23時の、中野。
ピエール中野でもなければ、ブル中野でもない。もちろん、サンプラザ中野くんでもなければ、中野英雄でもない。
東京・中野の、路地裏にある雑居ビルの地下1階。
私とエトウさんは、初めて訪れたガールズバーにいた。
「今日は、何をされていたんですかー?」
金髪で、YUKIを垂直落下式タイガードライバー’85でKOした後のような顔をした微妙にかわいい感じの嬢が言う。いや、正確にいえば、嬢ではない。カウンター越しに接客するタイプの店は、すべてガールズバーとして分類され、彼女たちは決して嬢と呼ばれることなく、生涯を終えるという。
「この人は、小説家の先生なんだよ」
何を思ったのか、エトウさんが、唐突にガールズたちにそう告げた。何を言い出すのだ。だがしかし、悪い気はしない。
「えー! ゴイスー! 今日はお仕事の打ち合わせかなにかですかあ?」
私は、文壇バーにいる気分で、横にいるエトウさんを編集者として紹介した。
「すごいですね! 又吉さんみたいな感じですか?」
もう1人の地味娘が、口を挟む。まるでモノクロ時代のNHK朝の連続テレビ小説を見ているかのような、昔風のガール。
「又吉さんみたいなことですよね」
こいつは、何を言っているのだ。若者は、みんなそうだ。小説家と言えば、ピース又吉。歌と言えば、あいみょん。エヘンときたら龍角散。みんな同じものを知っていないと不安になるのだ。
私は、小説家になりきって、文学とは何かを熱弁した。君たちは高村光太郎を知っているか。「智恵子抄」を読んだことがあるのかと。もちろん、ないという答え。では、レベルを下げて話をしよう。「ミスター高橋のプロレスラー陽気な裸のギャングたち」は読んだことがあるだろうか。いや、ちょっとレベルの差が大きすぎたかもしれない。ならば、「ツービートのわッ毒ガスだ」はどうだろう。全く知らないようだ。ワニブックスのベストセラーシリーズすら読んだことがないとは。これだから、ゆとりは困る。「おすぎとピーコのこの映画を見なきゃダメ!!」はどうだろうか。かろうじて、地味ガールが反応した。映画、という単語に触発されたらしい。もっとも好きな日本映画は、「クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶモーレツ! オトナ帝国の逆襲」だという。まあ、いい。たしかにいい映画だ。
だが、違う違う。そうじゃ、そうじゃない。私がしたかったのは、こんなトークでもないし、私が会いたかったのは、こんなガールズじゃない。
そう、私が会いたいのは、嬢。とびきり素敵な、気分はピーチパイな、嬢なのだ。
なのに、中野には嬢がいない。まともなキャバクラも、ない。私の理想が意識高すぎ高杉君なのだろうか。
いや、違う。私は、この東京砂漠で、キャバクラという蜃気楼を見ていただけなのかもしれない。
いつか見た、初代の嬢の面影。いまも、忘れることができない。
もしかしたら、私が好きなのはキャバクラではなく、嬢でもない。ただ単に、初代嬢を女性として愛していたのかも、しれない。そんな自分の心に気が付かず、私はこの1年あまり、歌舞伎町をはじめとするキャバクラで、さほど思い入れのない嬢たちに、無意味なお金をつぎ込んできた。そうか、そうだったのか。
東京には、キャバクラがないと、アセは云ふ。
その意味は、今となってはかつての私の心にしかわからない。まるで別の人格と化してしまった、今の私、アセロラ4000.
「お会計、いいですかあ? 17,800円です」
3,000円では、なかったのか。どうやら、しゃべりながらいつの間にか女の子にガンガン酒を飲ませてしまい、結果的にキャバクラ的な価格になるという、ガールズバーあるあるなのかもしれない。しかし、私にはそんな金は、ない。今、755円しか持っていない。
ふと横を見ると、エトウさんがいびきをかいて爆睡している。私は、無防備に寝ているエトウさんを起こさぬよう、気を遣いながら立ち上がると、彼のジーパンのポケットから慎重に財布を抜き取り、中にある札をすべてガールズに渡し、1人で店を出た。
中央線の最終電車が、ちょうどホームに滑り込んできた。私はお年寄りを押しのけて優先席に腰掛けると、ため息をつき、目を閉じた。
電車は走り出し、いつもの街に戻って行く。明日からまた、仕事が待っている。働かなければ、生きて行けないのだから。
電車に揺られて、私の意識は徐々に遠くなる。ふと、嬢の顔が目の前に浮かんだ。
嬢、僕もう、眠いんだ……
私の頭上を、嬢の顔をした天使が降りてくるのを、見た。
完
アセ先生の次回作にご期待ください!バイナラ
月に一度のキャバクラ通いを糧に日々を送る派遣社員。嬢とのLINE、同伴についてTwitterに綴ることを無上の喜びとしている。未婚。
https://twitter.com/ace_ace_4000