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StoryWriter

その日、私は栃木県・宇都宮市にいた。

大型連休が始まり、私の仕事も一気に暇になった。コロナ禍も落ち着いてきただけに、たまには遠くの街へ行きご当地グルメを食べてみたい。そうだ京都、行こう。ダメだ、金がない。食い気味に速攻で否定される旅プラン。私は脳内で葛藤しつつ、とりあえず家を出て京王線に乗った。新宿からなんとなく北へ、北へ、各駅停車でヨーソロー。そして今、気が付けば宇都宮駅前にいる。

15年ほど前に来て以来、すっかりご無沙汰していた宇都宮。以前はまったく何もない印象だったものの、今ではすっかり「餃子の街」として全国にその名を轟かせている。

私は、JR宇都宮駅西口に立つ餃子像を見つめながら考えた。

本来なら、今晩の食事は餃子一択。だがしかし、私は昨夜、八幡山の大阪王将で「メガ盛り焼き餃子」(30個 / 1,300円)をお腹いっぱい食べてしまったのだ。だから、しばらく餃子を食べるのは、やだ。じゃあなぜ、餃子の街・宇都宮にきたのか? それは、私にもわからない。「ナビゲーターは魂だ」とブルーハーツが歌っていたように、魂の赴くままに電車を乗り継いだ結果なのだからしょうがない。とにかく今日は、餃子以外のご当地グルメが楽しめる店に行きたい。私はプラプラと宇都宮駅周辺の盛り場を歩いた。「オリオン通り」というアーケード商店街には、カレーにラーメン、串揚げや魚料理など、さまざまなタイプの飲食店が立ち並んでいた。そのどれもが美味しそうで、目移りしてしまう。

「どうですか、お兄さん」

呼び込みの男性が声をかけてきた。どうやらキャバクラやガールズバーもあるようだ。お兄さん、と声を掛けられて思わず顔がほころぶ。だが、あいにく私は現在キャバクラ通いを休学中の身。グッと唇を嚙みしめて、今回は見送らせてもらった。

それにしても、外から店を覗くと、どこも結構大賑わいだ。仲間同士、仕事の同僚、恋人たち。みんなジョッキやグラス片手に楽しそうにおしゃべりしている。その様子を眺めているうちに、私はなんだかさみしくなってきた。いつも一人ぼっちの、私。ビートルズ風に言えば「Nowhere Man」。いや、そんなかっこいいもんじゃない。アラフィフおじさんが宇都宮にやってきた、ヤーヤーヤー。孤独のランナウェイには慣れっこな、後悔は少なめのマイライフ。だけどやっぱりさみしくてやり切れない。いや、まてよ。そうだ。

宇都宮には、「孤独のグルメ」に登場した居酒屋があると聞いたことがある。

長年憧れてやまない、孤独の第一人者・井之頭五郎。私は、彼が訪れた店を早速ぐるなびで調べ、オリオン通りから徒歩5分ほどの居酒屋へと辿り着いた。昔ながらというにはあまりにもシブい風情の店内に入ると、かなり混みあっていたものの、幸運なことにカウンター席の端が1つ空いていた。

私は腰掛けるとすぐにレモンサワーを注文した。焼酎が小ぶりな徳利に入っていて、氷が入ったジョッキに自ら注ぎ、ペットボトルの炭酸とカットしたレモンを絞り入れる、独特なスタイルが楽しい。私は、喉を潤すとひと息ついた。店内を見渡すと、カウンターの中に実写版「孤独のグルメ」ロケの際に撮ったのであろう、井之頭五郎こと松重豊さんと店員さんによる記念写真が飾られている。なるほど、これがいわゆる聖地巡礼ってやつか。

「おとうさん、どこの人?」

唐突に、隣の席の男性が話しかけてきた。おとうさん、とは私のことなのか。見ると、年齢は私と同じぐらい、恰幅が良いところも私と似ている。ニコニコしていて、人が良さそうだ。それにしても、おとうさんはないだろう。さっきまでオリオン通りでお兄さんって呼ばれていたのに。君に、おとうさんと呼ばれる筋合いは、ない。

「もしかして、東京?」

矢継ぎ早に言葉を投げかけてくる男性。私はたじろぎつつも、大型連休を利用して東京からなんとなく宇都宮に来たことを話した。

「これ食ってみ、これ」

人の話を聞いていたのかいないのか、いきなり料理を勧めてくる男性。このマイペースっぷり、きっとB型に違いない。

「この納豆が入った油揚げにマーガリンつけたら最高だよきっと」

地元・栃木の人なのだろうか。マーガリンのイントネーションが妙だ。独特の言い回しで「マー(↓)ガリン」を連呼している。普通「マー(↑)ガリン」じゃないだろうか。まあそれはいい。私は食べ物のなかで唯一、納豆だけが食べられないのだ。申し訳ないが、丁重にお断りさせていただいた。その後も、飲んで食べて、ひたすらにこやかに話しかけてくるマーガリンおじさん。私はどことなく憎めないこのマーガリンおじさんに徐々に心を開いていく自分に気がついていた。聞けば、私と同じ50歳だという。

「じゃあ、煮込み食べてみてよ。美味しいから」

勧められるままに注文した煮込みが届くまでの間、ほろ酔い気味のマーガリンおじさんは、自分のこれまでの人生を語り出した。私と同じくバツイチであること、3人の子どもを男手1つで長年育ててきたこと。子どもたちが無事に自立するまでは、あまり飲みにも行かず、外泊は絶対にしないという「鉄の掟」を自らに課し、子どもたちのお弁当を毎朝欠かさず作ってきたこと。そんな子どもたちも大学に進学して、今はそれぞれの道を歩き出し、マーガリンおじさん自身も、今は彼女ができて幸せに暮らしていること。今日は、久しぶりに外出して、馴染みのこの居酒屋で思う存分1人飲みを満喫しているところだという。

「まあ、人生いろいろ、島倉千代子だよね」

はにかんだ笑顔でそう言うと、マーガリンおじさんはいきなりカウンターにつっぷして寝息を立てだした。なんて、勝手なんだ。だがその勝手さが愛おしくもある。

「あらあら、久しぶりでうれしくて飲みすぎちゃったみたいね。はい、煮込み」

店のおかみさんは笑いながら言うと、煮込みが入った器をコトン、と置いた。マーガリンおじさんは、大きないびきをかきながら眠っている。なんだかとっても幸福そうだ。きっと、これまでは子どもたちのために無理もしながら世間や自分自身と戦ってきたのだろう。あっという間の50年だったに違いない。だが、アラフィフといえども、人生100年、まだまだ半分しか生きていない。人生は舞台、主役はあなた。マーガリンおじさん、これからは自分のために人生を思いっきり謳歌してもいいんじゃないかな。きっと、子どもたちもそう願っていると思うよ。私は、横で爆睡しているマーガリンおじさんを見ながら、そう思った。ふと顔を上げると、カウンターの向こうから、井之頭五郎がこちらを見て笑っていた。

たっぷりなネギ、味の染みた大根。プリプリなモツ、そして味噌。

栃木県宇都宮の「煮込み」は、50年生きてきた中で一番美味しい煮込みだった。

アセロラ4000(あせろらよんせん)プロフィール
月に一度のキャバクラ通いを糧に日々を送る元・派遣社員。嬢とのLINE、同伴についてTwitterに綴ることを無上の喜びとしている。バツイチ独身。

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