その日、私は田町駅の「いろり庵きらく」前で立ち尽くしていた。さっきからお腹がグーグー鳴っている。食べたい。でも食べられない。なぜならば、お金がないのだから。
私は、「いろり庵きらく」のそばが好きだ。そばはもちろん、揚げたてのかき揚げの美味しさは、数ある立ち食いそば店の中で断トツ1位ではないだろうか。いや、「富士そば」が美味しいことも、もちろんわかっている。立ち食いそば界に於いて「いろり庵きらく」と「名代 富士そば」は立地の違いはあれど、よきライヴァルだ。しかし、業界No1の座は「ゆで太郎」が死守している。
「ゆで太郎」をドカベンの山田太郎に置き換えると、「いろり庵きらく」と「名代 富士そば」は不知火と土門ぐらい、ライヴァルの座を競っているといえる。「いや、2人とも神奈川県予選のライヴァルじゃないか」。なるほど、確かにその通り。では甲子園大会に目を移してみよう。犬飼小次郎もいれば、坂田三吉もいる。そうそう、中西球道だって忘れちゃダメだ。いや、待てよ。球道くんが出てくるのは「ドカベン」じゃなくて「大甲子園」じゃないか? そうか、これは失敬。私の記憶力も地に落ちたものだ。復習のため、今日はブックオフに行って、文庫版の「ドカベン」を買おう。前半の柔道編は飛ばして読むから、朝までには読めるはず。さあ、今夜は忙しくなるぞ。
違う違う、そうじゃ、そうじゃない。
ドカベンの話がしたいわけじゃない。私は、山手線で寝過ごして目的の駅を降り損ねてしまい、慌てて田町の駅で降りた結果、財布が入ったリュックを車内の網棚に忘れてきてしまったのだ。
私は、田町駅の駅員さんに事情を話した。本当は、池袋のドンキでたまごっちを買うつもりだったこと、田町なんていう知らない街に降りるつもりなどなかったこと。
軽い田町disにムッとしたのだろうか。駅員さんは、プク顔をしている。よく見ると、ニャンギラスの立見里歌に似ていなくもない。もしかして、本人だろうか。いや、そんなわけはない。まてよ、もしかしたら。ちょっと聞いてみようかしら。
「見つかりましたよ」
駅員さんが、「バラ珍」のときの島田紳助みたいな調子で言った。よかった、見つかった。これで「いろり庵きらく」のそばが食べられる。
私は、駅員さんにお礼を言うと、一目散で電車に乗り、リュックを預かってくれているという秋葉原の駅についた。よかった。リュックも無事、財布も無事、田村で金、谷でも金。なんという幸運なんだ。さらに私は信じられない光景を目にした。秋葉原の駅にも、「いろり庵きらく」があるじゃないか。私の空腹はもう、グーグー鳴りすぎて限界を越えていた。このままでは、グーグードールズが来日したぞ!? と意識高い系の音楽ファンにSNSで書かれてしまう。
しかし、私は我慢した。田町の駅には、恩がある。秋葉原の「いろり庵きらく」では、そばは食べることができない。正直、スマン。だが、信じたこの道を私は行くだけ。すべては心の決めたままに……。
コシのある蕎麦、辛めのつゆ、揚げたてのかき揚げ、そして海老。
田町駅で食べた「いろり庵きらく」の「海老と長ネギのかき揚げそば」(税込560円)は、今まで食べた立ち食いそばで一番美味しかった。
アセロラ4000(あせろらよんせん)プロフィール
月に一度のキャバクラ通いを糧に日々を送る元・派遣社員。嬢とのLINE、同伴についてTwitterに綴ることを無上の喜びとしている。バツイチ独身。