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俺たちはあの日の俺たちと抱きしめ合える日を夢見てる──paioniaが辿った音楽人生の現在地点

StoryWriter

コロナ禍によりライヴハウス自粛が本格化する直前の2020年3月6日(金)、野外音楽フェス〈りんご音楽祭〉のライヴオーディション「RINGOOO A GO-GO 2019」グランプリを決定するライヴショーケース「ゴーゴーアワード」が、渋谷TSUTAYA O-nestにて開催された。例年、来場者による投票も行われているが、今年は新型コロナウィルスの感染拡大防止をはかり、音楽関係者のみが会場を訪れ審査を行った。そんな中で見事に対象を獲得したのが、東京拠点に活動するバンド、paioniaだった。

福島県で生まれ育った高橋勇成(Vo/Gt)と菅野岳大(Ba)が中心となり、2008年に結成されたパイオニア。2011年11月バンド表記をpaioniaに改名し、2018年8月にはFUJI ROCK FESTIVAL’18「ROOKIE A GO GO」への出演も果たしている。オルタナやグランジに影響を受けたギターサウンドをベースに、日本の情緒を感じさせる歌詞やメロディと、魂を震わせるような一心不乱なライヴで、審査員たちだけでなく、ライヴハウススタッフの心も動かした。

なにを隠そう本記事のインタビュアーである私も当日、審査員として会場に足を運んでいたうちの1人だ。コロナウィルスの全貌がまったく見えない中で多少の不安を抱えつつライヴを観ていたが、コロナウィルスについてMCでまっすぐに触れ、不安をかき消すような大きなサウンドを鳴らし歌う彼らの姿に雷を打たれた。その熱覚めやらぬまま「StoryWriter賞」を彼らに渡し、インタビューの約束をした。

paioniaの鳴らす音楽は間違いなく最高だ。こういった状況下でも深く心に突き刺さった音楽を忘れることができない。本格的にライヴのできる日はまだ定かではないが、一刻も早く彼らのライヴを体感したいと心から願う。このインタビューをお読みいただいたあなたにもぜひ体感してほしいと強く願いながら、彼らについて少しでも知ってもらえたら嬉しく思っている。

 

取材&文:西澤裕郎
写真:大橋祐希


少なくとも僕のモチベーションは頑張るぞ! みたいになっていなかった

──いきなり失礼な質問だったら恐縮なんですけど、活動初期のアーティスト写真から比べて、高橋さんの見た目がだいぶ変わったなと思いまして。この数年間で、どういう心境の変化があったんでしょう?

高橋勇成(以下、高橋) : 歳をとったというのもあるんですけど、前は見た目で判断されがちだったというか……。聴いてくれる人たちの間口を広げたくてこういう見た目になった部分はあります。逆に狭まったかもしれないんですけど(笑)。

高橋勇成

──あははは。見た目で判断されがちだったというのは?

高橋 : 以前はスキニー、カーディガンで、前髪で顔が見えないような感じだったんですけど、それだと見た目で「ああ、ギターロックね」みたいな感じで、聴かない人が、すごくいっぱいいたと勝手に思っていて。

──逆に菅野さんはあまり見た目とか変わらないですよね。

菅野岳大(以下、菅野) : そうですね。あまり気にしたことがなくて。

高橋 : より地味になったよね。

菅野 : あ、そうかもしれない。やることをちゃんとやっていれば、どこかには届くんだろうなと思っているから。

菅野岳大

──先入観という点でいうと、〈RINGOOO A GO-GO 2019〉といったショーレースにエントリーしなさそうなイメージがあったので、それもちょっと意外でした。

高橋 : 全然嫌だったわけじゃなくて、単純に面倒くさがりだったというか。自主企画とかも全然やらなかったんですよ。こういうオーディションをやっていたんだ…… みたいなことに毎回終わってから気づくみたいな。無頓着だったというか、ここ数年でやっとやんなきゃな、って感じになってきましたね。

菅野 : 最近関わってくれる人が増えてきて、いい意味でケツを叩いてくれるようになったというのも大きいんです。

高橋 : 〈RINGOOO A GO-GO 2019〉にも知人からエントリーしてみなよって言われて。出てみようかってことで出場したら、まさか優勝できて取材に至るとはという感じなんです。

──2018年には〈FUJI ROCK FESTIVAL〉の「ROOKIE A GO GO」にも出演されていましたよね。動画を観るだけでも、すごくいいライヴだったなというのが伝わってきます。気合も入っているのがわかるし。

 

高橋 : あれも応募してみようかみたいな感じだったよね。

菅野 : いや、あれは頑張ったんだよ。

高橋 : あ、俺が頑張ったんだっけ? そっか。自主的に応募してみたんです。ライヴ審査もないし、エントリーするだけだったら楽だなと思って。

──実際、フジロックへの出演が決まり、〈RINGOOO A GO-GO 2019〉でも大賞をとり、ちゃんとした評価がついてきています。かなり手応えはあるんじゃないですか?

高橋 : 去年くらいに、ライヴが安定してきたんですよね。りんご音楽祭のオーディションはもちろん自信もあったんですけど、俺らの自信と周りの評価が違うかもしれないとも思っていたので、それが一致したのはうれしかったです。手応えみたいなものは、最近は感じるかもしれないですね。

──そうやって自主的にいろいろな場所に出ていこうと思ったきっかけは、活動年数が長くなったり、年齢的なところが後押ししてるところもある?

高橋 : それはあります。30歳を過ぎましたし、やれることはやらないとという気持ちというか。プラス周りの人たちの後押しというのが大きい。昔は変なプライドとかもガシガシあったけど、今は結構柔らかくなったんじゃないかなと思います。

──菅野さんはいかがですか?

菅野 : コロナウイルスの影響で、〈ゴーゴーアワード〉もやるかやらないか微妙な状況だったじゃないですか? 僕らは福島出身で、東日本大地震があった時に福島に帰っていたんです。そこから9年経った3月にコロナが日本でも本格化しはじめて、状況的にざわざわしている中で、少なくとも僕のモチベーションは頑張るぞ! みたいになっていなかったんですね。うちらは特段変わったことはやっていないし、その日だけ気合いが入っていたとかそういうことでもなかった。それを考えると、良いライヴってステージ側でめっちゃ盛り上がっていてもやっぱり意味なくて。お客さんの感受性と一緒にならないと意味ないんだなって。賞をくれた人たちもいろいろ想うものがあったんだろうなと思いました。お互いで作るっていうのは綺麗事のようで、本当にそうなのかなって。

──あの日、ライヴ中にpaioniaが初めてコロナのことについて触れたんですよ。その瞬間、パンって何か弾けた感じがあったというか。例えば、M-1とかでもどこかでバンって跳ねて雰囲気が変わるみたいな瞬間があるじゃないですか? この日も同じで、paioniaの後から他のバンドも良くなっていったというか、空気が変わっていった感じがした。コロナで不安の中来てくれた感謝をMCでおっしゃっていたのは、どういう心境からだったんでしょう。

高橋 : 菅野が言ったように、俺らは震災も現地で経験しているので、重なるものもあって。あのライヴは僕らのためのオーディションだったので、単純にありがとうございますという言葉が口から出ました。最近のライヴは本当に全部そうですけど、特に今すごい自分の行動の選択を迫られるじゃないですか。あの日、あの場所にいた人は、何かを決断して、選択をして来てくれていた。今までとはまた違った心境、状況の中来てくれているので、よりありがたいなという気持ちが強かったんです。

俺らは俺らで信頼できる周りの人間とやるのが合っているのかなって

──さっき話に出ましたが、東日本大震災の時、ちょうど福島に帰っていらっしゃったんですよね。そういう経験をしながらも日常を歌うというのは、どういう想いからのことなんでしょう。

高橋 : 単純に曲を作りたい。これはずっと変わってないことです。想像だったりフィクションを曲にするのが得意じゃないんです。単純に日々の生活の中での感動を曲にしているだけというか、生きているままを曲にしているだけなので、特別な意識があるわけではない。歌の中身は変わってきてはいるんですけど、結局は生きている中での心境とか考え方の変化というか、全部地続きだと思っているんです。

──ちなみに震災の時は、どういう状況にいたんですか?

高橋 : 母校の小学校で卒業生6年生を集めて演奏をするっていう会をやっていたんですよ。その直後に音楽室で震災が起こって、グランドピアノがギャーンって動いて。小学生もみんな机の下に隠れて。小学校は被害状況的になんとか大丈夫だったので、車に乗って家に向かったんです。田舎なので敷地も広くて蔵があるんですけど、そこに電子ドラムとか、楽器を置いてわちゃわちゃやっていたんですね。それが潰れていて。家は無事で、その蔵だけが崩壊していたんですけど、すごく印象的でしたね。あれは。一緒に乗っていたんだっけ?

菅野 : うん。

高橋 : 家が近づくにつれて見えてくる光景が、「あれ!? なくなってない?」って。すごいその映像は覚えていますね。

菅野 : 福島の中でも真ん中の中通りというところだったので、津波とかの被害はなくて相対的には被害は少ないんですけど、その光景は覚えていますね。

──震災を経て、バンドを辞めようとか、そういうことを考えたりはしませんでしたか。

高橋 : まだ大学生で、自分の力だけで生活をしているわけではなかったので、それはなかったです。でも音楽って何なんだろうって考えました。今回もそうなんですけど、衣食住ではないけど、音楽は音楽で変わらずあっていいものだと思うので。うん、大きくは変わってないですね。震災があったから何っていうのは俺はないかな。

──お2人は1988年生まれですよね。同世代のバンドでの連帯感のようなものだったりシーンなんかはあったりするんでしょうか。

高橋 : バンドの友だちがほぼいないので、連帯感も何もなくて。10年で本当に仲良いのは2バンドぐらいしかいない……(笑)。俺らの世代で近いところでいうと、きのこ帝国とか、indigo la Endとか、plentyとかが同い年なんですよ。みんな売れちゃっているので。

菅野 : 売れているし、活動休止とかなっているバンドもいるよね。

高橋 : みんなやり尽くして何かしらの結果を出している。だから、世代でどうこうっていうのは特にないかもしれない。

菅野 : 西澤さんから見て、連帯って何かありそうだと思います?

──いや、そこが全然分からなくて。それによって、同世代のバンドの活躍なんかに刺激を受けて、自分たちも頑張ろうってなりにくいのかなと思って。

高橋 : もともといなかったから、それが普通でずっとやっていますよね。たしかに仲間がいたら心強かったりするのかもしれないですけど。共同企画とかやる面倒くささもあるんですよね。やっぱり俺らだけの意見じゃできなくなるし、ちょっとピリッとするっていうか。それが大成功に終わったらいいんだけど、なんか微妙…… みたいなことになる可能性もあって。実際にそういうこともあったので、あまり積極的じゃないかもしれないです。俺らは俺らで信頼できる周りの人間とやるのが合っているのかなって感じですね。方法はまだまだあるとは思うんですけど、今のところは自分たちでやっています。

他人を意識するようになって生まれた代表曲「跡形」

──「跡形」という曲についても訊かせてください。バンドを代表する楽曲で、ライヴでも本当に雷を打たれたように衝撃をうけました。どうやって曲ができたのかを知りたいです。

 

高橋 : それこそ、仮タイトルは「蔵」だったんですよ。もう何年も経っていますけど、震災の時に何回か気持ちが戻っているんですね。高校でジャズ研究部と言いながら、全然ジャズをやらない感じの部活に入っていて。みんなで集まって、ガガガSPとかゴイステとかを演奏していたんですけど、その時一緒にいた菅野とかと今もこうやって音楽をやっていて、あの頃の自分らに対して「やったよー!」って言いたいな、っていうところからできた曲なんです。

──〈俺たちはあの日の俺たちと抱きしめ合える日を夢見てる〉という歌詞はまさにそういうことなんですね。

高橋 : それと同時に、何やってんだよ今、っていう気持ちも入っているんです。

──いつぐらいに書いたんですか?

高橋 : たぶん一昨年始めぐらいかな。

──ちょうど30歳になる年ってことですよね。2018年だから。

高橋 : 今までずっと自分のことばかり書いていたんですけど、やっぱり他人がいて、俺がいる。大事な人だったり、大切な人が幸せになってくれたりするのが自分の幸せだなとか、もっと他人を意識するようになった。そういうのが曲になったのは最初かもしれないですね。誰かのために生きるじゃないですけど、自分だけじゃないんだなって。遅いのかもしれないですけど30にして気がついた。それが大きく変わったところでもあるかもしれないです。

──菅野さんはそういう高橋さんの変化とかを感じることはあったんですか?

菅野 : こういうインタビューとかの機会じゃないと、曲の解説というか、言葉にすることがないので、その時に聞いて、そうだったんだ、変わったんだなって思います。普段、変わっているかどうか感じるのは難しいですね。でも、家族の話とか、よくするようになりました。

高橋 : 変わったよね。結婚いいなと思うようになった笑)。

──ご結婚の予定はないんですか?

高橋 : ないです。相手がいないです。

菅野 : そういえば、高校の時にできた彼女がいたじゃん? クラスのみんなが、「行けよお前」みたいなノリで告白に行ったじゃない? ああいう感じがいいよね。

高橋 : あーそうね。文化祭マジックで。すげーよかったなーあの時。

菅野 : 1番好きだったわけでしょ、あの頃(笑)。いろいろ曲も作って。

高橋 : 感受性も豊かな時でしたからね。

菅野 : そういうのがいいんだろうなと僕は思って。

高橋 : 何の話でしたっけ(笑)?

──あははは。結婚すると、書く曲も変わるかもしれないですよね。

高橋 : 変わるでしょうね。どんどんじいちゃんみたいになっていきそうです(笑)。それもそれでいいかなって感じですね。

Syrup16gが、本当に体に染み込みまくった音楽なんです

──今は配信シングルを連続で出したり、かなり精力的に動かれているのかなと思うんですけど、ある程度バンドとしての行き先というか、方向性みたいなものを考えて進んでいるんですか?

 

高橋 : 正直言って、目の前のできることをやっているというほうが大きくて。長い目で見て、というのは正直ないですね。

菅野 : 漠然と売れたいって気持ちはあるんですけど。

高橋 : ね。自分たちはメジャーな音楽だと思ってやっているので、聴いてくれたら普通にいいと思ってもらえる自信があって。知ってもらう機会をとにかく増やそうという感じで、今とにかくやれることをやっていますね。

菅野 : 今バンドの動き方って、自分たちで身の回りのことを回して、イベントとか大きいフェスも自分たちで運営してっていうのが1つスタンダードになってきていると思うんです。僕らは10年以上活動をしてきて、ちょっと音楽好きな人だったら、名前を知ってくれていると思うんですね。だから、ここからどう動いていけばいいかなって感じで悩んでいて。どう思います?

──音楽やライヴはめちゃくちゃ最高だと思うんです。ここからは、paioniaのことが好きで、協力したいって人が増えていくことが、バンドが広まっていくために重要なことなんじゃないかと思います。

高橋 : 今、それをすごく感じていて。ちょっとずつですけど、周りに人が増えてきている。さっき言ったみたいに自分だけの人生じゃないというか、関わってくれた人たちみんながいい感じになればいいなって。それがより良い人生だなと思うので、協力してくれる人の気持ちを大事にしていきたいですよね。

──昔のインタビューで、あまりライヴをやりたくないみたいなことを言っていたじゃないですか。そこは結構大きな変化なんじゃないですか?

高橋 : 今、本当にライヴがやりたいですね。単純に楽器とギターとか、音を出したい。昔は結構楽器に対しても無頓着で。大きな音で鳴らすって、音楽の原体験的な楽しみだと思うんです。やっぱりライヴでしか伝わらないものって確実にあるなと手応えとして近年感じていて。前は、絶対的に音源派だったんですけど、ライヴは気持ちいいものという感覚が今はあります。お客さんの反応があることによって、自分らも楽しいし、気持ちいい。結局ライヴによって、そういうお客さんが広がっているなと思うので、ライヴはやりたい。むしろ、めっちゃやりたいっていうぐらい変わっていますね。

菅野 : 僕の場合は、10年ぐらいバンド活動をやっていて、30代になってから諦めに近い感じがわかってきて。諦めるというのは悪い意味ではなくて、ある意味できることに専念できることだと思うんです。別に能力の高い低いは問題ではあまりなくて、楽になったってことですね。2012年とかを振り返ると、もっと何かできるはずだみたいに思っていたかもしれない。もちろん、今も自分の想像を超えるものを生み出したいとか、上手く作れたらいいなと思っていますけど、ライヴに関しては自分は楽になったような感じがしますね。

高橋 : そうか。ちょっとそれは腑に落ちる感じがあるね。

菅野 : うん、ゆるくなりましたね。

──自分を知るということでもあるのかもしれないですね。

菅野 : そうですね。甘いよと言われるとは思うし、そのモードが変わる時も来るのかなとは思うんですけど、いまはバンドがそういう状態なんです。

高橋 : あまり許容を超えたことはしないというか、器を知ってやっているのが今かもね。ライヴはそのまま俺らというか。

──今後、こんなことをやっていこうみたいなことはありますか?

高橋 : 本当は今年アジアに行きたかったんですけど、この状況なので様子見で。あとは聴き狂った音楽、バンドと対バンしたいなっていうのがあります。

──せっかくだから、名前出しておいた方がいいんじゃないですか?

高橋 : Syrup16gが、本当に体に染み込みまくった音楽なんです。彼らが今音楽をやってくれている状況が本当に嬉しいんですけど、いつパッと辞めるか分からないバンドでもあるので、対バンを実現したいです。

──思いは伝わると思うんですよね。特にミュージシャンの場合はそれが強いと思うんです。自分たちの信じる音楽をやりつつ、その想いを素直に伝えるのが、この先の未来に繋がる1番の近道なんじゃないかなと思います。

高橋 : より一層そういう時代になってくるんだろうなと思うし、そういう状況のなかでやっていく覚悟もあります。なので、ぜひ知ってもらいたいし、聴いてもらえたらなと思います。


高橋勇成『String Talking』配信スタート

 

PROFILE
paionia(ぱいおにあ)
福島県で生まれ育った高橋勇成(Vo/Gt)と菅野岳大(Ba)が中心となり、2008年にパイオニアを結成。そのバンド名はゆらゆら帝国の曲名に由来するらしい。Official HP https://www.paionia.info/

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