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【連載】ヨコザワカイト「digる男。」Vol.32「寂しい僕は『狂(KLUE)』を聴く」

StoryWriter

お世話になっております。株式会社SWインターンのヨコザワカイトです。

先週は、「Chillしてる場合じゃない」という言葉を中心に、今僕が大学生として生きている感覚について書いてみました(ヨコザワカイト「digる男。」Vol.31「ボーッとする世代」)。

どこかうまくいっていない社会に対してChillしてる場合じゃないと問題意識を覚えつつ、かといって声を上げるほどの熱量を持たない今の若者たち。そこには、若者が抱える寂しさがあるのではないでしょうか。

2017年に全国の18歳~29歳の男女1000人を対象におこなわれた「若者の消費トレンドに関する調査」では、77.1%が「コミュニケーションは便利になったが、表層的な感じがすることがある」と答え、68.3%が「寂しさを感じる時がある」と答えています。

繋がっているようで繋がっていない。Frank Oceanに代表される世界的に内省的なヒップホップが流行ったのも、「寂しさ」という感情に通じるものがあると思います。

こんな時代を切り取ろうとした作品が、2020年の日本でも生まれました。それが、GEZANの『狂(KLUE)』です。

このアルバムだけではなく、GEZANのマヒトゥ・ザ・ピーポー(Vo.)がどの作品でも通底して訴えているメッセージに「それぞれがそれぞれの命を全うする=ちゃんと存在する」というものがあります。寂しいからこそ何かに偏るのではなくて、個を確立して対等に向き合うこと。その姿勢が『狂(KLUE)』で改めて表現されています。

トライバル・ビートに乗せて狂う(KLUE)ことで、CREWから脱却する。つまり、CREWを前提に話さないということ。そして、全てを忘れる様にトランスして個を抜け出すのではなく、個を確立する=確かに立つ。“当たり前”から抜け出して個を確立した上で、みんなが対等に向き合い存在する状態を目指していることがはっきりと記されています。

それは、投げ銭制 / フードフリーという抜け出しのロジックを実現した〈全感覚祭〉の開催という表現にも表れていました。あれは、マヒトなりの社会に対するモヤモヤのぶつけ方だったのでしょう。あの日の熱狂は、この時代の寂しさを切り取った物語でもありました。

 

 

収録曲「東京」には、〈新しい暴力を〉という歌詞があります。ここで1つ、彼が目指すのは狂った先の暴力ではないことは前回に引き続き押さえておくべきでしょう。寺尾紗穂編エッセイ集『音楽のまわり』で、マヒトは「正しさは暴力と似ている」と綴っています。対等に向き合う状態を提案しているだけというスタンスで、反体制的な暴動を起こそうと扇動してはいません。暴力を否定した先の新しい暴力とは何なのか。そんなものはあるのか。マヒトはそこから、脱構築するために答えを探し、もがいているようにも見えます。

GEZANが提案した『狂(KLUE)』は、寂しさを抱える若者を救済するメシアではなく、方法論として寂しさを溶かす可能性に満ちています。しかし、本当に世界は寂しさから脱却することができるのでしょうか。僕に分かりません。

※「【連載】digる男。」は毎週月曜日更新予定です。

ヨコザワカイト(よこざわ・かいと)
1997年生まれ、千葉県出身。大学では社会学を専攻している。株式会社SWで学生インターンをしながら就職活動中、そして迷走中。ガガガSPが大好き。

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