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【シーズン2】中央線人間交差点 Vol.7──今以上に“流行り”が存在していた90年代ライヴシーン

StoryWriter

現在、ライヴハウス・シーンやフェス等で注目を集めているバンドたちが、どのような状況や、街から生まれてきたのかを、2000年前後の中央線沿線のライヴハウス・シーンと街の空気から検証していく連載「中央線人間交差点」。

シーズン1では、新宿Antiknockでブッキングを担当してきた印藤勢と、東京のライヴシーンを90年代より体験してきた手島将彦の2人の対談から、その歴史を浮かび上がらせました。

そしてシーズン2では、四谷のライヴハウス、アウトブレイク店長の佐藤boone学を迎え、手島将彦と印藤勢とともに90年代後半から現在に至るまでのライヴハウスを巡る環境、そこに渦巻く人間模様を検証していきたいと思います。

そこで起こっていたリアルな歴史を追体験することで見えてくるのもがあるはず!

手島将彦(てしま・まさひこ)
ミュージシャンとしてデビュー後、音楽系専門学校で新人開発を担当。2000年代には年間100本以上のライヴを観て、自らマンスリー・ライヴ・ベントを主催し、数々のアーティストを育成・輩出する。また、2016年には『なぜアーティストは生きづらいのか~個性的すぎる才能の活かし方』(リットーミュージック)を精神科医の本田秀夫氏と共著で出版。アマゾンの音楽一般分野で1位を獲得するなど、大きな反響を得る。
https://teshimamasahiko.co
印藤勢(いんどう・せい)
1978年生まれ。インディーズシーンで伝説のバンド「マシリト」(2009年活動休止。2017年再開)の中心人物にして、長年ライヴハウス「新宿Antiknock」でブッキングを担当してきた、新宿・中央線界隈のライヴハウス・シーンではかなり長命な人物である。最近は独立してミュージシャン向けの無料相談等も行なっている。9sari groupが経営するカフェで、猫&キッチン担当。Twitterアカウント @SEIWITH

連載第7回:今以上に“流行り”が存在していた90年代ライヴシーン

佐藤boone学(さとう・ぶーん・まなぶ)


ライヴハウス界の変化球「四谷アウトブレイク」店長。トイレのクラウドファンディング、早朝ギグ、自家発電などユーモアあふれる話題をライヴハウスに振りまき続けている。
インタヴュー(OTOTOY)
トイレの葬式、耳栓販売、献血・・・皆に愛される無茶苦茶なライブハウス【四谷アウトブレイク】(NAVERまとめ)
・「今夜四谷の地下室で」(ブログ)

女性ヴォーカルの変遷

──男性バンドはこれまでの話の中で出てきましたが、女性のバンドマンにはどんな変遷があると思いますか?

手島将彦(以下、手島):女性ヴォーカルのバンドとかいろいろ変わってきたような気がします。JUDY AND MARYとか椎名林檎とか、あの辺りがちょうど出てきて、女性ヴォーカルのバンドが一挙に一般的になった。スカコア・ブームの時のSHAKALABBITSもそうだけど、女の子ヴォーカルのスカ・バンドもいくつか出てきましたよね。

印藤勢(以下、印藤):ネコベッドとか。

手島: Yum! Yum! ORANGEとかGOLLBETTYも! 女性ヴォーカルのスカ・バンドがいっぱい出てきて、あの辺りがカルチャーを作った瞬間があって。当時下北でも中央線界隈でも、もちろん渋谷でもいろんなバンドが出ていたかもしれないですね。

印藤:しかも人も結構入っていましたよね。

手島: 短い期間だったかもしれなかったけど、女ヴォーカルのスカコアバンドみたいな、1つのジャンルができていましたよね。でも今はスカってあんまり見なくなった気がしますけどどうですか?

印藤:そうですね。アンダーグラウンドには少し残っていますけどね。

手島:メロディックは脈々とあるけど、いわゆるあの当時流行ったポップなスカコアってあんまり見ないですよね。

印藤:表現方法の一つがジャンルになった感じがあります。大きく分けるとSNAIL RAMPとかもそうですよね。

手島:あれはめっちゃ売れましたよね。

印藤:スカコアっていうスタイルだと、KEMURIとか。

手島:KEMURIはまた一つレジェンド化して。スカの人たちもちょっとパーティー感というか、クラブ感がありますよね。

印藤:わかる。体ぶつけ合って遊ぶっていう明るいミクスチャーとかもそうなんですけど、そういう遊び方が当時はライヴハウスでウケていたのかもしれないですね。

佐藤boone学(以下、佐藤):その中でSHAKALABBITSの影響力は凄まじかったですね。うちがオープンしたての頃、バイトの若い子がまだ19歳とかでシャカラビのタトゥーがどーんと入っていて、「そんなに好きなの!?」ってなったの覚えていますね(笑)。

手島:すごいですね、シャカラビみたいなタトゥーじゃなくて(笑)。

佐藤:ロゴとうさぎのやつ! 「本物だなお前」ってびっくりしましたね。

 

手島:女の子ヴォーカルのバンドって東京ではどう話題になっていたんですか?

印藤:メジャー版がジュディマリ、インディーズ版がシャカラビっていう二台巨頭の後に林檎ちゃん、という感じかな。矢井田瞳とかCoccoとか、ロックサウンドをベーシックにしたともすればオルタナと捉えられなくもない、海外でシェリル・クロウとかさ、アヴリル前のアラニス・モリセットとか。あの辺りも人気で、海外の女版オルタナって感じでしたね。でもL7ほど重くないみたいな。1st、2ndが結構轟音だった林檎ちゃんもそうじゃないですか。ファズでがっちゃんがっちゃんいっているような音を鳴らす女の子が多かった気がしますね。

──当時僕は長野にいて、友達のバンドのライヴのSEがSEAGULL SCREAMING KISS HER KISS HERだったんですけど、シーガルとかはまた違う文脈ですか?

佐藤:シーガルは結構通好みみたいな感じでしたね。文脈の中でも少し後半でしょうか。

手島:通好みになっちゃうんですね。あとSUPER JUNKY MONKEYですね。一部かもしれないけどすごく強いインパクトがありました。

 

印藤:沖縄ブームあったよね。

佐藤:あったあった、メロコアと同じ流れで。あとあれだ、IN-HI。

手島:あれ下手くそだけどかっこいいんですよね。

佐藤:ガーリックとかもそうですけど、ちょっとユーモアのあるメロコア勢があの頃流行っていましたね。

印藤:すごく広い意味でのミクスチャーだよね。smorgasとかもそうじゃないかな?

佐藤:それこそ俺MILK=スモーガスのイメージがありますね。

印藤:めちゃくちゃわかる。

佐藤:全然関係ないんですけど、中高生の頃、友達の中でカヒミ・カリィの歌マネブームが来ましたね。カラオケで飽きると、そのあとはカヒミ・カリィで歌うっていう(笑)。そこを遡るとNOKKOとかにまでいくかもしれないですよね。

印藤:その同列上にいるのはCharaとかね。

佐藤:当時歌マネできるアーティストが多かったですよね。氷室とかもそうですけど。

印藤:あーたしかに。

手島:わりと僕の持論で、歌マネできそうな人が特に女性ヴォーカルは絶対売れるっていう。椎名林檎とかも真似ができるんですよね。ああいう巻き舌な声質とか。

印藤:文法もちょっと影響受けますもんね。

佐藤:女子ヴォーカルだと、BENTEN レーベルがありましたからね。あれ俺の中でガールズ・バンドの全てでしたね。ロリータ18号から始まって。

手島:そっちのカルチャーは脈々とありますよね、アンダーグラウンドかもしれないけど。ロリータ18号はでかかったなあ。

佐藤:ライヴも通っていましたもん好きで。しかも俺、インディーズ・バンドのVHSビデオ買い漁ったのってロリータが初めてなんですよね。海外ツアーとかのVHSとかバンバンリリースされてて。

手島:ロリータ18号的な思想が一部の女子にがすっと刺さったんですよね、生き方として(笑)。

佐藤:わりとグッズもすぐ手に取れたんですよね。結構いろんなところで売ってて。

印藤:それの始祖ってやっぱ少年ナイフなのかな。

 

佐藤:なるのかな。「女の子でもこんなふうにできるんだ」って。

手島:それこそ上品じゃなくてオッケーみたいな感じも含めて。

佐藤:あれは衝撃だったですね。

バンドマン1人ひとりに歴史とドラマがある

印藤:こうやって話して見ると、同じ東京出身でも世田谷・三茶と練馬で同じ部分や違う部分それぞれあったと思うんですけど、どうでした?

佐藤:共通点は多かったですね。俺は10代の頃、98年とか前後かは下北の屋根裏にいた時期があったんですよ。ミッシェル・ブーム、ハイスタ・ブームぐらいのとき。当時はパンクもガレージもメロコアもいたんですけど、俺が見ているのってほんとに狭くて、屋根裏の周りぐらいしか見てなかったんですよね。

印藤:うんうん。

佐藤:だから当時のバンドマン1人ひとりに歴史とドラマがあるなと思いましたね。交わっているところは交わっているんですけど、局地的にみんな交わってきたというか。高円寺の人はずっと高円寺で交わり続けたし、新宿の人は新宿の人たちで交わり続けた。割と今よりそれぞれが孤立していたのかなって思いますね。

印藤:なるほどね。

佐藤:僕は三茶に住んでいたんですけど、三茶のシーンとは交わらなかったし、ずっと下北だったかな。下北でもずっと屋根裏とclub251は交わらないし、出ているバンドも被らないし。だから違う部分は全部当てはまらないし、当てはまる部分は当てはまるんですよね。でもやっぱり今思えば、圧倒的に当時の方が夢がありましたよね。バンドがステップ・アップしていくのがよくわかるというか。

手島:あーわかる。シーズン1でもそういう話あったよね。

佐藤:俺は当時毎月2回とかライヴに出ていたから、その時に一緒に対バンしたバンドが、半年後には2マンとかで満パンにしていたり。それこそ当時、STANCE PUNKSがバンバンギュンギュンに売れていた頃で「えっこないだ対バンしたのにもうとんでもないところにいる!?」「こないだTHE BACK HORNと対バンしたけど、もうとんでもないところにいる!」とか。そのスピード感が今と比べ物にならないくらい。1番今と違うのは、今以上に“流行り”が存在していたことだと思いますね。

シーズン2は今回で終了です。ご愛読ありがとうございました!

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