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【連載】星野文月『プールの底から月を見る』vol.7「I remember nothing」

StoryWriter

キービジュアル:いとうひでみ

「I remember nothing」

何も書きたいことがない。ここ最近ずっとそんな気持ちでいる。

自分の中で大きくなる空白を見ることは少し怖いような気がしていたけど、実際に向かい合ってみると、思っていたよりなんでもないことだと気づく。

この4月は何かをした記憶があまりなく、日々が本当に流れていくみたいに過ぎていった。

先日、最寄りのスーパーに行こうと思い自転車を漕いでいると、近くの山が一面桜で覆われてピンクの大きな塊みたいになっていた。自転車を停めて、山の中にそろそろと入ってみると、たくさんの花びらがはらはらと落ちて、桃源郷のような景色が広がっている。鼻炎で頭がいつもよりぼーっとしているせいか、死後の世界にいるような気分になった。

この低い山は古墳だったみたいで、誰かの大きな墓の上にこんなに桜が植えられて、そのことを知っても知らなくてもたくさんの人がそれぞれに登って、嬉しそうに顔を緩めている。

遠くに見える北アルプスにはまだ雪が積もっていて、空のくすんだ青に白い色が映えて綺麗。きれい、と言うときの発音が好きで、きれい、きれい、と何度でも口に出して言いたくなる。

年月が経って、ふとした時に思い出すのは、こんな景色だったりするのかもしれないと、突然思う。脈略もなくよみがえる記憶の中で、自分はいつもひとりでいる。

誰かと一緒に居た思い出でも、相手の姿はぼんやりとして、景色の一部になって溶けてしまう。だから、誰と居ても、どこに行っても、自分はひとりだと思う。
共有したはずの感覚や時間というものは、独りよがりな信仰のようなものなのかもしれない。それは、悲しいことのように聞こえるけど、希望にもなりうることだと私は信じている。

最近は主だった変化やできごとがなく、ただ日々が過ぎていくのを眺めている。それは、大きな時間の単位で振り返ると「何もなかった」ことになるのだろう。

その「何もない」の中には、映画を見て感動したことや、友だちに悩みを打ち明けたらけらけらと笑い飛ばされて案外救われたこと、急にiPhoneの画面が割れたことなど、いろいろなものが集約されている。こうして書かなかったら思い出せなかったような、取るに足らないことばかり。

数年前、『私の証明』という本を書いたときは、あらゆることが記憶から零れて消えてゆくということが残酷に思えて、その当たり前とされている事実に自分が潰されるような思いがした。
生きることが苦しく、どうせすべてが忘れられてしまうのならば、と、抵抗として日々の詳細を記録した。それが自分が生きていることの証になると考えていた。

あの頃切実に思った、「記録なんて付けなくても普通に暮らせるような平穏さが欲しい」という気持ちのことを思い出す。

今の自分はあの時に願った夢を手に入れた、ということになるのだろうか。
夢の実現って、もっと大きな達成感のようなものに満ちたものだと思っていたけど、実際はこんな風にいつの間にか手の中にあったものに気づくようなことなのかもしれない。

最近の私はいろいろなことを、すぐに忘れる。
忘れてもいい、と思っている。
覚えておくために、手を握りしめるようなこともしなくなって、もう大丈夫だと思い、それから安心して忘れてしまう。

大きな悲しみや喪失はずっと自分の原動力になっていたけれど、もうそこに縛られる理由もない。ない、と気付いてしまったのだから、もうここには居られないだろう。

「忘れることは、消えてしまうことではないから」
いつだったか誰かにもらった言葉が、ずっと消えずに残っている。

また来年、春が来たらどこで何をしているだろう。
考えてみてもわからないことを考えると、頭がふわふわする。
地面に落ちている花びらを拾って、手のひらにのせた。やわらかい風が頬に当たって、ゆっくり目を閉じる。瞼を開けると、さっきよりも世界がくっきりと見えるような気がした。


『プールの底から月を見る』バッグナンバー
Vol.1「水底の日々」
Vol2.「冬の匂い、暗闇で痛みは鳴るから」
Vol.3「あこがれを束ねて燃やす」
Vol4.「金魚の卵が降る朝に」
Vol5. 「I’m here. You are OK.」
Vol.6 『春の亡霊』

星野文月(ほしの・ふづき)

1993年長野県生まれ。著書に『私の証明』(百万年書房)、ZINE『Summer end』など。

Twitter:https://twitter.com/fuzukidesu1

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