皆さんこんにちは。
あけましておめでとうございます。2019年も相変わらずで生きたいと思います。
毎年お盆と正月は実家にいないといけない家庭でして、僕も家族は好きなので例年通り実家に帰って来ています。でもせっかくの年越しギリギリまで卒業論文を書いていて、1週間実家にいてほとんど気が休まりませんでした。
卒論が終わったら授業のテストと論文、終わってもアレコレと細かくやらないといけない事が多くて…… 好きな事で忙しいっていうのをどうにか経験してみたいもんです。トホホ。
さて、2019年になって0時を回って自分の部屋で観ていた映画でお話したい思います。
ジム・キャリー主演の1998年の映画「トゥルーマン・ショー」。
世にも奇妙な物語で似ている原作の映画があるという事で昔から作品の名前だけは知っていたのですが、なかなか機会に恵まれずようやく観れた作品。
あらすじは、ある離島シーヘブンで保険会社に勤めるトゥルーマンが主人公。彼の明るい人柄っと平和な島の日常で明るい日々が描かれているが、実は彼の私生活はその出生から全世界に24時間生中継でテレビ放送されている人気番組、というちょっと不可思議な世界観。やがて、とある少女シルヴィアにその事実を伝えられるも俄かには信じられず…… と言いつつも身の回りの全てを疑い始めてしまい次第に色々な綻びが見え始めて…… というものです。
この作品を見て数分で先ず思ったのがジム・キャリー、本当に笑顔が嘘くさすぎるくらい素敵なんだという事。この不自然なくらい屈託のない爽やかすぎる笑顔が、余計にこの作品全体のトゥルーマンの日常の「TVショー」というフィクションを感じさせますし、作品が進んでいくにつれて自分の知っている世界に疑念を抱き始めるトゥルーマンのぎこちなさにもなっていて面白いなあ、と。
自分の身の回りを信じられなくなりつつも「おはよう! そして会えない時のためにもこんにちは! とこんばんは! おやすみも!」と爽やか全開で憎めない挨拶をする彼のキャラクターが全てショーの為にキャラ付けされているんじゃないかな、とまで思ってしまい始める事が既にこの作品の怖いところだと思いました。
この作品の一番の見所はというと、やはりラストのシーン。ボートを漕いで海を渡っていき島の外に無理やり出ようとするトゥルーマンがついに島と海(全部万里の長城並みのスタジオ内のセット)の端にある、「EXIT」と書かれた外部とのドアに到達するシーンです。
番組「トゥルーマン・ショー」のプロデューサーのクリストフが、生まれたその瞬間から見届けて来たトゥルーマンと遂に会話をする中でとても印象に残ったセリフがありました。トゥルーマンは所詮この世界から出来ることなんか出来やしない、と思っているクリストフのセリフとそれに対するトゥルーマンの返答です。
クリストフ:私は君の全てを知っている。(だから君はそこから出ることはできない)
トゥルーマン:頭の中までカメラは回っていない!!(僕は出るぞ)
なんという事だろう、と。生まれて来たその瞬間からずっと1人の男を追って来た男でも、その対象の考えや思想までは分からないものでした。
映画のシーンの文脈とはまた少し違うのですが、人、いや他人というのは自分が理解しているコンテクストの中でしか相手を理解できず、結局自分の想定し得る範囲内に相手を置くことで全てを分かったつもりになっているだけなのだなあ、と。相手と過ごして来た時間の中で見てきた言動に基づく経験則で作り上げた虚像を見て理解したつもりになっているだけなんですよね。勿論、完璧に相手のことを理解してやろうだなんて不可能なわけです。結局、外部の人間が精度にバラつきのある理解や知見を勝手に示すしかない。
勿論それはあった方が絶対良いものですし、無かったらもう色々な物事や関係が崩れてしまうものなんですけど、外部の人間はその相手の虚像の精度を極限まで高める必要があるんじゃないかなあ。というか、それができる豊富な想像力の人間こそが「優しい」存在であれるんだと思いました。
というわけで、僕の2019年は想像力と見識を養うことを目標にしたいと思います。
知らないといけないもの、想像しないといけないものが死ぬほどある世界なので、腐らずに精度の高い優しさを養えるようになれたら良いな。
年明けからまたこんな話をしてしまいました。皆さんにとってもよい2019年でありますよう。
今年もひとつ、よしなに。
1993年生まれ、青森県出身。進学を機に上京し、現在は大学で外国語を専攻している。中国での留学などを経て、現在では株式会社WACKで学生インターンをしながら就職活動中。趣味は音楽関係ならなんでも。