「みなさん、長い間お世話になりました!」
花束を抱え、集まった10数人を前に挨拶する女性。
ここは東京・新宿の居酒屋。
私が派遣社員として勤務するコールセンターの女性上司・川野マネージャーが会社を退職することになり、送別会が催されたのだ。
退職理由は、結婚。
「わたし、幸せになります!」
結婚発表をして卒業するアイドルのように、高らかに宣言する川野マネージャー。幸せ全開で、満面の笑みを振りまいている。
綺麗に後ろに束ねた髪、つぶらな瞳。艶やかな肌、そして美尻。
もちろん、直接お尻を見たことは、ない。
ないのだが、私はこの5年間、川野マネージャーの下、仕事をしてきた。そう、彼女の背中を、そしてお尻を見ながら成長してきたのだ。
そして、何を隠そう、私は川野マネージャーに恋をしていた。
寿退社が発覚してから気が付いた、自分自身の心。にもかかわらず、これまでつれない態度で彼女を困らせてきた私。
きっと、そんな私との先の見えない関係に疲れたのだろう。お見合いをして、好きでもない男と結婚の道を選んだに違いない。
バカ、バカ、私のバカ。今なら、まだ間に合うかもしれない。
私は、いったんトイレに立ち、戻ってきたら、「101回目のプロポーズ」の武田鉄矢ばりに彼女の前に立ちふさがり、愛を伝えようと決めた。
「いやあ~、川野さん、めっちゃ綺麗ですよね。なんか、7年前から同棲している彼氏とようやく籍を入れるみたいですよ」
隣で用を足していた、派遣仲間のサカイくんが唐突にそう言った。
愕然とする私。
川野マネージャーには、彼氏が、いた。私のことなど、眼中になかったのかもしれない。
失恋、なう。
「あれ、アセさん元気ないすね? もしかして、川野さんのこと好きだったんすか!?」
店中に聴こえてしまいそうな声を出すサカイくん。なんて、ガサツなやつ。
私は、殺意と残尿感を我慢しながら、サカイくんの言葉を無視して、席に戻った。
彼は私よりひとまわり年下の30歳。派遣社員としては、私より先輩だ。芸人を目指しており、働きながら月に何度かお笑いライブをおこなっている。芸人とは思えない、空気の読めなさ。
席に戻ると、さらに空気の読めない私の1歳上の同僚、エトウさんが何やら川野マネージャーに迫っていた。
「俺、マネージャーのこと、結構好きだったんですよねえ」
ガサガサのしゃがれ声で、川野マネージャーに向かって告白するエトウさん。デスメタルバンドのボーカルをやっており、常に喉を潰しているため、何をしゃべっているのかわかる人はほとんどいない。コールセンターにあるまじき、天龍ボイス。川野マネージャーも、聴こえていないに違いない。いや、聴こえない振りをしているのだろう。
適当な相槌を打つと、私の隣にやってきた。たった今、衝撃の事実を知り心に傷を負った私に、マネージャーは言った。
「アセくんも、早く結婚できるといいね! ね!」
黙って頷く私。
なぜ、そんなことを言うのか。私をフっておきながら。
一人、黒霧島のロックをあおる私。
そんな姿を見かねたのか、サカイくんとエトウさんが私にこう提案した。
「アセさん、せっかく新宿にいるんだし、二次会で歌舞伎町のキャバクラに行きましょうよ」
忘れかけていたワード、「キャバクラ」。
私の生活から、今はまったく遠のいている世界、「キャバクラ」。
今の私は、言うなればキャバクラ初心者。とくに、歌舞伎町のキャバクラなど行ったことがない。
ローカルタウンのキャバクラ経験しかない田舎者の私が歌舞伎町のキャバクラに行くなんて、子ども店長をアメリカ合衆国大統領に任命するようなものだ。怖い。
「大丈夫っすよ。俺、信頼できる無料案内所知ってるんで」
エトウさんが、ガサガサ声で言う。
無料案内所、とは。初めて使うシステムだ。
歌舞伎町の奥深くまで、私とサカイくんを先導していくエトウさん。
しばらく歩くと、カラフルでチャーミングなイラストが描かれた暖簾の向こうに入って行った。
ドキドキしながらも、エトウさんに続く我ら。中に入ると、スーツ姿の若い男性が1人。ニコニコしながら、我々に近づいてきた。
案内所の中は、床にはほとんど何も置かれておらず、壁一面にきらびやかなキャバクラ嬢の顔写真が飾られていた。
見渡す限りの、嬢、嬢、嬢。どの顔も、美しく、輝いている。
「どんなお店をお探しでしょうか?」
歌舞伎町の恐ろしいイメージとは真逆の、紳士的でさわやかな店員さんが、丁寧な接客で、我々の要望を聞いてくる。希望に沿ったキャバクラを紹介して仲介してくれるのが、案内所の役目のようだ。
エトウさんがガサガサ声で全面的に店員と交渉を行い、私とサカイくんは、黙ってそのやりとりを見ていた。
店員が紹介する店と折り合いをつけるべく、次々と条件が提示されていく。
料金コミコミ、60分8千円。キャストは20代、そして巨乳。
しまった。「巨乳」部分だけ、大声を出して加えてしまった。自らの要望をすべりこませようという潜在意識が、つい声に出てしまったのだ。
そんな私に驚き、全員がこちらを振り返る。店員と目が合うと、ムクムクと質問意欲が湧いてくる私。
ダメだ。もう我慢ができない。
私の中で、何かが弾けた。
〜シーズン3 第2回へ続く〜
※「【連載】アセロラ4000「嬢と私」」は毎週水曜日更新予定です。
月に一度のキャバクラ通いを糧に日々を送る派遣社員。嬢とのLINE、同伴についてTwitterに綴ることを無上の喜びとしている。未婚。
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