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清水煩悩が天川村の廃校で11人の仲間と作り上げたアルバム──世界中がコロナという共通点を持った2020年に語る

StoryWriter

新型コロナウィルスの感染拡大により、言葉通り、世の中は変わってしまった。たくさんの人が一同に会してライヴをすることもままならない世界。そんな世の中で日々を過ごす中で、鬱々としたストレスを抱えている筆者の元に、一本のメールが届いた。その差出人が、この原稿の主人公、清水煩悩だ。

それは、彼が約2年ぶりのサード・アルバム『IN,I’M PRAY SUN』をリリースするという音楽関係者向けのプレスリリースであり、僕だけのために綴られたメールというわけではなかった。しかし、そこに貼られていたアルバムの全曲トレーラーを聴いた途端、彼と昔からの友達だったかのような感覚に陥った。オーガニックで、ユーモラスで、自由で、ノスタルジックで、お茶目で、自分がなぜ音楽を好きだったのかを思い起こさせてくれた。その日、迷うことなく、彼への取材オファーのメールを送っていた。

2016年の活動開始以降、坂本龍一や水曜日のカンパネラ・コムアイなど、多くのアーティストから称賛を得ている彼の最新アルバムは、わらべ歌、民族音楽、アンビエントまで連想させる幅広い曲調の楽曲を、奈良県天川村の廃校に持ち込んだ機材でレコーディングしている。鳥の鳴き声や足音、パチパチと弾ける火の粉なども入り込み、誰に対しても非常に寛容な作品となっている。

本作の完成に至る道のりついて、東京・池上にある古民家を改装した喫茶店・蓮月の座敷にて行なった。蓮月のオーナーもまた非常に遊び心にあふれており、終始和やかで、取材後も長居してしまう心地いい時間となった。

取材&文:西澤裕郎
写真:大橋祐希


混ざっていく感じがすごく好き

──コロナ期間は、実家の和歌山でしばらく過ごされていたそうですね。

清水煩悩(以下、清水) : 大阪でアルバムのミックスを朝から晩までやっていたんです。ミックスが終わって和歌山に寄ったタイミングで緊急事態宣言のニュースが出始めて。結局、東京に帰ってきたのがそこから1ヶ月半後なので、和歌山には1ヶ月間ぐらいいましたね。

──それだけの期間、実家で過ごすのは久しぶりだったんじゃないですか?

清水 : 久しぶりでしたね。全然昔と感じ方が違って、山がめちゃくちゃ近かった。あらためて生命力というか命のパワーに圧倒されて、ほとんど山を見ていたと思います(笑)。

──今回のアルバムのレコーディングもそうですけど、自然のエネルギーだったり、場所の力だったりを身近に感じる期間だったんですね。

清水 : それは、むっちゃありました。今回レコーディングで行った天川村は、人が全然いないからこそ、人の生活が目立つというか。トラック1台通るだけで「トラックが通った!」みたいになるし、おばあちゃんが歩いているだけで「あの人どこに住んでんねやろ?」って思う。そういう原点に帰りながら録音しました。森の風や水の音とかも含めて、根っこに触れながら制作していた感じがしますね。

──今回の作品を再びインディペンデントでやろうと思った理由は?

清水 : 単刀直入に言うと、全部自分が見える範囲で管理しながらリリースしたいと思ったんです。1stアルバム『みちゅしまひかり』を出したときは和歌山で1人作っていたし、身の回りに本当に誰もいなくて。毎日メールでいろいろな人に音源を送っていたんです。聴いてください! 聴いてください! って。今回、もう1回それをやろうと思って、原点に戻ったところがあります。

──奈良県に機材を持ち込んでのレコーディングということもあり、クラウドファンディングを利用しました。残念ながら目標金額には達成しなかったですが、その結果はどういうふうに捉えていらっしゃいますか?

清水 : 結局、足りなかった分は自分で補填するだけの話なので、あまり気にしていなくて。それよりも支援してくれた100人に本当に感謝しています。同じバンドメンバーみたいな気持ちで、次こんなのやろうぜとか、こんな曲やろうよ、ちょっとついてきて! みたいな気持ちがすごく強い。そういう意味で、今までライヴも、曲作りも、広報も1人でやってきたのが、すごく広がった感覚はありました。

──自分以外の人にも参加してもらったことで気づいたことなどありますか。

清水 : 人が人と一緒にいるのって大変なんですけど、いろいろな要素と要素が化学反応を起こして行動することが、すごく楽しいと思いました。今回のレコーディングも、みんなで天川村に行って。大変やけど、その分、良いことも悪いこともいっぱい起こったし、そういう混ざっていく感じがすごく好きなんです。それはレコーディング以外にも言えることだと思います。クラウドファンディングの対談記事なんかも、自分と他の人が混ざったことによって、僕のことを僕が1番知れる機会なんです。それに1番感謝しています。人と喋っている時に自分のこと分かる。それの連続ですね。

僕の楽曲にすーって馴染んでくれた

──今作を制作するにあたって、天川村をレコーディング場所にしたいと思ったのはなぜだったんでしょう。

清水 : 最初に天川村を知ったのは、細野晴臣さんのラジオで。「天川、天川」って言っていたので気になって調べてみたら、精神世界系の人たちとかも修行している巡礼地の村みたいで。地図を見て、1番ぐっときました。めちゃくちゃ山に囲まれていて、ドーナッツの穴のように真ん中にあるんです。その地図を見た時、和歌山のことも頭をよぎったし、ここはいいんじゃないかって直感もあって。そのときはコロナとか全然関係なかったんですけど、アルバムのレコーディングを僕はスタジオでしたくないってずっと言っていて。狭いところにいっぱいの人でおるのがいやで、音楽をするんやったらなおさらやなと思って、奥多摩の森でライヴをしたりしていた。だから、レコーディングも機材を持っていって環境を作ろうというところから考えていったんです。

──それで、天川村の廃校にレコーディング環境を作ったと。

清水 : もともと学校やった場所を借りました。音楽室があったんですけど、思った通りの感じでした。主に録音したのは音楽室でしたね。

──11人の仲間で行かれたそうですが、どんな方々だったんでしょう。

清水 : 僕を入れてミュージシャンが6人。あとはカメラマン、ドキュメンタリーを作る映像監督、イラストレーター、料理を作ってくれるフード、エンジニアでしたね。合宿みたいなイメージに近いかもしれない。ドクターっていうエンジニアが「完全な環境を作りたい」って言っていて、大阪からハイエース1台分まるまる機材を詰んで、笑っちゃうぐらい持ってきていました。「ここを僕のスタジオにするわー」って、音楽室の真ん中に機材組み始めて。すごい量やった(笑)。

──あははは。何日間、天川村には滞在していたんですか?

清水 : 4日間で7曲録りました。初日は機材を組んだり準備をする1日で。

──何曲ずつ録っていこうというプランは立てていたんですか。

清水 : なかったかもしれない(笑)。1日2曲ずつ録っていこうかなってざっくり考えていたけど、実際には結構波があって。初日は1曲も完パケしなくて、いろいろな部分をバーって録って、2日目3日目ぐらいで「はい、オッケー!」ってなっていった。最終日は、気になる部分を1回録り直したみたいな感じですね。

──スタジオでのレコーディングとは違いましたか?

清水 : 音に関しては全然違いました。それこそ、山奥の学校の音なんですよ。声とか響き方とかもそうやし、鳴いている鳥の声もそのまま使っています。僕がルーパーを踏みながらギターを録音していたので、鳥の声が都度都度入ってくるんです。そういうのも含めてあの学校の音ですね。今回のアルバムはコーラスが多くて、ハモらず歌っている部分が多いんです。もともとそうしようと思って曲を作っていたんですけど、思ったよりみんなが学生みたいな歌い方をしていて。学校で歌録りしているせいか分からないんですけど、すごい良くて。みんな上手く歌おうとしない、みたいな。ちょこちょこ間違ったりしているんですけど、リラックスして歌っているのがすごくよかったんです。

──他のミュージシャンの方たちは、どんな方々なんでしょう?

清水 : バンドをやったり、ソロだったり、イラストと一緒に音楽をやってる子もいるんですけど、6人中5人がヴォーカルで作詞作曲をしている人たちだったんです。現地に着いてから気がついてびっくりしたんですけど、残りの1人もユニットで曲を作っているから、実際全員が曲を作っていることがわかって。各々の世界観を自分で作っている人が集まっていたから自由度が高いというか、僕の楽曲にすーって馴染んでくれた。ここにこういうギターソロを入れるみたいな話じゃなくて、なんとなく全体の曲のイメージを共有して、それぞれの持つ色が曲の良さがすごく均等に出たなって感じがしています。

──レコーディングは、せーので歌っているんですか?

清水 : 一発録りは、M4「天ノ子」、M6「あめあめふれとらりるれら」とM7「lullaby」の3曲ですね。ちょっと足したりしているけど、M6とM7は本当に完全一発録りです。M4は後から僕のコーラス重ねたりしていて、あとの曲はバラで録ってミックスしていますね。

──2曲目「まほう」は11分の曲です。どのようにして完成したのか、プロセスがなかなか読み解きづらい一方、何度も聴いてしまうような不思議な楽曲です。

清水 : もともと長い曲を作ろうと思っていたんです。ライヴのときは、40分くらい演奏している。アルバムに収録するにあたって、メンバーのみんなには「何分になるか分からんから、入れたい音のイメージだけしておいて」って伝えて楽譜は渡していないんですよ。そういう即興性も出ればいいなと思っていました。実際に着地してみたら11分になりました。現地に行くまで、僕も何分のアルバムになるか分かってなかったので、もしかしたら30分になっていたかもしれない。このときオッケーってなったところが11分ぐらいやったんです。

 

──全体を通してドラムが強調されていないのは、単純にレコーディング機材を持って行けなかったという理由なんでしょうか?

清水 : 別に入れようと思ったら入れられたんですけど、もともとあまりいらんなと思っていて。太鼓とかキックを入れるだけで全然成り立つと思っていたので。もともと入れる気持ちはなかったんです。

僕の第1章の最後がこのアルバムみたいな感じ

──全体を通して、教科書とかルールのようなものを感じないし、あえて逸脱しようとしている感じでもないのが新鮮で気持ちいいアルバムだと思いました。いつの間にかルールにとらわれて生きていたりするし。そうではない音楽が今回の作品を聴いて1番心惹かれたところなんです。

清水 : 「歌」って、その人の全部やと思っていて。昨日何をしたかとか、1年前、10年前、何をしていたかとか、そういう自分の全部が声として出るし曲になると思うんです。僕はきっと、根っこが自由な人なんですよ。だから、メロディも構成も、曲も自由になる。ただそれだけの話だと思うんです。ギターを弾いていても、Fの後Gとかじゃなくて、自分の気持ちいいコードを鳴らせばいいと思っているので。これって、ある種のこだわりなんですよね。

──もともと曲を作るにあたって、何が勉強したり習ったりしていたんですか?

清水 : 全然習ってないです。ギターのコードとか見ながら、こうやって弾くんやみたいな感じで、ずっと独学でやってきていて。今もそんな感じです。

──僕も昔ギターを買って弾いてみたんですけど、逆に自由すぎて曲が作れなかったんです。ある意味で教科書があって、その通りやったほうが楽なんじゃないですか?

清水 : 僕も勉強中なんですけど、たしかにルールっておもしろいところもあって。地図があるから目的地までスムーズに行けるじゃないですか。一方で迷ったりするおもしろさもあるから、ルールばかり考えずに生きているかも。それが自由というか。哲学みたいな話になってきた(笑)。

──あははは。一方でスタジオは嫌だみたいな窮屈さみたいなものも感じていたわけですよね。

清水 : 感じていました。いろいろなことをやってると、ちょっと凝り固まってくるというか。原点回帰みたいなのがすごく良くて、そういうシーズンだったのかもしれないですね。普通にライヴハウスでライヴをしたり、スタジオでレコーディングをするのもいいけど、好きな友だちと森の中に行っても僕は同じことできるなと思っていて。実際同じことができたなっていうアルバムなんです。

──原点回帰を体験した上で見えたこととか、感じたことはなんでしょう?

清水 : このアルバムで言うと、ようやく自分の音楽が始まったなって感じがしていて。例えると、僕の第1章の最後がこのアルバムみたいな感じ。やりたいことをやるのって、めっちゃ体力を使うし疲れるんですけど、やってよかったなって思いました。このアルバムを作ってみて、こだわるのっていいなと思ったし、もう次のアルバムも作りたいと思っていて。コーラスをたくさん録って、人の声がぶつかるとんでもないエネルギーを感じて。本当にいい出来のアルバムになったので、もっとやれるって思っているんです。

世界中が1個の共通点を持ったのがコロナ禍

──アルバムタイトル『IN, I’M PRAY SUN』はどうやって決めたんですか?

清水 : 『IN, I’M PRAY SUN』って、和訳で「僕は太陽に祈る」って意味なんです。1stと2ndは『みちゅしまひかり』『ひろしゅえりょうこ』で人名もじりをやっていたので、今回は本もじりにしていて。谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』っていう本から取ったんです。「イン・エイ・ライ・サン」=「IN, I’M PRAY SUN」。母音の韻だけ当ててみたら、陰翳礼讃という日本語の意味と、IN, I’M PRAY SUNがしっくり来て。1曲目の「リリィ」とか「まほう」もそうですけど、光と影というか対比してるものに制作の時はスイッチがいっていたので。これは本からもじるのいいなと思ったんです。

──なるほど! まさか、もじりだとは思わなかったです。

清水 : 「3枚目は誰の名前にするの?」みたいに友だちにも言われたんですけど、別に人じゃなくていいなと思って。あと、英語にしたかったのもあります。

──ジャケットと中のイラストは誰が書いているんですか?

清水 : 中の絵は僕が描いて、表の絵はアルバムに参加しているsotoちゃんって子とイラストのチームを始めて、2人で一緒に作りました。

──この(見開き部分の)イラストは何を象徴しているんですか?

清水 : 光かな。家の中にいる人が窓のところに立っている絵ってあるじゃないですか? これは僕のイメージでは、家の外にいる窓の前に来ている人を描いているんです。

──この人物は清水さんというわけではない。

清水 : 違います。全然似ていないと思います(笑)。それで言うと、今回のアルバムに僕なんか一瞬たりとも登場していない。全然別の話なんです。

──清水煩悩の第1章がこれで終わると同時に、始まるみたいなアルバムだと思いますが、今後どういうところに軸足を置いてやっていこうと思っていますか?

清水 : 今、家の制作環境を整えているところで、それ相応の作品が家だけでも完結できる状態にしている最中なんです。僕はまだまだこのムードが続くと思っていて。でも、あまり悲しくは捉えていない。世界中が1個の共通点を持ったのがコロナ禍で、それって僕は28歳にして初めてのことなんです。今地球は1個の話をしている。コロナウイルスがある2020年の今日遅刻したみたいな。そんな世界で、自分のリスナーが日本だけじゃなくなってきたことも実感していて。実際、先行配信をしたら、台湾、インドネシア、スペインとかから連絡が来て。こういうことってアルバムを出したから起こったことで。今日のインタビューもそうですけど、こういう音楽をしていますよって、僕的にはいつも手を挙げているんですよ。前からも手挙げていたんですけど、今回は一緒に作った11人とか、クラウドファンディング支援してくれた人、いろいろな人がおるからこそ、むっちゃ高く手を挙げるみたいな。はいはいはい! ここにいるんですけど! って感じになっていて。それって自分がこだわって作って自信があるのもそうやし、みんながおるからみんなで楽しいことをしたいとか、いろいろな要素が重なっていて。それにいろいろなところから応答があるのは、すごくいいことやなって思いましたね。

音楽を通して自分の考えを意見交換というかキャッチボールしている

──コロナ禍の中でミュージシャンの存在意義が問われている時期でもあると思います。言い方が合っているのか分からないんですけど、こういう時期に音楽の意義みたいなものを、どういうふうに考えられていますか?

清水 : ん~。音楽の意義はずっと分からないし、今も探している途中みたいな部分があるんですけど、例えばその瞬間にだけ存在する音や声が揺れて、僕達の身体に触れた時とか、それを記録した録音物を聴いた時とか、あの瞬間-瞬間って楽しいし、もどかしいし、儚いなって思う。本当に音楽って曲が終わるからいいんですよね。つまり“今を生きている”ってことですから。音楽を通して自分の考えを意見交換というかキャッチボールしている感覚もあるんです。

──音楽を通してのキャッチボールっていい表現ですね。

清水 : 人と対面するのって本来きっと疲れるんですよ。だってそもそも他人ですからね(笑)。そこに音楽があると、他人事じゃなくなって、全部自分の話みたいに滲んでくる。これは音楽に限らないけど「表現」ってある種の意思表示とか確認やと思うんです。「僕はここにいますよ!」とか「ねぇねぇ、これ知っている?」みたいに投げかけている感じ。自分のこだわりみたいなものに触れた人が喜ぶならそれは嬉しいし、そこからレスポンスを貰って次の場所に旅していく感覚。それでまた次の旅先で見つけたこだわりを投げかける。その繰り返し……。だから、答えなんかは見つからなくていいと思っていて。どんな答えなら風通しがいいかなって探していくイメージです。音楽は旅に似ていると思う。旅をしていると色んなものを見つけたり、知らない事を知ったり、休んだり、頭を打ったり、思い出したりする感じ。その一瞬の興奮とかが連続していく感じ。そのドキドキがいつも姿形を変え、我々の目の前にすっと現れてこう言うんです。

「ねぇ、楽しい?」って。

その時「楽しいよ!」って言えるものを常に作ってたいなと僕は思いますね。未来のことなんか誰ひとりにも分からない。だから面白いんです。最後、小説みたいになっちゃいましたけど、まあ、そんな感じです(笑)。

──まったく面識もなかったけれど、思い切って連絡してお会いしてよかったです。

清水 : 僕もお会いして良かったです。やっぱり体裁とか、周りの意見がどうとか、評価がどうとか、売上がどう、再生回数がどうというより、僕が初めて会った人とか親とかどんな人に対しても、これ僕の作ったやつなんですよ! って言えるかどうかが全てなんです。今回のアルバムに限らず、常にそうやって言えるように生きていたいと思うし、そのことばかり考えています。このアルバムは自信を持って、そう言えます。つまり、I’m in here的な感じなんですよ。僕がここにいるから、僕のこと見つけてくれって、ずっと思っているんです。僕が今回のアルバムでこだわったところが1人でも刺さって、あーいいなーってなったら幸せやし、そこで終わらずに意思表示して欲しい。一言でもいいから「煩悩くんのアルバム最高だね〜!」ってボール投げ返して欲しいんです。


古民家カフェ蓮月

〒146-0082 東京都大田区池上2-20-11
(東急池上線「池上駅」より徒歩8分)
TEL 03-6410-5469

営業時間
11:30〜18:00

Official HP : https://rengetsu.net/

クラウドファンディング実施中「築87年、古民家カフェ蓮月の存続に力をお貸しください。#SAVE蓮月」

PROFILE
清水煩悩(しみず・ぼんのう)

1992年生まれ、和歌山県出身。2017 年、1stアルバム『みちゅしまひかり』発表直後から「天才発見!」と世間を騒がせ、その後、坂本龍一、水曜日のカンパネラ・コムアイといった多くのアーティストから称賛を得た。2018年、2ndアルバム『ひろしゅえりょうこ』を発表。収録曲「シャラボンボン」のMVが第23回文化庁メディア芸術祭を始め、国内外のコンペティションに入選した。その後、奥多摩の森で30分一発録音されたライヴ映像の公開や、町と声にテーマを置いたフィールドレック・ラジオプロジェクト「町の応え、僕の光」を始動し活動の幅を広げる。2020年夏、クラウドファンディングで得た資金によって、外出自粛が広がる直前の奈良県・天川村で11人の仲間と制作した3rdフルアルバム『IN,I’M PRAY SUN』が、自主レーベル・Metropoloni子から発売。台湾のゴッドファーザー・史明が営んでいた池袋の中華料理店「新珍味」で稀にアルバイトを行う。

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