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【連載】星野文月『プールの底から月を見る』vol.5「I’m here. You are OK.」

StoryWriter

キービジュアル:いとうひでみ

「I’m here. You are OK.」

再上映されている「ドライブ・マイ・カー」を映画館に観に行った。去年の夏頃にも観たので2回目。同じ映画を繰り返し見るってことをほとんどしたことがない。
むかし見て、衝撃を受けた映画は自分のイメージの中で輪郭が固まって、そのままの状態で保存されている。話の筋すら思い出せないものすらある。ただ「テアトル新宿でみた」とか「すごかった」という感じに、その時の衝撃の強さと、それに付随する記憶を覚えているだけだ。

「ドライブ・マイ・カー」の2回目は父親に誘われて観に行った。映画館を出ると雪が吹雪いていた。視界が悪く、自分たちの車をどこに停めたのかわからなくなって、凍えながら車を探した。

帰り道は、高速道路を走らせながら、映画の話(ラストシーンについてどう思ったかなど)や、父が大学生だった頃、ロシア語で演劇をするサークルに所属していた話を聞いたりした。その劇中でロシア語を習得し、ロシア料理を出すレストランでバイトをしていたこと。父も阿佐ヶ谷で暮らしていたこと、中央線に乗って四谷の大学に通っていたことなどを聞いた。

物心ついた時から父はいつも何かを書いていた。わたしたちの住む小さな山あいの町に、小さな劇団を立ち上げて、その公演のための脚本をつくっていたらしい。父は平日の夜や週末は練習のため、ほとんど家にいなかった。だから一緒に遊んでもらった記憶があまりない。そして本番が近づくと、いつもいらいらしていた。父が帰宅すると家の中には緊迫した空気が張り詰めるから、わたしはこの時期がとても嫌だった。だけど、仕事だからなのだったら仕方がない、と我慢していた。大きくなってから、あれは仕事ではなかったことを知った。父は教員だった。

去年の春、父は心を病んで休職することになった。県内で単身赴任をしていたが、実家に戻り、しばらくは部屋の中でじっとしていた。家族によると薬を飲んで、1日のほとんどを眠って過ごしていたらしい。泥のように眠って、目が覚めるとご飯を食べる。それから、また眠った。

1ヶ月くらい経つと、何かに突き動かされるように片付けをはじめた。実家の庭にはガレージがあり、もともとは車庫として利用するつもりで購入したものだったのだが、父の荷物が多すぎてただの物置と化した。そして、そのまま長い間放置されていた。

家族の誰もそこに入らなくなり、普段は話題にすらあがらない。建物の内部は、用途不明の大きな荷物が積み上がって、うっすらと埃が積もっている。そこだけ時間が止まったようだった。

そんなガレージに父は朝から籠り、大きな音を立てながら、何かと戦うみたいに片付けをはじめた。
また1ヶ月くらいが経ち、実家に帰ると父が「ガレージを見てくれ」と言った。シャッターを上に押しあげると、埃と土がまざった絵の具のような匂い。最後にガレージを見た時は、謎のお面や、馬の頭の模型、一度使ったきりで放置されたキャンプ用品などが乱雑に積み重なって、ひとつの大きな生き物のようになっていた。ものたちから放たれる独特の気配と匂いが奇妙な空気をつくっていた。

その大きな生き物はどこかへ消えて、空間が生まれ、ものが収まるべきところへ収まっているように見えた。壁には、父が昔の生徒からもらった寄せ書きや、自分が撮影したと思われる旅の写真、古いレコードや本が飾られていた。父の歴史を辿るような壁。わたしはそれを無言で眺めた。

目の前にある景色との距離について考える。写真の中の父は、若く、仲間に囲まれて軽やかに笑っている。異国の地でテントを張っている姿や、スーツを着て生徒と写っている写真。

隣で萎れた球根みたいに立っている今の父からとても遠くて、時間のことが怖いと思った。

「片付け頑張ったんだね」
「そう、だから見て欲しくて」
「この時はどんなことを考えていたの?」
「もう思い出せないな、楽しかったんだと思う」
そう言って写真の中の自分を見つめる。
「また、演劇がやりたいんだ」
静かな空間のなかで父が言った。

わたしが生まれた時、父は中学校の登山の引率で八ヶ岳の山頂にいた。連絡を受けた父は、ひとり先に下山することを告げて、すごい勢いで山を下ったらしい。
その様子は燃えながら走る馬のようだった、とすっかり大人になった当時の生徒から聞かされた。
あの時、父は何を考えながら走っていたのだろう。隣にいて、今は、何を考えているのだろう。


『プールの底から月を見る』バッグナンバー
Vol.1「水底の日々」
Vol2.「冬の匂い、暗闇で痛みは鳴るから」
Vol.3「あこがれを束ねて燃やす」
Vol4.「金魚の卵が降る朝に」

星野文月(ほしの・ふづき)

1993年長野県生まれ。著書に『私の証明』(百万年書房)、ZINE『Summer end』など。

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