、心の底から良いと思っていても。
わたしがこう思うときのほとんどは、音楽に対してだ。
例えば、友人が好きな音楽を聴いてみたとき、どっぷりとその音楽の沼にはまることがある。でも、それをその友人に伝えることを躊躇ってしまう。
この音楽がもし、この人が人生で初めて好きになった音楽だったとしたら。
この音楽がもし、人生で誰よりも何よりも大切な存在だったとしたら。
この音楽がもし、この人が本当に人生のどん底にいたときに聴いて、救われた音楽だったとしたら。
わたしが「いいね」「好きだよ」と言うことは、その音楽の本当の良さなど1mmも分かっていない、薄っぺらく、安易で、浅はかな発言なのではないか、と考えてしまう。
以前、仲の良いアイドルグループがわたしたちSOMOSOMOの楽曲をカバーしてくれたことがあった。何曲かカバーしてくれたなかで、そのうちの一曲に対して、ひとりのメンバーが「この曲をカバーするの、最初は反対していたの」と話してくれた。
「SOMOSOMOさんにとって、この曲は大切な曲だから」と。
アイドルグループが他のグループの楽曲をカバーするということはよくあることで、わたし自身もやらせていただいたことは数えきれないほどあるし、わたしたちの楽曲をカバーしていただいたこともたくさんある。それでも、そんなことを言葉にして伝えてくれた人に出会ったのは初めてだった。ライブ中、その曲で他のメンバーが歌詞を飛ばしてしまったとき、即座にカバーしてくれたのは、その子だった。
わたしはそういう、理由のある愛に、安心するのかもしれない。
メンバーのヒヨリの生誕祭で、ヒヨリがメンバー全員でつきみの「消えないで天使」という曲を歌わせてくれた。
ヒヨリがどれくらいこのバンドを好きなのか、聞かずとも伝わってくるくらいだった。それでも、どういうきっかけで、どういうところが好きで、どんな曲の、どの部分が、どんな風に好きなのかなんて、何にも知らない。だから最初は言えなかった。わたしはこの曲を、文字通り一日中聴くくらいに好きになっていたこと。
生誕祭の少し前、撮影の合間にメンバーとこの曲を練習していたとき。この曲良い曲だね、と言うと、ヒヨリが「本当? よかった!」と嬉しそうに、安心したような顔で言っていたことを、わたしはずっと忘れられないでいる。
冒頭に書いた通りわたしは、誰かが好きな音楽に対して、良いね、ということに抵抗がある。
でも反対に、わたしが好きな音楽を誰かに「良いね」と言われたら嫌かと言われたら、全くそうではない。冷静に考えれば、辻褄の合わない話なのだ。
だからもしかしたら、そう思っていては、勿体無いこともあるのかもしれない。
良いねと伝えるなら、ちゃんと愛を持って理解をして伝えたい。それに嘘偽りはない。でももっと素朴で、直感的で、単純明快に、何かを好きだと言ってもいいのかもしれない。
出会うきっかけも、理由も、何だっていい。もはやなくたって、忘れていたって、いいのかもしれない。
視聴者ではなく演者として考えても、自分たちの音楽を 良いね、と言われて嬉しくなかったことなんてあるわけがないのだから。



