
Text:西澤裕郎
GANG PARADEが、12年間の活動に幕を下ろした。
2026年10月29日、東京・Zepp Hanedaでラストライブが行われてから数日が経つ。彼女たちは10月30日から3日間、最後の特典会〈THE LAST PLAYGROUND〉で遊び人(GANG PARADEファンの総称)たちと最後の対面を果たし、それぞれの次の道を歩き始めることとなった。
この文章は、GANG PARADEのはじまりから終わりまでを運良く見届けることができた筆者なりの、GANG PARADE取材の、最後のあとがき的な文章だ。
1曲ごとに重なる記憶
ラストライブの最中、何度も記憶が引き戻された。
ユメノユアとヤママチミキが手をつないで歌い出した「INVOKE」。加入時期の近いメンバー同士が声を重ねるユニゾンや、顔を見合わせるパート。そのたびに、それぞれの時期の出来事が思い出された。
アイナスターは、StoryWriterで行ったラストソロインタビューで、最後だからと特別に構えるのではなく、いつものライブと同じように、そのときの感情をそのまま届けたいという思いを込めて、ラストライブを「ただ101個目のライブになるだけ」だと話していた。それでも、客席から見ている自分にとっては、1曲ごとに、そのときどきの彼女たちが重なって見えた。歌と思い出が、こんなにも紐づいているのかと思った。

ユアとミキに初めて会ったのは、2015年、前身グループであるPOPのお披露目として行われたBiSHとの200km対抗駅伝だった。WACKはまだはじまったばかりで、スタッフもほとんどいない。記者である自分や、ライブ制作のスタッフまでが、メンバーと一緒にボロボロになりながら走った。POPはBiSHよりも先にゴールしたのに、負けていながらもエンタメ性やドラマを生み出していたBiSHに、話題も目立つ場面も持っていかれた。勝ったはずのPOPのメンバーが流した悔し涙を、いまもよく覚えている。

月ノウサギのデビューライブのことも思い出した。合宿で見た彼女は、優等生といえるくらい真面目に目の前の課題をひとつずつクリアしていった。ただ、まっすぐにやることがそのまま評価されにくい空気が、あの駅伝のPOPと重なって見えて少し心配もしていた。実際、Zeppでのデビューライブをほぼ完璧にこなしたのに、注目は一緒に加入したハルナ・バッ・チーンのおぼつかなさに集まった。それでも月ノは、苦悩しながら、まっすぐやり続けていった。

2024年、13人体制最後のツアーに密着して、写真集を作ったころのことも頭に浮かんだ。ギャンパレ再始動後に新メンバーも加入し、いちばん安定して長く続いた13人体制の時代。各地で見たメンバーたちの楽しそうな様子は、いまも忘れられない。

この12年間、本当にいろんなことがあった。メンバーはそのひとつひとつに、しっかりと向き合ってきた。涙の数も決して少なくなかった。それでも、ラストライブでは満面の笑顔でステージに立っていた。そのことが、何よりだと思えた。

終演後、レポートを書き終えてから、長年GANG PARADEの衣装を手がけてきた外林健太と、朝の4時くらいまで、GANG PARADEのことや、これまでのことを話しながらご飯を食べた。「実感がないね」と言い合いながら、家に帰って眠った。
一歩引いて、最後まで
記者として、できるだけ客観的に、対象に介入しないように。そのスタンスは、ずっと持ってきたつもりだ。けれど、GANG PARADEに関しては、どうしても気持ちが入り込んでしまう。はじまりがあの駅伝で、逆境のなか、まだ若かった自分も、当事者のような気持ちで彼女たちを追いかけていたからだと思う。
実際、GANG PARADEはなかなかうまくいかないグループだった。リーダーのカミヤサキが活動休止処分を受け、100kmを走りきってステージに戻ってきたこともあった。メンバーが相次いで抜け、3人になった時期もあった。そこに、救世主と呼ばれたキャン・GP・マイカが加わる。さらに、BiSの公式ライバルとして誕生しながら、初ライブの翌日に活動休止となったSiSから、ココ・パーティン・ココ、ユイ・ガ・ドクソン、テラシマユウカが加入。前述の月ノ、そしてナルハワールドも加わってメジャーデビューを果たし、ようやく勢いに乗ったと思えば、創始者であるカミヤの脱退、そしてグループの分裂。コロナ禍とも重なった。
2022年の元日、メンバーたちは新聞広告で、サプライズとして再始動を知らされた。その現場に立ち会いながら、なんともこのグループらしいと思った。

スタッフの変遷も様々だった。いろいろな事情で、途中でいなくなってしまったスタッフも少なくない。いつからか、自分は最後まで見届けることを強く意識するようになった。そのために、さらに一歩引いて見るようになっていった。
逆境の物語から、みんなの遊び場へ
一歩引いた場所から見ていると、グループの手触りが変わっていくのがよくわかった。カミヤサキを中心とした規律正しい軍隊のような集団から、エンタメ感のあるパレードへ。ひたむきさはそのままに、楽しむことに重心が移っていった。ラストインタビューでミキは、カミヤサキイズムはいまも残っているけれど、薄くはなったと話していた。コロナ禍を経て、観客の前でライブができることへの渇望や、そこで生まれる人間の熱。そうしたものが、「みんなの遊び場」というあり方を、より強くしていったように思う。
逆境の物語から、みんなの遊び場へ。そのどれもが必要なピースだったのだと思う。初期の逆境を覆してきた精神的な強さと、その時代を体感していないメンバーたちの風通しのよさ。その両方が混ざり合うなかで、ナルハは「着飾らなくていいんだって思えるようになった」と話していた。GANG PARADEは、その絶妙なバランスの上に成り立っていたグループだった。
ただ、その均衡は、いつまでも続くものではなかったのかもしれない。新旧のメンバーをつなぐ存在でもあった月ノは、ラストインタビューで、解散がなくてもこのあたりで辞めていたかもしれないと語っていた。誰か1人が欠けるだけで、そのバランスは少なからず変わっていく。
2025年12月、WACKの”第1章”の終わりが宣言され、GANG PARADEの解散が決まった。誰でもアイドルになれる時代になり、新メンバーを入れるという手法も、かつてほどの効力を持たなくなっているように思う。ある日突然グループがなくなることも珍しくないなかで、ココは、「終わりを迎える準備ができる幸せ」があったと語っていた。この11人でラストツアーをまわり、全国にいる多くの遊び人に惜しまれ、見送られながら解散するという終わり方は、よかったのかもしれない。
終わりに向き合うということ
と、ここまで書いて、どうにもきれいにまとめようとしている自分に気づく。
ラストインタビューで、ココと、終わりに向き合うことについて話した。そのとき、自分はGANG PARADEの解散にちゃんと向き合えていなかった、ということも打ち明けた。向き合えば寂しくてたまらないし、終わってほしくないという欲が出てしまうから。
メンバーたちも、決して平気だったわけではないはずだ。ユアは「本音を言えば怖いし、まだ嫌だって思っちゃう自分がいる」と打ち明け、キャ・ノンは「本当に本当に終わりだっていう気持ちと、別に本当に終わんなくてもいいじゃん!っていう気持ち、どっちもある」と語った。それでも、ドクソンは「今日が最後」という遊び人がいることに気づき、「誰かの最後を、最高にする」と思ってツアーをまわったという。マイカは「寂しいけど、すぐにでも解散ライブをしたいぐらい、解散ライブが楽しみ」と笑った。ずっと「まだ足りない」と言い続けてきたチャンベイビーは、「足りないって思って終わっちゃダメだなとも思うし。だからといって、この先生きていく上で、ちょっと物足りなさも残しておきたい」と話していた。
メンバーも遊び人も、その終わりに真正面から向き合ってきた。それは、痛みを伴うことでもある。そんなメンバーのことも遊び人のことも尊敬している。なにより、「寂しいより楽しいが勝ったツアーだった」と彼女たちがラストインタビューで話していたのは、しっかりと終わりに向き合ってきたからこそなのだと思う。

忘れてしまうその瞬間まで
この文章を書きながらGANG PARADEの曲を聴いていると、やっぱりさみしくなる。そのときどきのメンバーの声。希望やきらめき、未来を夢見ていた声。それがみずみずしく、そのときどきの彼女たちの姿を、鮮明に脳裏に映し出す。
ラストライブの最後のMCで、ヤママチミキは「忘れてしまうその瞬間まで覚えていてください」と言った。いつか、記憶は薄れていってしまうのかもしれない。ここに書き記していることも、いつか自分で思い出せなくなってしまうかもしれない。それでも、笑いだけでなく、涙も悔しさもあった日々を、彼女たちは全力で生きてきた。キラ・メイは、「人生の全部がGANG PARADEだった」と言った。メンバー全員が人生をかけて過ごした日々が、とても愛おしい。自分の記者人生で、ここまでの体験は、この先もうできないだろうなと思う。
彼女たちは、もう次の道を歩き始めている。この文章とともに、自分も新しい一歩を踏み出さないとと思う。自分の人生において、GANG PARADEに出会えたことは、本当に幸せだった。そして、その記録をはじまりから終わりまで記せたことを誇りに思う。











GANG PARADE オフィシャルサイト:https://gangparade.jp/



