「ホテルに戻りませんか?」
私は、ドキッとしてユミさんを見た。少し火照った顔、潤んだ瞳。艶やかな唇、そして巨乳。いや、最後は違った。スタイルは抜群だが決してグラマラスなタイプではない。思わずそんな風に感じてしまうほど、今目の前にいるユミさんは色っぽい。もしかして誘っているのだろうか。私は黙って頷くと、仕事をしなくてはならないことを理由に、主催者に断りを入れた。ユミさんは少し体調が悪くカラオケには参加できないと伝え、我々2人はみんなと別れ、ホテルへ戻った。
帰り道、私の胸の鼓動は高鳴っていた。さっきからユミさんは黙っている。何を考えているのだろうか。もしかして、もしかして。ナウなヤング風に言うと、これはワンチャンあるんじゃないだろうか。つまり、なんだか今日いけそうな気がする。
俄然テンションが上がった私は、ホテルに着くと、エレベーターのボタンを壊れるぐらい連打した。部屋についたら、どちらの部屋に行けば良いだろうか。やはり、こちらの部屋に招くのが男子たるものの務めだろうか。しまった、浴衣は脱ぎっぱなし、荷物は散らかりっぱなし、しかもコンビニで買ったヤンマガのグラビアページを開きっぱなしだった。
いや、そんなことは些細なこと。とにかく、落ち着いて紳士的にふるまうことが一番だ。ユミさんは、恥ずかし気にうつむいている。「ピンポーン」と音を立て、エレベーターが6階に止まった。私は、はやる気持ちを抑えながら、開くボタンを押してユミさんを送り出した。顔を上げ、サッと廊下に立ったユミさんは、大きく伸びをしてこちらを見た。
「あ~、しんどかった! 私、団体行動が本当に苦手なんですよね。あとカラオケ大嫌いなんです。本当に、アセさんが一緒に帰ってくれて助かりました。知らない街の夜道は怖いですからね。じゃ、おやすみなさ~い」
ひといきにそう言うと、ユミさんは部屋に入って行った。私は、しばしその場に立ち尽くしていたものの、すぐに気を取り直してとりあえず温泉に、入った。
翌朝、合宿最終日は8時に集合してエクササイズを行い、最後に主催者が挨拶に登壇した。取材陣を前に、「みなさん、2泊3日の合宿、本当に楽しかったです!」と感極まっている主催者。それを見て涙ぐんでいる新加勢。いったいいつの間にそんな絆を深めていたのか。「最後に、全員でこの曲を歌いましょう!」。突然、カラオケ機が運び込まれ、音楽が流れ出した。曲は「サライ」。これを歌わないと帰さんぞとばかり、マイクをリレーして、1人1人に歌うよう促す主催者。私は渋々一節歌うと、隣にいたユミさんにマイクを渡した。露骨に嫌そうな顔をしながらマイクを受け取り、ぼそぼそと歌うユミさん。
なんて、下手くそなんだ。
思いっきり音を外しまくりながら歌い終えると、隣の人にマイクを素早く渡すユミさん。うつむき、赤面した顔を見て、私は思った。
なんて、かわいいんだ。
美人で、スタイルもよくて、有名大学を出ていて、英語が喋れて、ダンスができて、音痴。何もかも完璧に見えたユミさんの唯一の弱点が、歌だったなんて。どうりでカラオケを敬遠するわけだ。だが、それが良い。下を向いたままモジモジしているユミさん。かわいい、超かわいい。これはときめいた。ときめきメモリアルだ。
閉会の挨拶が終わり、各々が挨拶を交わした。私は、ユミさんの姿を探した。すると、すでに帰り支度を済ませて出口に向かっていた。「ではお先に失礼します。ありがとうございました」ペコリと頭を下げると、ユミさんはすぐにホテルを出て行った。最後に話掛けようと思っていた私は、寂しい気分でそれを見送った。
ホテル前から1時間ほどバスに乗り、空港に着いた。自分へのお土産を買い、飛行機に乗り込む。通路側でシートベルトをはめていると、「あ、どうも」と声がした。顔を上げると、ユミさんが立っていた。ペコリと会釈して通り過ぎて行き、5列ほど斜め後ろに座った。ユミさんのことはさほど知らない。ただ、この2泊3日の一期一会で最も私の心に残ったことは間違いない。ありがとう、ユミさん。いつかまたどこかで。私は、前を向いて両手を組みそっと目を閉じた。だって、飛行機が怖いから。とりあえず無事東京について欲しい。そう願っているうちに、眠りに誘われた。
「ガガガガガガッ」
どれぐらい時間が経っていたのだろう。大きな音と振動に激しく体を揺さぶられ、目が覚めた。アナウンスが、羽田空港に到着したことを告げている。どうやら無事に到着したようだ。そのとき、私は稲妻に撃たれたようにこう思った。
ユミさんが、好きだ。
絶対、また会いたい。そうだ、飛行機から降りたら、飲みに誘おう。決めた、決めた、今決めた。もしかして、これが「吊り橋効果」というやつかもしれない。飛行機への恐怖心のドキドキが、ユミさんへのドキドキに変わったのだろうか。最高潮に高鳴る鼓動。ふるえるぞハート、燃えつきるほどヒート。私は、席を立ち荷物を下ろし先に進みながら、後ろから歩いてくるであろうユミさんと会うために、徐々に歩幅を狭めてゆっくりと歩いた。
ふと後ろを振り向くと、いない。さらに数歩進んで振り向くと、まだいない。ほんの5列しか離れていないはずなのに。何をやっているのだろう。トイレにでも行っているのだろうか。到着口まで近づいてくると、一本道の通路から徐々に通路が枝分かれしていく。このままいくと、行動範囲が広がって離れ離れになってしまう。歩くのを止めて、待っていればいい。だが、それができない見栄っ張りな私。牛歩戦術で、少しずつ少しずつ歩いて行く。
目の前には人が溢れ、通路が広がって行く。ダメだダメだ。歩くのを止めて来た道を戻らなければ、ダメだ。でも、できない。広い通路に差し掛かった私は、動く歩道に乗ってしまった。ここまで来たら、もう逢えないかもしれない。なんて、勇気がないんだ。10代の頃、甲本ヒロトが歌っていた。 “僕やっぱりゆうきが足りない「I LOVE YOU 」が言えない”(THE BLUE HEARTS「少年の詩」)。アラフィフにもなって、女性1人に声も掛けられないとは。何十年経っても何もできない。情けなくて涙が出てくる。私は、ベルトコンベアーに乗った最終回の矢吹ジョーのようにうなだれながら、自動的に運ばれて行く。
「アセさ~ん、おつかれさまでした」
顔を上げて横を見ると、ユミさんが、いた。動く歩道の横を、キャリーケースを引きながらスタスタと自力で歩いて行く。
「じゃあ、また」
手を振り去って行こうとするユミさん。私は、動く歩道を降りて駆け寄った。驚いたような顔でこちらを見るユミさん。並んで歩きながら、お互いにお礼を言い合う私たち。雑談しながら京急線に乗ると並んで座ると、2泊3日の取材旅を振り返りながら、あれこれ話した。気楽な温泉旅のつもりだったこと、過密プログラムにイラついていたこと、食事が美味しくなかったこと。部屋でWi-Fiが繋がらず仕事がままならなかったこと。そもそも、集団行動が苦手でフリーランスとして働いていることなど。私は話しながらこう思った。
なんて、気が合うんだ。
意気投合したとはこのことか。夢中で話しているうちに、いつの間にか私が乗り換えをする駅に近づいてきた。私は勇気を振り絞り、日を改めて飲みに行きませんか、と切り出した。
「是非、是非! 飲みに行きましょう」
ユミさんはそう言うと、楽しそうに笑った。やっぱり、かわいい。全盛期の卓球少女愛ちゃんのようだ。いや、タイプは全く違う。というか今はそんなことどうでもいい。互いのスマホを重ね合い、LINEを交換する私たち。駅に着き、先に降りた私に車内から手を振るユミさん。電車がホームを出ると、私はすぐに挨拶がてらLINEでお礼のメッセージと共に、飲みのスケジュールを後日お伺いすることを伝えた。すると、すぐに返事が来た。
「よろしくです」
スタンプのひと言コメント、「よろしくです」。イカす。イカすバンド天国だ。私は、スキップしながら階段を昇った。この胸のときめき。この高鳴りをなんと呼ぶ。私は超久しぶりに、好きな人ができた。
アセロラ4000『嬢と私』夢を見ていたらおじさんになっていた〜はほぼ毎週木曜日更新です。
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月に一度のキャバクラ通いを糧に日々を送る派遣社員。嬢とのLINE、同伴についてTwitterに綴ることを無上の喜びとしている。未婚。
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