
2017年に上梓した『夫のちんぽが入らない』(扶桑社)で、多くの読者に強い衝撃を残した文筆家・こだま。その後はエッセイを中心に、数多くの作品を描き続けている彼女が、今回、新作小説のテーマに選んだのは「障害を抱えた高校生と、その周囲の人々」。タイトルは『けんちゃん』(扶桑社)。かつて特別支援学校で働いた自身の経験をもとに、障害をめぐる視線と、そこに生きる人々たちの「自立」を丁寧に描いた連作小説だ。「経験していないことを書くのは苦手なんです」と語る彼女が、空想と現実のあわいで見つけた“書く理由”とは。最終章を執筆中のタイミングで東京を訪れていたこだまに、話を聞いた。
自分にコンプレックスがあると、他人の同じ部分を無意識に観察してしまう
――けんちゃん自身は、この小説の中で特に変わるわけではない。むしろ、周りの人が彼から何かを受け取り、思い、少しずつ変わっていく。どこか欠けている人たちや、何かを抱えた人たちが描かれていますが、そうした人物像を描こうと思ったのはなぜでしょう。
こだま:うまくいかないとか、自分は人と少し違うとか、そういう“欠けている”人たちのそばに、そういうことをまったく気にせず生きているけんちゃんがいる。その対比の中で、「ああ、こういう生き方もありなんだ」って思えるような関係を書きたかったんです。自分を劣等感で縛ってしまうような人と、まっすぐに生きているけんちゃん。違うタイプの存在を並べて描くことで、互いに映し合うような物語にしたいと思いました。
――第1章で描かれる支援学校の寄宿舎で働く臨時職員の多田野唯子は、お姉さんが事故に遭い障害を持ってしまう。それをっかけに周囲の態度が変わる。そして自分もまた、知らず知らずのうちに同じようなことをしていた。このエピソードは、こだまさん自身の実体験に近い部分もあるのでしょうか。
こだま:「障害がある」と聞くと、どうしても“すごく親切にしなきゃいけない”みたいな気持ちになる。そういうふうに構えなくてもいいのに、って思うんです。私自身、寄宿舎で働くようになってようやく気づいたんですけど、普段接していないと、“障害がある”というだけで、必要以上に手を貸したり気遣いをしたりしてしまう。その結果、“普通の人”として接することを忘れてしまう瞬間があるんですよね。
――すごく分かります。うちの父が小さい頃に足を悪くしていて、ずっと片足を引きずっていたんです。僕は当たり前のこととして何も気にしていなかったんですけど、亡くなる前に「障害者でごめんな」って母に言っていたと聞いて。そんなふうに思っていたのかと驚きました。親の世代のほうが、“普通じゃなきゃいけない”という意識がより強かったのかもしれないなと。
こだま:普段の生活の中では何も問題なく過ごしているのに、名前がつく――つまり“障害者”というカテゴリの中に入れられた瞬間に、「自分はそっち側なんだ」と思ってしまう。そこに強い拒否感や否定的な気持ちが生まれてしまうことは、きっとあるんだろうなと思います。

――2章で描かれる、コンビニ店員の七尾光が取材を受けるシーンも印象的でした。あの場面は、こだまさんの中で最初から構想にあったものなんでしょうか。
こだま:はい。七尾は、障害のある人とない人の区別をしない、フラットな視線を持つ人として描きたかったんです。でも、その上の世代――店長のような人たちは、“障害者にはこう対応しなきゃ”と「善意」による決め付けをしがちかもしれない。そういう価値観の差を対比させたいと思っていました。
――あのシーン、七尾が一気にしゃべるじゃないですか。すごく熱がこもっていて印象に残りました。
こだま:あそこは、彼には思い切り喋ってもらいたかったんです。少し長くなってもいいから、感情の流れそのままに書きました。
――彼に取材をする記者の水上悠介も、指が1本欠けている人物として描かれています。その理由はどこにあったのでしょうか。
こだま:そういう人は、いろんなことを気にしながら生きているんじゃないかなと思ったんです。私自身、指が少し不自由なので、人の指をつい見てしまうんですよね。それが癖のようになっています。自分にコンプレックスがあると、他人の同じ部分を無意識に観察してしまう。そういう感覚を重ねながら書きました。
――そう考えると、記者という職業は、まさにぴったりですね。
こだま:そうですね。観察する立場の人でもありますし。私も記者をしていた時期があり、立場や人物像はまったく違いますが、見てきた風景や空気感はできるだけリアルに書きたいと思いました。
――そして、水上が気にしていることを、けんちゃんがまったく気にしていない感じも爽快でした。
こだま:そうなんです。けんちゃんは全然そんなこと見てもいないし、意識もしていない。水上のコンプレックスに対しても、ひとりだけ反応が違う。けんちゃんは、ただそのままを受け取っている。
グレーゾーンの中にいる人たちにも関わるような話にしたいと思った
――けんちゃんの「ぼくのヒーローランキング」の場面も印象的でした。とても面白くて。
こだま:あれは本当にモデルになったような子がいて、実際にランキングをつけてくることがあったんです(笑)。
――えっ、本当にあったんですか。
こだま:はい。私は「好きな先生ランキング」で20位とかで、ちょっとショックでした(笑)。でも、本人はとても嬉しそうに見せてくるんですよ。「20位なんだね」って言ったら、「これは若い先生を中心にしたランキングだから」って、ちゃんと理由を説明してくれて。本人なりのフォローなんでしょうけど(笑)。よく考えたら失礼なことを言われてるんですけど、それ以上に面白かった。その無邪気さが印象的でしたね。
――しかも、けんちゃんのランキングって、ジャンルも関係なくて自由ですよね。
こだま:そうですね。自作のキャラクターとか、意味のわからないものも混ざっていて(笑)。でも、実際に見てきた子どもたちも、そういう自由な発想の持ち主が多かったです。そうした部分も小説の中に自然に含ませたいなと思って書きました。
――けんちゃんが、水上を圧倒的に1位にしているのが印象的でした。
こだま:けんちゃんには吃音があるので、話すよりも書くほうが好きなんです。書くことで、自分の気持ちをスムーズに伝えられる。だから、目の前で取材をしている水上を見て、記事になったものを読んで、書くことを仕事にしている彼に憧れを持つようになる。もともと書くのが好きだからこそ、リスペクトの対象になって、手紙を出したりする。そういう感情の動きって、目の前で見た瞬間にガラッと変わるんですよね。
――けんちゃんと同じ学校に通う女子生徒の若山葉月が4章に登場します。ここで物語のトーンが少し変わったようにも感じました。この人物を描こうと思ったのはなぜだったのでしょう。
こだま:障害があると自分では意識しているけれど、支援学校に入ってみると、周りはもっと重い障害を持つ人たちばかりで、「自分はこの人たちとは違う」と感じてしまう。そういう子を書きたかったんです。障害の有無に限らず、「自分は普通なのか、そうじゃないのか」と悩む。そういうグレーゾーンの中にいる人たちにも関わるような話にしたいと思いました。
――想像していたより、思い切った行動をとる人物でびっくりしました。
こだま:自分の気持ちと行動が結びつかないまま、衝動的に動いてしまう。本当は冷静に考えればわかるのに、それでも衝動を抑えきれない。そういう姿は支援の現場でもたびたび目にしてきたので、リアルに描きたいと思いました。
こだまの考える“自立”
――最終章は、取材をしている現時点(※2025年10月下旬)では、まだ構想中とのことですが、今の段階ではどんな形になりそうですか。
こだま:土台だけは少しできていて。唯子とお姉さんの関係にとどまらず、唯子自身が次に進む、自分のやりたいことを見つける。そして登場人物たちがそれぞれの場所で前に進む章にしたいと思っています。
――そこには、こだまさんご自身の希望や願いも込められているように感じます。こだまさんの考える“自立”とは、どんなものでしょう。
こだま:私自身、20代のときに教師を辞めてしまって、「もうダメだ」と思い込んでいた時期が長かったんです。そこから、どうやって生きていけばいいのかわからなくなってしまいました。いろいろな仕事に就いても、体調を崩して3年くらいで辞めてしまうことが多くて。“自立”という言葉を聞くと、当時の私はきちんと仕事を持って、働いて、社会の中で生きていくことだと考えていました。でも今は、必ずしもそうじゃない。働くことに限らず、その人の出来る範囲で、やりたいことを見つけられたらいい。それだけで十分なんじゃないでしょうか。
――この作品を、どんな人に読んでもらいたいですか。
こだま:迷っている人に読んでもらいたいです。自分の生き方はこれでいいのかなとか、周りと比べて自分は劣っているんじゃないかとか、そんなふうに悩んでいる人。あるいは、将来に不安や不満を抱えている人たちに。私自身が、20代、30代、40代と、ずっとそういう生き方をしてきたので。
――今も執筆の修正段階だと思いますが、1冊の小説を書き終えてみて、どんな感触を持たれていますか。
こだま:この小説をちゃんと1冊の本として出せたら、自分の中でひとつの自信になると思います。そしてまた、次のテーマが見つかったら、「書きたい」と自然に思えるようになるんじゃないかって。今はそんな気持ちです。小説を書くということ自体に、ずっと苦手意識があったので、それをこの1冊で少し克服できるかもしれません。
――この作品が完成することで、また次のステップに進めそうですね。小説を終えたあとに、何か構想されていることや、挑戦してみたいことはありますか。
こだま:特に大きな構想はないんですけど、小説を書いているうちに、エッセイが前よりも書きやすくなってきたんです。小説って、出口が全然見えなくて、本当に苦しい。でも、エッセイは短い文字数の中で、自分の気持ちをそのまま書けるから、すごく呼吸がしやすいんですよね。これから小説も書いていきたいけど、エッセイも今まで通り書いていきたい。その二つを並行してやっていけたらいいなと思っています。現状とほぼ変わらないですね。このままの状態が続けば嬉しいです。
■書籍情報

こだま
『けんちゃん』
発売日:2026年1月20日
Amazonリンク:https://www.amazon.co.jp/dp/4594101798
こだま X:https://x.com/eshi_ko



