「アセざん! ★〇◆□※でずよ!」
居酒屋「くじら」の店内に、窓ガラスが割れそうなエトウさんのノイジーボイスが響いた。前日がライブだったらしく、いつにもましてガサガサで耳障りの悪い声だ。
私は、新宿にある馴染みのこの店で、月1回ペースでエトウさんと飲んでいた。エトウさんがリーダーとして率いていたデスメタルバンド「ジャンバルジャン・ジャブジャブ・ジャンケン」は、ドイツの大型フェスへの出場権を勝ち取り世界的ブレイクのきっかけを掴んだ。ところが、パスポートを忘れて渡航が遅れたエトウさんが現地に着くと、ステージには「E.T.」を名乗るドイツ人のおじさんをボーカルに据えたジャンバルジャン・ジャブジャブ・ジャンケンがライブを行っており、その後大ブレイク。エトウさんはあっさりお払い箱にされてしまった。それに激怒したエトウさんは、バンド名の権利を巡る裁判を起こした。ちょうど、2年間のことだ。
「おでがづぐったバンド名、やっど〇▽◆じまじだ×★!」
その声と反比例して、エトウさんはご機嫌だった。
「おれのつくったバンド名、やっと取り戻しました、って言ってます」
隣に座った女の子がふんわり綿毛のような声でそう言った。エトウさんが以前から付き合っている、彼女のヨッチャンだ。30歳前半で、保育士をしている。パッと見、「笑っていいとも!」レギュラー時代の佐野量子のようなかわいらしさ。今にも「動物に例えると何ですか?」と言い出しそうだ。
そんな見た目と裏腹にデスメタル、ノイズミュージックが好きで、エトウさんのファンだったらしい。世界で唯一、エトウさんの声にチューニングを合わせられる女性だといえる。こんなかわいい彼女がいるなんて、エトウさんのくせになんて生意気なんだ。私はそんな気持ちを噛み殺しつつ、裁判の勝利を祝いグラスを合わせた。
「まだまだ、ごれがらどんどんやりまずよ、おでは!」
エトウさんはガサガサ声で気勢を上げると、酔ったフラフラの足で立ち上がりトイレへと向かった。現在、エトウさんはバンドから離れ、1人でジャンバルジャン・ジャブジャブ・ジャンケンを名乗り、ライブハウスに出演してフォークギターの弾き語りでデスメタルを歌っていた。正直、それで食べていけるとは思えないが、エトウさんはいまだに実家暮らしをしているため、困っていないようだ。しかも実家は老舗の呉服問屋で、裁判の費用もすべて肩代わりしてくれたらしい。そんなエトウさんがトイレに行っている間、ヨッチャンは意を決したように、私にこう打ち明けた。
「じつは、かおるちゃん、悩んでいるみたいなんです」
かおるちゃん、とは。いったい誰の話をしているのだろうか。
「えっエトウさんの本名知らないんですか。江頭薫」
テーブルの上にボールペンで思いっきり漢字でフルネームを書くヨッチャン。そういう漢字だったのか。というか、エトウさんに下の名前があったとは、しかも、薫。
「かおるちゃん、実家の呉服問屋を継ぐかどうするか、悩んでいるみたいなんです。ご両親も高齢ですし」
そうなのか。あんなに何も考えてなさそうなのに。
「それに…」
と、ヨッチャンが何かを言いかけたとき、地獄の底から唸りを上げるような声がした。見ると、店員さんがトイレからこちらを見て手招きしている。
「お連れさんが、大変です!」
私は、ヨッチャンと顔を見合わせると、一目散に男子トイレへと向かった。そこには、便座にお尻がズッポリとハマり抜けなくなってジタバタしているエトウさんがいた。なんだ、こんなことか。拍子抜けした私は、店員さんにその場を任せると、すぐに席に戻った。心配げなヨッチャンに何事もないことを告げ、話の続きを促す。
「いえ、別に何でもないんです」
モジモジしつつ、カルアミルクと共に言葉を飲み込むヨッチャン。私は、ピンときた。恐らく、ヨッチャンはエトウさんに実家を継いでもらい、そのタイミングで結婚したいのではあるまいか。そのことを、それとなく私に探ってみて欲しいのではないだろうか。いや、余計な推測で事を荒立てるのはよそう。それに、人の心配をしている場合ではないのだ。
「そういえばアセさんに好きな人ができたらしいって、かおるちゃんが言ってましたよ。どんな人なんですか?」
私は、頬を赤らめながら、ユミさんとの出会いについて語った。そして、来週初めて飲みに行く約束をしていることも。ただ、まだ何も知らないため、不安な気持ちがあることも明かした。ヨッチャンはそれを楽しそうに聞きながら、こう言った。
「不安なら、占いに見てもらってもいいかもしれないですよ。何かヒントがあるかも」
なるほど、占いか。たまに「まつたけ占い」は読むものの、結局意味不明なので、あまり興味がなかった。だが事前に一度相性占いをしてもらうのも悪くない。そう考えていると、トイレからドタンバタンガチャッと音がして、お尻がずぶ濡れのエトウさんが戻ってきた。ヨッチャンは、その姿を見て微笑んでいる。頭をかいて照れているエトウさん。なんて、良いカップルなんだ。私が新たな恋をしようとしていることをヨッチャンから聞くと、エトウさんは、私に向かって何やら叫んでいる。だが、まったく聴き取れない。
「まだ始まってもいねえよ!って言ってます」
ヨッチャンが代わりに、そう言った。
★ ★
ユミさんと出会ってから数日後、LINEでやり取りして飲みに行く日を決めた。
ライターとして様々な飲食店を取材していた私だが、日頃取り上げているのは、激安居酒屋や変わったメニューを足すネタ的な店が多く、いざ女性と2人きりで食事をするとなると、それにふさわしいお店をあまり知らなかった。かといって、いきなり知らない店に行き失敗するのも怖い。そこで、以前「らくらく娯楽ニュース」担当編集者・中邑に打ち合わせ名目で連れて行かれた新宿の居酒屋「ダイナマイト」に行くことにした。大衆居酒屋だが洒落たお店で、和食から中華、イタリアンまで料理も豊富で美味く、リーズナブルだった。あまりかしこまらずに話せる店としてはもってこいだ。
ユミさんにお店を予約した旨を連絡すると、「OK」とスタンプだけが返ってきた。結構、そっけない感じ。それはそうだ。お互い大人の男女なのだから、くどくどしたやり取りは必要ない。私は、焦らずいきり過ぎず、約束の日を待った。そして、ユミさんと最後に会ってから2週間ほど経ってから、いよいよその日がやってきた。
女性と2人での、食事。デートと言っても差し支えないかもしれない。キャバクラだったら同伴という名のもとにお店に連行される運命だが、今日は違う。大人同士の、大人のための、大人の食事。すなわち、これはもう、デートじゃないか。純粋なデートなんて、もうしばらくしていない。相変わらず、ひとりぼっちの私。やっと巡ってきたチャンスを前に、愛しさと楽しさと心細さを抱えきれず、約束の時間より2時間も早く現地に着いてしまった。
いくらなんでも早すぎる。時間潰しに、珈琲でも飲もうか。いや、今日は私が食事に誘った立場。絶対に奢らなければならない。そうなると、食事の時間まで1円も使いたくない。どこかに時間をつぶせる場所はないだろうか。しかもタダで。私は、デューク更家風に上半身をひねりつつウォーキングしながら街をうろついた。
見ると、路地裏に「占いの館パピ」という占いの店があった。私は、エトウさんの彼女・ヨッチャンから占いを勧められていたことを思い出し、吸い寄せられるように店のドアを開けた。
「どうも、いらっしゃい」。“東日本の母”なるニックネームの、小森のおばちゃまによく似た年配の女性占い師が顔を出した。私は、自分の名前とユミさんの名前を紙に書いて、相性を占ってもらった。先走るにもほどがある、と自分でも思う。だが、これまで散々女性に振り回されてきた私にとって、少しでも上手に接するためのヒントが得られればそれに越したことがない。姓名判断、タロットカード、四柱推命etc…あらゆる手段を使って占うおばちゃま。曰く、私たちの相性は85点だというではないか。私は天にも昇る気持ちになり、さらに夢中であれやこれやとおばちゃまに尋ねた。気が付けば、あっという間に1時間が経っていた。お会計は、1万円。
バカ、バカバカ、私のバカ。1万円あれば、しゃぶしゃぶ温野菜の黒毛和牛コース飲み放題付き2人前だって楽しめたのに。だが、後悔先に立たず。それに、有意義な占いだった。
「あなた、来年結婚するわね」
そう、私の結婚が予言されたのだから。ただし、現時点での懸念がある。そんな私の心を見透かしたかのように、おばちゃまは自信満々の表情で言った。
「彼氏は、いないね」。
唯一の不安材料が、本人に聞く前にあっさり払拭された。
「彼氏はいない」という、そのエビデンスは不明。だって占いだから。いずれにしても、そうであれば、こちらのもの。その上で食事の約束をしてくれたのならば、やっぱりこれはもうデートではないか。私は、自信を漲らせながら、意気揚々と予約した店の前に向かった。時刻は17時55分。MajiでKoiする5分前。彼女は、きっと私を待っているに違いない。そのとき、スマホがブルルッと震えた。
「すみませんー電車に乗り損ねました。10分遅れます。ごめんなさい」
ユミさんからのLINEメッセージ。すぐさま了解した旨を返す私。遅刻宣言、10分。まあいい。こんなことには慣れっこだ。なぜなら、時間という概念がまったくない(※)キャバクラ嬢というジャンルの女性たちと接してきたのだから(※アセロラ4000調べ)。
私は、先に店に入り、予約していることを伝えると左端の1席を空けてカウンターに腰掛けた。すると、すかさず男性店員がドリンクのオーダーを取りに来た。はて、どうしたものか。もちろん、喉は乾いている。だが、今日は初めてのデート。やっぱり、ファーストドリンクは彼女と乾杯したい。いや、彼女と言っても付き合っているとかそういう意味で言ったわけじゃない。これからそういう関係になる可能性はあるものの、あくまでも今日は紳士的なふるまいを心がけなければ。そうなると、やはりドリンクは到着を待ってからにしようかしら。私は頭の中で逡巡した。
気づくと、目の前の店員さんがイラついた様子で貧乏ゆすりをしている。しまった、いつの間にか自分の世界に入ってしまった。私は慌ててドリンクは連れが到着してからオーダーする旨を丁寧に伝え、おしぼりでゴシゴシと顔面ウォッシュしながら、ユミさんの到着を待った。
アセロラ4000『嬢と私』夢を見ていたらおじさんになっていた〜はほぼ毎週木曜日更新です。
次回更新をお楽しみにお待ちください。
月に一度のキャバクラ通いを糧に日々を送る派遣社員。嬢とのLINE、同伴についてTwitterに綴ることを無上の喜びとしている。未婚。
https://twitter.com/ace_ace_4000