2018年に私小説『夫のちんぽが入らない』(扶桑社)でデビュー、同年に上梓したエッセイ集『ここは、おしまいの地』で第34回講談社エッセイ賞を受賞した、作家のこだま。普段は“見渡す限り枯れ野が広がる”〈おしまいの地〉で主婦として生活しており、家族も周りの人たちも、彼女が作家活動をしていることを知らない。
2020年9月2日に発売された単行本『いまだ、おしまいの地』は、そんな〈おしまいの地〉で暮らすこだまが、2018年10月から2020年8月に連載していたエッセイを大幅に加筆修正してまとめた、彼女にとって3冊目の単行本となる。
集団お見合いを成功へと導いた父、とあるオンラインゲームで「神」と崇められる夫、小学生を出待ちしてお手玉を配る祖母…… 〈おしまいの地〉で暮らす人達の姿が、こだま独自の視点と丁寧な文章で綴られていく。
一読して感じるのは、前作『ここは、おしまいの地』で描かれた〈おしまいの地〉からの視点や受け取り方の変化だ。〈おしまいの地〉に暮らし、生きることを受け入れ、そこに楽しみを見出しているような変化がそこにはある。〈おしまいの地〉から家族に内緒で取材のため訪れた9月14日の夜、そんな変化について、こだまに話を訊いた。
取材&文:西澤裕郎
もうちょっと静かに物事を観ているエッセイを描きたいと思った
──前作に引き続き、タイトルに〈おしまいの地〉という言葉を使用されています。こだまさんにとっての〈おしまいの地〉とは、どのような場所なんでしょう?
こだま:1作目『ここは、おしまいの地』を書いたときは、自分の居場所としてここは嫌だという気持ちが強かったんです。でも、エッセイを書き続けるうちに変わってきて。嫌いじゃないけど、ここにおいでよと誇れる感じでもなく、ただ普通に受け入れられるようになってきたんです。こんな田舎に住んでいる…… って以前ほど自虐的に書いているわけでもなく、本当に日常になった。見たままを書くようになりました。
──同じ〈おしまいの地〉という言葉でも捉え方が変わってきた、と。
こだま:前回はもっとネガティヴな印象だったと思います。ひとつひとつのエッセイは明るくは書いていたけど、内容自体は重い部分も多かった。今回は自分から外に出るようになったし、今住んでいる〈おしまいの地〉のこと自体をメインに書いています。猫のカバー写真に現れているように、どこにあるのかわからないけど不思議な場所くらいの印象になってきましたね。
──連載という形で、定期的にその時々のことを書き下ろしてきたわけですが、定期的に文章を書くという行為は、こだまさんにとってどんなものなんでしょう。
こだま:私はもともと怠け者なので、明確な締切がないと書かないんです。なので、その時々の興味の持ち方が書かれていると思います。「九月十三日」ではエッセイ賞の受賞式、「メルヘンを追って」では詐欺師の家に乗り込んだこと、「探検は続く」はコロナの話ですし、本当にリアルタイムなんですよね。
──持っているエピソードを出し惜しみなく書くようになった、ともおっしゃっていましたよね。
こだま:前作までは、「この話を書いちゃったら次は何を書けばいいんだろう」ってハラハラしていたんですけど、最近はそんなに大きな事件じゃなくても日常をもう少し深く書けばひとつの作品になると、なんとなくわかってきて。作風自体もそういう方向に進みつつありますね。
──どこでそうした転換のきっかけがあったんでしょう。
こだま:エッセイ賞の受賞はかなり大きかったと思います。賞をもらっただけで終わってしまったら嫌だなという想いが強くて。でも1作目と同じパターンでずっと書いていくのも違うと思ったんです。そのとき、もうちょっと静かに物事を見ているエッセイを描きたいと思うようになって。それが変化として表れてきたのかなと思います。
嬉しいことがあると、絶対それに付随するかのような事件が起こる
──前回の記事でも書かせていただいたんですけど、僕のこだまさんに対する最初の印象は文章の綺麗さや上手さだったんですね。白いものでも、こだまさんが黒いと書いたら信じてしまいそうな流麗さがある。でも本作は、それ以上に観察力の高さを感じたんです。書くことを前提に日常を観察しているのか、もともと気が付くことが多かったのか、そのあたりはいかがでしょう。
こだま:両方ですね。何も書くことがなくて困ったときは、書くために外に出ている部分もあるんです。逆に、何も意図しないままお金を振り込んじゃったり、ひどい目にあったり、そういうことも定期的に自分に巡ってきます。事件があったら書くし、自分から外に出ていくこともあります。一作目は過去の話がメインになっていたと思うんですけど、今作ではもっと目の前で起きている出来事を取り上げました。
──「メルヘンを追って」は、こだまさんがSNSでお金を苦心してきた面識のない男の嘘を間に受け合計44万円を振り込んでしまい、取り返しにいくというエピソードです。Twitterでもそのときの様子はつぶやかれていましたよね。
こだま:思ったことがあったとき我慢できずにツイートしちゃうんですよね(笑)。ツイートしていなかったら、もっと衝撃をもってエッセイを読めると思うんですけど、我慢できずつい書いちゃう。Twitterを読んでいる人にとっては目新しさがないんじゃないかと思っていたんですけど、中にはリアルタイムでも味わったし作品でも読めるのがおもしろいと言ってくださる方もいて。そういった楽しみ方もあるんだってことは今回初めて知りました。
──リアルタイムで考えていることと、少し時間が経って物事を考えて書くのでは、表現の方法が変わってきますもんね。
こだま:もしメルヘンの話をエッセイだけで書いていたら創作っぽく見えちゃう要素もあると思うんですけど、当時困っていたことや、実際に知り合いも連れてお金を取り返しに行ったということもつぶやいていたのでTwitterが補強材料になるかもしれません。前作でも「これ、かなり盛って書いているんじゃない?」って言われることがあったんですけど、Twitterを追っていくと本当にそのまんまだったんだとわかってもらいやすい部分はありますよね。
──たしかに、フィクションっぽいくらい強烈なことが、こだまさんには降りかかってきますよね。
こだま:コロナのときも「闇市だ!」って、耐えられずにTwitterに喜んで書いていましたし、わりとTwitterをメモ帳がわりに使っているところもありますね(笑)。
──あとがきもフィクションみたいな出来事が書かれていますよね。
こだま:文庫を出して3日後くらいに実家に喜んで帰ったんです。その帰り道に、野生動物と衝突して車が大破して廃車になりまして……。嬉しいことがあると、絶対それに付随するかのような事件が起こる。これまでもずっとそうだったんです。
──こだまさんは物事を斜に見るような視点がある反面、好意でお金を貸したり、人の細かい機微にも気がつかれます。根本的に人がいいのかなと文章を読んでいて思います。
こだま:よく言うと純粋なのかもしれませんが、悪く言うと何も考えていないというか。深く考えずに走り出してしまうところがものすごく多くて。メルヘンのときも、1分で振り込みますって返事しちゃっているんですよね。1日時間を置いて考えたらお金を送らなかったかもしれない。
嫌な目にあったら元をとらないと気が済まなくなってくるんです
──日常で体験していることは、書くことで消化される部分もあるんでしょうか。
こだま:せっかくというわけじゃないんですけど、嫌な目にあったら元をとらないと気が済まなくなってくるんです。お金が返ってこない詐欺みたいな出来事の中にいると気づいたときも、途中から書くことが前提になったんですよね。
──日常での出来事が、どこかで話のネタになるという視点も生まれてくるんですね。
こだま:自分1人だったらネタになるとは思わなかったかもしれないんですけど、周りからこんなひどい目にあったんだから書くしかないぞと言われて。そうしたらちょっと強気になってきたというか。実家訪問するのも自分1人では思いつかないような手段だし、それを最終的に文章にするための大事な取材ですよね。そう思うことで、気持ちを切り替えて相手の家に行くことができました。
──こだまさんはものを書くこと自体への苦悩なんかはあるんでしょうか。
こだま:すごくあります。特に鬱になってからは、締切が今日だっていうのに全然書き上がっていなかったり、頭の中でどういう構成で書くかまで完成しているのに書き出すことができなかったり。そういう辛さは特に鬱になってからひどくなっちゃいましたね。
──その期間どういう気持ちで過ごされていたんでしょう。
こだま:本当に何もできなくて。でもTwitterはできるんですよね。Twitterはしているくせに原稿を出さないって申し訳なさが増えていって、励ましてくれたり慰めてくれたり、周りの人がすごくやさしいのでさらに申し訳なくなる。人それぞれよくなる方法は違うと思うんですけど、私にとっては薬が合っていた。そういう症状だったから、人に慰めてもらっても立ち直れなかったんです。
──原因がわかったことで気持ちが楽になったということも書かれていました。
こだま:どうしてこういう事態になっているのか、根本がわかれば少しだけ解決方法が見えてくるかなと思うんです。私、実は心療内科に通っていることも薬を飲んでいることも、夫になんとなく話せなくなっちゃって言ってないんですよね。だから、夫から見たら、最近ずっと寝ているなと思っているかもしれないですね。
──そこで変に干渉しないのは旦那さんのやさしさというか。
こだま:干渉もしないですし、家事をしなくても特に文句を言う感じでもなくて。それは助かっていましたね。
1人カラオケと向かい合ってみようかと今考えているんです
──「面白くない人」は、大学の同期と妹さんが結婚する話です。人付き合いをまったくせず、つまらないと思っていた同期が実は家族想いだったり、意外な一面を持っていることを知る。「小さな教会」では、毛嫌いしていたサウナにハマり、お父さんのことを理解する。視点を変えたり深く知ることによって、人を理解することにつながっていく話が今作では何作か収録されています。
こだま:サウナが流行っていることは知っていましたが、頑なに拒絶していました。妹の結婚相手もサウナの件も「自分にはその良さをわからない」という悔しさが原動力になっています。
──本作は、こだまさんの楽しみとか世界が広がっていく過程なのかなと思いました。
こだま:苦手なものがあればあるほど、経験することで広がりがあるんだなってよくわかりました。私は子供の頃から歌が大っ嫌いで、カラオケもすごく嫌いなんです。でも今、「1人カラオケ」と向かい合ってみようかと考えているんです。40年近く歌が嫌いって気持ちと決別できるんじゃないかって。サウナの経験を得て、これも克服できるかもとカラオケに対して思っています。
──「おそろい」に出てくる、好きなものを先に食べるか、最後に取っておくかという好みの問題の話もおもしろかったです。
こだま:もともと校長先生がした話がすごく好きで。嫌いなものから食べていったら、どれが嫌いか選ばなきゃいけない。好きなものから食べるとしたら、これが1番に好き、2番に好き、全部好きってなるって話で。そう考えると、これから好きになるチャンスがいくつもあるんだって前向きに考えられるようになりました。
──SEKAI NO OWARIなど音楽ライヴにいかれているのも印象的でした。
こだま:招待していただいたんですけど、自分はふさわしくないんじゃないかと思って考えちゃったんです。本当に私がこの場にいっていいんだろうかって。でも行ったら涙をボロボロ流して、ものすごくハマってしまって。ちょうど鬱だったのもあって心にすごく響いたんです。そこから竹原ピストルさんのライヴにいってみようと思ったり、友達がceroのライヴに誘ってくれたり。短期間で初めての経験をたくさんできた時期でした。
──本作の中で一番笑ったのは「九月十三日」で、エステで脇の永久脱毛をしている最中の会話です。いろいろ誤魔化してエステティシャンの人と話しているのに、脱毛を完了したい日だけはっきり9月13日と答えてしまう。それに対して、その日に何があるのかをこだまさんに尋ねてくるシーンで放った一言がものすごくおもしろい。
こだま:たまたま紀行文を集中的に読んでいた時期で、村上春樹さんの『ラオスにいったい何があるというんですか?』と同じ口調でスタッフのお姉さんが具体的な日付を遠回しに訪ねてきたんです。電流をビって当てられながらちょっとずつ質問されているうちに9月13日と言ってしまって。
周りの人に言いたくないという気持ちだけはすごく頑固なんです
──本作を読んでいると、〈おしまいの地〉に対して居場所や楽しみを見出していて溶け込んでいるのかなと思います。一方で、〈おしまいの地〉の周りの人に対してはエッセイのことはオープンにしていない。そこのギャップが広がっているのかなとも思いました。
こだま:どんなに地域に溶け込んだり、気持ちが変わってきたとしても、周りの人に言いたくないという気持ちだけはすごく頑固なんです。向こうから知られたら知られたでいいかという開き直りはあるんですけど、自分からは一言も言いたくない気持ちは変わらないんですよね。
──それはどうしてなんでしょう?
こだま:家族の前でもそうなんですけど、普段大人しいんですよね。人といても自分のことを何もしゃべらない。なのに密かにこんな悪いことを考えていたのかと思われたくないというのはありますね。こういう取材だったり、ネットでは自分がどんな悪い人間か裏表なく出し切っているんですけど、身近な人に対しては、いい人間になろうとしちゃっているんですよね。それを覆せないところがあります。勇気がいります。
──二面性を持ちながら生きている感覚もある?
こだま:ありますね。書き物のことは一切周囲に話していないので〈おしまいの地〉にいるときはただの引きこもり人間のような活動しかしていなくて。東京に来て取材を受けていると本を出したんだなと思ったりします。
──〈おしまいの地〉に住み続けて、この先どうなっていくと思いますか。
こだま:転勤の場所は選べないので、この先どこに行くかはわからないですけど、もし離れたとしても〈おしまいの地〉自体に思うことはたくさんあるだろうなと思います。故郷のように思うかもしれないですし、自分でもまだ想像がつかないです。自分が住んだすべてを〈おしまいの地〉にしているので。
──そう考えると、こうやって東京にも来たりしているわけですし、日本すべてが〈おしまいの地〉という考え方もできるのかなと思います。
こだま:そこは、まったく別の世界という感じがします。非日常というか、明らかに違うんですよ。東京に限らず大阪なんかも、荒れた野原がないだけで感動してしまったり。そういうレベルの違いなんです。
──こうやって定期的に〈おしまいの地〉のエッセイが出ることで、読者も〈おしまいの地〉に一緒に住んでいるような気持ちになります。これからも連載を続けていってほしいなって勝手に熱望しています。
こだま:そう言っていただけたら、今後もがんばって書けそうです(笑)。
■書籍情報
『いまだ、おしまいの地』
著:こだま
発売:2020年9月2日(水)
仕様:四六判、192ページ
ISBN:978-4-7783-1722-5
主婦。2017年、『夫のちんぽが入らない』でデビュー。翌年にはコミカライズ、19年にはNetflixにてドラマ化。2018年、エッセイ集『ここは、おしまいの地』で第34回講談社エッセイ賞を受賞。現在、『Quick Japan』にて連載中。