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世の中には、音楽、映画、漫画、ファッション、アートなど、たくさんのカルチャーが溢れている。そして誰しもが何かしらの文化に触れて、影響を受けて成長をしていく。世の中で活躍する人たちは、どんなカルチャーに親しんできたのか? 様々な人のバックグラウンドに迫っていく不定期連載『あの人のカルチャー遍歴辿ってみた』。

第4回は、女子プロレスラーとして活躍する上福ゆき。高校生のときにアメリカに留学し、帰国後は東洋大学ミスコンテストでの準グランプリ受賞を果たす。その後、芸能界入りし、タレントとしての道を進み、現在は173cmの身長を活かし東京女子プロレスでレスラーとして活動している。来年3月18日には同団体初の有明コロシアム進出も果たすなど盛り上がりを見せる彼女を形成してきたカルチャー、哲学、ルーツを語ってもらった。

取材:上野拓朗
文構成:StoryWriter編集部
写真:西村満


アメリカで毛嫌いされていた人たちと仲良くなった思わぬ一言

──上福さんは神奈川県藤沢出身ですよね。どういう幼少期を過ごしてきたんでしょう?

上福:私は 1つのことに集中することができないタイプで。テニスと英会話を習っていたんですけど、『テニスの王子様』の格好をした男の子たちが5~6人入ってきた時点で「ダサッ」と思ってテニスは辞めて。英会話も英語を学びたいというより、そこにいた先生が個性的で楽しいなと思って通っていたので、夢中になって頑張りたいことは特になかったんです。中学では、親に言われてバトミントン部になんとなく入って、数ヶ月で辞めました。学校もきちんと通っていたかと言われたらそうでもなくて。勉強も全くできなかったので、父親のアメリカ転勤のタイミングで一緒に連れていかれた感じです。

――いきなりアメリカで暮らすとなると、環境の変化がすごく大きいですよね。

上福:当時は興味もなかったし、行きたくもなかったです。行った先もオハイオ州っていう田舎で、ほとんどが白人。あとヒスパニック系と黒人の人たちが少しいるという環境でした。アジア人が全然いないので人種差別に遭うし、いきなりハードな環境にぶち込まれた感覚で、しばらく学校でもいじめられました。毎週月曜日に教室でみんな立ち上がって、国旗に向かってアメリカ最高!みたいなのをやらないといけなくて。最初は全然英語が分からなかったんですけど、1年ちょっと経った時、隣の席にいた黒人の男の子が私の肩をバンって叩いてきて、いきなり押さえつけられたんです。その子に「お前はジャップだ。アメリカに誓ってんじゃねえ」って言われたんですけど、私もそのときはキレて「黙れ! トヨタは日本の車だ! このシャープのテレビは日本のものだ!」って英語で叫んだら「ウケる! お前英語喋れるんだ。おもしろいじゃん」ってその後は仲良くなりました。あれだけ私を毛嫌いしていた人たちも、帰国時にケーキとか持ち寄ってさよなら会をしてくれて、最終的には仲間になったという(笑)。

──すごいドラマチックですね(笑)。当時心の支えになっていたものはありますか?

上福:犬です。アメリカに引っ越して、すぐにお父さんにお願いをして。その子が遊び相手、兄弟みたいな存在でいてくれて、ずっと呪文のように愚痴とか言ってましたね。

──音楽は聴いていましたか?

上福:CDは全然買わなかったです。父の会社にアメリカ人のビルさんという人がいて、彼が結婚した時に私にプレゼントをくれたんです。「Fifteen」って曲が収録されてるテイラー・スウィフトのアルバム『Fearless』で。私は当時16〜17歳でテイラーと同世代だったし、ビルさんが「君と同じような心情を歌っている曲があるから聴いてごらん」って言ってくれて、歌詞を自分で調べてテイラー・スウィフトをめちゃくちゃ聴くようになりました。当時ケイティ・ペリーが学校で流行って、自分だけ分からないのは悔しいから歌詞を調べたりはしてましたね。その後にアリアナ・グランデも好きになったんですけど、日本の曲の方が好きだったので、back numberにもハマって、暗い歌が好きで聴いていましたね。

 

──アメリカにいながら邦楽を聴きつつ、洋楽も聴いていたんですね。

上福:あと、Kさんの「Only Human」って曲を聴いて、こんなに暗い曲を書く人もいるんだから自分も頑張らなきゃって思ってました(笑)。

 

──友だちとライヴとかDJイベントに行ったりとかは?

上福:ライヴは行ってないですけど、クラブには行ったことあります。日本に帰ってきてからはSEKAI NO OWARIとback numberのライヴに行きました。

──ちなみに最近はどんな音楽を聴いているんですか?

上福:試合前はとにかくテンションを上げようと思って、アリアナ・グランデとかテイラーをたくさん聴くんですけど、最近、中島みゆきさんの「誕生」を好きになりました。この前シングル戦でボコボコにやられたんですけど、笑顔で頑張って物販してサインして日も暮れて帰る時、スーツケースをガラガラ引いていたら雨が降ってきて「せつな!」と思って。その時に「誕生」を聴いたら「この人もきっとなんかあったわ。強く生きよう」って思いました(笑)。見た目は派手なので、周りからしてみたらキャリーケースを引いて旅行帰りかよぐらいに思われているのに、実は相当殴られて帰ってきているみたいな。それって自分にしか分からないじゃないですか。だから思い切り自分に浸って家まで帰るんです。それで帰ったら普通に戻るって感じを繰り返しています(笑)。

 

ダラダラした港区女子になりたくなかった

──思春期に留学して英語も喋れるようになり、多様な価値観もつけて帰国したわけで、自己肯定感が増しそうな気がするんですけど、そういう感じでもなかったんですか?

上福:なかったですね。ニューヨークにいたら違ったかもしれないですけど、田舎だったのでその世界しか知らないんです。藤沢も田舎なので、表に立って何かをしている人間は周りにはほとんどいなかった。だから大学進学の時に東京に出てきて、六本木で劣等感をめちゃくちゃ持ったんです。あるお金持ちの男性が「僕は毎年ルイ・ヴィトンから招待が来て、めっちゃ割引される」って言っているのを聞いて、なんでお金持ちはずっとお金に余裕があるのに、お金がない人はずっとお金がないんだろうって考えて、そこでちょっと卑屈になったのかなと思います(笑)。

──日本はまだまだレベルが低いな、みたいな感じにはならなったんですか。

上福:レベルが低いというより、何か成し遂げないといけないんだなとは思いました。偉いことをブイブイ言っている人も、絶対に泥水をすすっていた時期があるんだろうなって。口だけの人と行動する人の差をすごく見てきたのもあります。六本木のバーでバイトをしてたんですけど、「モデルになりたいから痩せたい」って言ってた同僚の女の子が、バカにされても努力して痩せてオーディションを受けまくって受かった。それに対して、同じ大学の子は「きれいになりたいんだけどね」って言いながらめっちゃ食べて、いつまでも痩せなかったり。大人になると言い訳が上手になってくるじゃないですか? それはダサいなと思ったので、何かやらなきゃいけないなって気持ちにはなりました。

──大学を卒業する時に就職は考えていたんですか?

上福:全く考えてなかったですね。大学3年の時にミスコンに出て、そこからレースクイーンをやるようになったんです。身長が高いのがコンプレックスだったので、心のどこかで身長を活かせる仕事に就きたい、コンプレックス改善のために表に出る仕事がしたいと思ってました。でも何をやっていいのか分からない時、レースクイーンだったらいけるかなと思い始めて。じゃあモデルも頑張ってみようかと思ったんですけど、体型、顔の大きさ、手の大きさとかのバランスも大事で、ゼロから頑張るのは相当狭き門なんだなってことに気づきました。それから自分ができることでとにかく名前を売っていこうという考えに変わってグラビアをやることにしたんですけど、仕事が全然なくて。でも、それを言い訳にしてパパ活してる子を見てキモいなと思って。マネージャーさんに「自分は部活もやってこなかった人間だから努力して何かしたい」って言ったら、「めちゃくちゃエロい番組に出るか、プロレスのどっちか」ってなってプロレスを選びました(笑)。それで雑巾がけから始まり、今ですね。

──プロレスも成り上がれる保証はないじゃないですか。そのへんはどう考えていたんですか?

上福:プロレスラーになりたい気持ちよりも、ダラダラした港区女子になりたくないって気持ちがすごく強くて。プロレスも始めた瞬間から「頑張れる! いける!」とは全く思ってなかったし、練習生の時は一生懸命練習して、とにかくがむしゃらに人生を変えないとと思ってました。でも、酒と男好きですっていうパリピキャラでデビューしたこともあって、「生意気、下手くそ、お前みたいな腰掛けみたいなのは困るんだよ、プロレス舐めるな」みたいにバッシングされたんです。悩んだ時期もありましたけど、反骨心の方が強くて。プロレスの興行って、私じゃないレスラー目当てで行ったとしても、その人と私が組んだり戦ったりするからどうしても私を視界に入れなきゃいけない瞬間があるんです。このまま頑張って続けたら、私のことを憎んでいた人たちも驚いたり感動したりするかもしれないと思ったら、ポジティブな声が上がるまでもう少し続けてみようと思って。それで今、5年くらい経ちました。

東京女子がもっと大きくなるように力を添えたり発信をするのが使命

──アメリカにいた時はプロレスを観たりしていたんですか?

上福:全く観たことないです。今でも興味は基本的にないです(笑)。

──運動経験がない中でプロレスをやってみてどうですか?

上福:最初は憎しみ合っているわけじゃないのになんでこんなに殴り合えるんだろうって思っていたんですけど、始めてみたら思い切り殴らないと失礼になることもあるって実感しました。チャンピオンになりたいとか、強くなりたいとか、痛くても立ち上がることによって元気をもらえる人がいるんだなってことを知ったり。いろいろなストーリーがあって、それを観てお客さんが感動して、感化されるんだなって思えましたね。

──プロレスラー上福さんにとってのターニングポイントは?

上福:最初は「負けてもしょうがないじゃん」って思っていたんです。でも、あの人に勝ちたい、この人より高く飛んでみたい、もっとかっこよくなりたいって気持ちがいつの間にか芽生えてました。東京女子プロレスも、どこの誰だか分からない子を採用して、先輩たちも時間を割いて自分にプロレスを教えてくれて試合のカードを組んでくれる。本当は私なんかと試合したくないかもしれないじゃないですか? でも一生懸命向かい合って、自分と試合をしてくれたことを無駄にしてはいけないなと思って、東京女子がもっと大きくなるように力を添えたり、違う分野でも発信したりするのは使命だと思っています。感謝しながら試合ができるようになりました。あと、アジアの方に女子プロ文化ってそんなにない気がして、そこに火をつけられるようにアジアに行ってみたいなとも思ってます。

──英語でコミュニケーションできますからね。

上福:試合が終わった後に、捨てゼリフの如くコメントブースで言いたい放題言っているんですけど、リング上で堂々としゃべるのは苦手なんです(笑)。でも、どんどん他の国に行ってみたいし、知らない国に行きたい気持ちが強いですね。もっとマイナーな国にも行ってみたい。Instagramでもフォロワーさんとかファンの方で台湾、香港、シンガポール、タイとかから見てくれている方がいるんです。そっちのレスラーの人に「君も頑張ってこっちに来なよ」って言われたりすると、「頑張ります」ってお返事したりします。

──ファンとのコミュニケーションで言うと、上福さんはInstagramにOnlyFansのリンクを貼っていますよね。18禁の有料SNSで海外の利用者がすごく多いプラットフォームですけど、反応はどうですか?

上福:何も分からずとにかく始めてみたんですよ。グラビアをやってたし、ちょっと写真を載せようかなぐらいの感覚でした。Twitterはアンチとか気持ち悪いコメントが多すぎて腹が立つんです。でも、OnlyFansだったら本当に応援してくれている人しか見ない。訳の分からないコメントにイラッとするより、ちゃんとしっかり自分のことを見てくれている人にお返事したり、時間を割いて自分にコメントをくれた人のアドバイスを聞いたりするべきだなと思っています。客観的に見てもらえるし、OnlyFansはコミュニケーションツールなイメージです。ただ写真を載せるだけじゃなく、価値のある繋がりにしたいなと思っているので、OnlyFansはファンの方たちとの交流の場です。

何をするにも女子の味方でいたい

──プロレスを続けてきて、自分のやりたいことが見えてきた感覚はありますか?

上福:今プロレス歴6年目で、今年8月に地元の藤沢で興行をやれたのは大きかったです。私は恩返しすることをベースに物事を全部組み立てていて、東京女子に対してはちょっとでも知名度を上げるために自分が何かできたらいいなと思っています。藤沢には仲間がいますし、地元を盛り上げるために何か還元できたらなとも思います。あと、最近オハイオにプロレス団体があることも知ったので、そこに行ってアジア人であることでいじめられている子たち、人種差別を受けている子たちのためにプロレスをやりたいですね。オハイオに住んでいた時、少なからず日本人、アジア人に助けられた経験があったので、直接の恩返しじゃないかもしれないけど、今いるアジアの人たちに「こんなに堂々としてるアジア人がいるじゃん、最高!」って思ってもらえるようになりたい。そのなかで自分ができることをしていくのが今の目標です。

──凱旋興行はチャリティとして、売上の一部を藤沢市に寄付したんですよね。

上福:自分も地元にいた時、保健室にずっといたり、学校に行かずダラダラどこかにいて大人に心配かけたりしたことがあって。チャリティの寄付先がプレスクールに通っていたり、大学に行きたいけどお金がない子どもたちだったんです。今回はそこまでできなかったんですけど、学校に行く気がない、何もしていないって子に「道端で喧嘩するぐらいだったら、身体動かしてプロレスやってみる?」とか、私は大人になってバックボーンがない状態からプロレスラーになれたので、何かを始めることの大事さ、いま何もなくても夢中になれることを見つけると人生が豊かになるよって早い段階で教えてあげたいです。

──上福さんはやんちゃな子たちから慕われやすいキャラなんですか?

上福:どうなんですかね? 一番多感な時期に海外に行っていたし、帰国してからも不良みたいな子たちからは相談というより「お前、東京に魂売ったな」って言われてました。でも、そう言いながらも、六本木のクラブに行ってみたいとか言われて。「じゃあ、さっさと夢見つけて都内に出なよ!」とか言っても、結局その一歩が踏み出せないし、言い訳なんですよね。藤沢でずっと自分を甘やかして、やりたいって言っていることを行動に移さない。なので、相談は聞くけど甘やかさないタイプで。たぶん裏で「あいつ調子乗ってるな」って感じで言われてたと思います。凱旋興行をしたとき、地域の方に楽しんでもらうことが一番でしたけど、これまで私のことを批判してきたやつとか、笑ってきたやつに私はここまでやったよというのを見せたかったのもありました。ずっと音沙汰なかった人も地元で興行する時に声かけてくれたりして。頑張って続ければ、笑っていた人も協力的になったりすることもあるし、もちろん卑屈なやつはいつまでも裏でバカにしているんだろうけど、別に私は自分のやっていることに後悔はしてないし、一緒にするなと思います(笑)。

──ローカルに根ざしたスタンスがまずあって、その上でプロレスだったり、海外への展望があるんですね。あと、バイク雑誌に写真が掲載されたりしていますが、どのタイミングで興味を持ったんですか?

上福:2019年終わりぐらいにTwitterのタイムラインを見ていたらバイクに跨った女性の映像が出てきて。自分もかっこよく乗りたいなと思って、そのバイク雑誌を調べたのがきっかけですね。マネージャーに何も言わないで編集部に書類を持っていって「やりたいです」って言ったら、居酒屋に連れて行かれて「お前おもしれえな」みたいな話になって。二週間後に表紙の撮影が決まったんです。その雑誌がハーレー専門誌なんですけど、編集長が天狗みたいな下駄を履いたロン毛、ロンヒゲ、ボロボロの革ジャンにワッペンが何個もついてるインパクトある人で。ハーレーのことをもっと深く知りたいと思った時に、免許を取らなきゃと思って、光の速さで中免取って、大型免許も取りました。それを編集長に言ったら認めてもらえて、ハーレーに乗らせてもらったり、雑誌に載せていただいたりしています。

──仕事も自分で取っていくスタンスでいるのはすごいですね。

上福:結局は人なので。東京女子プロレスも周りの人が嫌なやつだったら関わろうとしてないかもしれないですし、人との付き合いの延長線上に自分の仕事、ポジション、やりたい夢が生まれてくるイメージです。

──これからの先のことはどう考えていますか?

上福:アジアで女子プロを広めて、東京女子を輝かせたい。もう1つ、私は今29歳でアラサーなんですけど、周りの同い歳ぐらいの女の子たちに、歳をとっても挑戦することの楽しさとか、それが綺麗なことだって伝えたいです。何をするにも女子の味方でいたいですし、生命力強め女子でいたいです。

上福ゆき(かみふく・ゆき)

東洋大学ミスコンの準グランプリ受賞経験があり、週刊誌でグラビアを披露する機会も多い。長身から繰り出すドロップキックと逆水平チョップを武器にインターナショナル・プリンセス王座を獲得するなど実績を上げている。2022年8月には湘南台文化センター市民シアターで「上福ゆき地元凱旋興行~kewlest town is 湘南台だべ!~」を開催した。

 

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