正直言ったところ、私は貧乏だ。
常に、財布の中にはお金がない。それどころか、消費者金融で借金もしている。一生懸命働いているのにも関わらず、常にお金がないワーキング・プアなのだ。
そんな私の目の前に今、一枚の用紙が置かれている。
お会計 44,778円。
「ごちー」
我に返り顔を上げると、テーブルの向こうに満足げにお腹をさする初代嬢が座っている。
畳んだおしぼり、湯飲みに入ったお茶。デザートのアイス、そして巨乳。
「結構、お腹いっぱいかも。アセちゃん、いる?」
食べかけの溶けたアイスクリームが乗ったガラスの器を、私の目の前に掲げる初代嬢。いつもなら、釣り針にかかったカタクチイワシのごとくすぐに食いつくであろう私。だが今は、とてもそんな気分にはなれない。
私は、朦朧とした頭で、記憶の糸を辿った。
初代嬢とのデート(同伴)のため、予約した新宿の高級寿司店。完全個室で、ソーシャル・ディスタンスにも配慮がなされた清潔で安心な店だ。もちろん、それなりの支出は覚悟していた。ただし、キャバクラ界の大食いチャンピオンにもなれるぐらい奔放な食欲を誇る初代嬢への警戒心から、リーズナブルな9,000円のおまかせ握りコースをオーダーしていた。
リーズナブル、などと赤い彗星シャア・アズナブルのような用語を使ってみたものの、決して安いなどとは思っていない。9,000円といえば、私の日当に該当する。2人前ということは、2日間稼働してようやく得ることができる賃金ということになる。最低18,000円を飲食費で払うということは、初代嬢に対する最大限のリスペクトであり、キャバクラ紳士としての矜持なのだ。
18,000円にプラス、飲み物、アラカルトなどを多少頼んだとする。お会計はいってもせいぜい、25,000円程度だろう。それならば、3日間水道水だけで頑張れば、なんとかなるはず。初代嬢の心を繋ぎとめるためには、痛みが伴うのは当然なのだ。
に、しても。
お会計 44,778円。
どうして、こうなった。私は目を瞑り、再度記憶を辿る。
「アセちゃん、うに、追加していい?」
コースの握りをものすごい勢いでペロリとたいらげると、上目遣いで私にお伺いを立てる初代嬢。なんて、謙虚で慎ましい女性なのだろう。もちろん、追加していいに決まってる。
「のどぐろも、食べたいかな」
庶民には手が出ない高級魚・のどぐろ。そんな魚が寿司ネタで食べられるなんて。ここはカッパ寿司でもくら寿司でも、ましてやスシローでもない。なんて、本格的なお寿司屋さんなんだ。
「金目鯛の握りって、食べたことないかも」
私も、ないかも。気が合う嬢と私。揃って金目鯛の握りを初体験する初々しい我ら。そして、寿司をつまみながら、日本酒をグイグイあおる酒豪な初代嬢。獺祭磨き二割三分、越乃寒梅、菊姫。次々と銘酒ラインナップが初代嬢の胃袋に吸い込まれて行く
「うに、ください」
いつのまにか私をスルーして直接店員さんにオーダーしている初代嬢。しかも、再びの、うに。私は、徐々に酔いがさめていく自分にようやく気が付いた。
お会計 44,778円。
バカ、バカバカバカ、私のバカ。
「現金にしますか、それともカードで?」
店員さんが私に問いかける。その答えは、そのどちらでもない。ギブだ。
ただし、初代嬢の手前、簡単にギブアップなどできない。私は、財布とは別に封筒に入れた現金をカバンから密かに取り出した。
もしものとき、お金が足りなくなったとき用に忍ばせていた緊急用の現金。ただし、本当に万が一のときのためだ。ジャイアンツでいえば9回にサンチェをマウンドに送りこんでいるにも関わらずベンチに角盈男を入れているぐらい、万が一の事態に備えていたお金だったのだ。
「アセちゃん、そろそろ、出よ?」
命からがら、支払いを済ませた私を促す初代嬢。私は、フラフラと立ち上がり、店を後にした。
ビルを出ると、靖国通りを挟んだ向かい側、ドン・キホーテ歌舞伎町店の遥か頭上に、黄色い月が昇っていた。
アセロラ4000『嬢と私』コロナ時代編はほぼ毎週木曜日更新です。
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月に一度のキャバクラ通いを糧に日々を送る派遣社員。嬢とのLINE、同伴についてTwitterに綴ることを無上の喜びとしている。未婚。
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