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【連載】星野文月『プールの底から月を見る』vol.8「静かな湖」

StoryWriter

キービジュアル:いとうひでみ

「静かな湖」

とある雑誌に、愛をテーマにエッセイを寄稿した。壮大なテーマに、どんな切り口なら原稿を書くことができるだろう、としばらく悩み、やっとのことでどうにか書き上げた。

ここ数日は恋や愛の違いを考察したり、自分の体験を遡りながら「愛とはなんだろう」とずっと考えていた。語源を調べたり、恋愛観の変移について書かれている本を読んで、いろいろと発見があっておもしろかった。
そしてさまざまな時代の“一般的”だと言われる恋愛観に触れるたび、自分の恋愛に対する考え方や性の捉え方が、いかに偏屈で凝り固まったものなのか思い知らされた。

恋愛について、頭で、言葉を使って定義のようなことをしようと追いかけても、するりと交わされ、手の中から逃げていく。まだまだ本当に知らないことや、わからないことばかりだ。大きなわからないものに対峙すると、どこからでも手を付けられることへの途方もない気持ちと、少しの高揚感が胸の中でごちゃごちゃに混ざる。
大人になったら探求心のようなものはどこかへ消えてしまうんじゃないかとずっと不安だったけれど、今のところいくつになっても新しいことを学んだり、知ることが楽しいと感じられる心がある。そのことが私はとても嬉しい。

昨日は、吸い込まれるように長く眠って、昔の夢を見た。かつてずっと一緒に居た人たちが、そこには居て、穏やかに笑い合っているようなやさしい夢だった。

あの頃は、自分の意思とは関係なく、気持ちがジェットコースターみたいにあちこちに走り回って、側に居てくれた人たちを闇雲に傷つけた。そして、そのことで、自分も傷ついた。自分の扱い方がわからず、気持ちを伝える言葉も持っていなかった私は、限界になるといつも本屋に駆け込んでいた。古本の紙の匂いに囲まれていると自然と心が落ち着いた。

そして、たまたま手に取った本の中に、今まさに自分が感じているような体験が綴られているのを見つけて、自分と世界が繋がっているような感覚を得た。
もうどこへも行けないと塞いでしまった自分と世界が、ここで繋がっている。
それは、あの頃の私にとって、唯一救いに思えることだった。
それから、何かを書く、ということをはじめた。
誰に見せるわけでもないけれど、自分の気持ちを言葉に変換して外に出してみるのは、今までに感じたことのない解放があった。そのどちらも、本当にひとりの時にしか得られない時間で、重要な体験だった。
ひとりでいる静けさの中に、自分の本当の気持ちを見つけることができたのだと思う。
何度かそこへアクセスできるようになると、淋しさはもう怖いものではなくなった。

本当にひとりでいることを知っている人だけが獲得できる言葉がある。
そのように思うようになってからは、自分と似た匂いをする人を見つけるのが得意になって、少しずつ、自分の言葉で話せるようになってきた。そして、ようやく自分のことや、世界のことが、本当に少しずつだけど、わかってきたような気がする。

先日、友だちと湖の近くにある小さな宿に泊まった。松本から車で1時間のところにある宿は私が高校時代を過ごした街に、あたらしく出来たところだった。

学校生活にあまり馴染むことができなくて、自分にとっては、あまりいいイメージがない街。どこのお店もシャッターが閉まっていて、街の全体が薄暗く、湖は飽きるほど毎日見てきた。私はいつも何かにいらいらして、怒りながら泣いていた。
娯楽が何も無いところで、電車は1時間に一本しか走っていなかった。放課後になるとひとりで湖に行き、次の電車までの時間を潰した。湖面を見つめながら「本当に何もない」と呟くと、それはなんだか自分のことを言っているみたいで、心がすかすかして胸がぎゅっとなった。

自分たちが泊まった宿は、高台にあって、湖が一望できるロケーションだった。私は散々見てきたはずの湖を美しい、と思った。宿から見える景色を何枚も写真に撮った。あの頃は、自分と同じ目線にあるものしか見えなくて、考えることもできなかった。ずっと閉塞感に苦しんでいたけれど、何かが悪かったわけではなくて、ただ自分に見えている世界の面積が狭かった。

視座を高くすること、苦しくなったら逃げること、そしてまだ見たことがない、知らないたくさんの世界の存在を知ること。
これは、大人になるにつれて学んだ自分を楽にする方法。
今、私は高いところからあの時と同じ景色を全然違った心境で見つめている。

立派になりたいとか、何かを成し遂げなきゃ、とかはもうあまり考えることがなくなって、気楽にたのしく生きていけたらいいな、と思う。
湖も、それを囲っている山も、ずっと同じようにここにあって“ただある”ということに私はこれまでずっと支えられていたのだろう。

10年が経って、何かに運ばれるようにこの場所に戻ってきた。
きっとこれからも世界は広くて、私の世界も広がり続ける。


『プールの底から月を見る』バッグナンバー
Vol.1「水底の日々」
Vol2.「冬の匂い、暗闇で痛みは鳴るから」
Vol.3「あこがれを束ねて燃やす」
Vol4.「金魚の卵が降る朝に」
Vol5. 「I’m here. You are OK.」
Vol.6 『春の亡霊』
Vol.7 「I remember nothing」

星野文月(ほしの・ふづき)

1993年長野県生まれ。著書に『私の証明』(百万年書房)、ZINE『Summer end』など。

Twitter:https://twitter.com/fuzukidesu1

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