アーティストが抱えている、アーティストならではの悩み。メンバーやスタッフに相談するのは気まずかったり、カウンセリングに足を運ぶことができないアーティストも少なくないんじゃないでしょうか? 同じように、アーティストを支えるスタッフや関係者においても、どうやって彼らをサポートしたらいいのかわからないという状況もあるかと思います。
そんなアーティストや彼らに関わる人たちに向けた連載がスタートです。
アーティストたちが抱える「生きづらさ」を探った書籍『なぜアーティストは生きづらいのか? 個性的すぎる才能の活かし方』で、現役精神科医師の本田秀夫とともに創作活動を続けるためにできることを執筆した、産業カウンセラーでもある手島将彦が、カウンセリングについて例をあげながら噛み砕いて説明していきます。
アーティストが抱える悩みが解消される手助けになることを願っています。
■書籍情報
タイトル:なぜアーティストは壊れやすいのか? 音楽業界から学ぶカウンセリング入門
著者名:手島将彦
価格:1,500円(税抜)
発売日:2019年9月20日(金)/B5/並製/224頁
ISBN:978-4-909877-02-4
出版元:SW
自らアーティストとして活動し、マネージャーとしての経験を持ち、音楽学校教師でもある手島が、ミュージシャンたちのエピソードをもとに、カウンセリングやメンタルヘルスに関しての基本を語り、どうしたらアーティストや周りのスタッフが活動しやすい環境を作ることができるかを示す。また、本書に登場するアーティストのプレイリストが聴けるQRコード付きとなっており、楽曲を聴きながら書籍を読み進められるような仕組みとなっている。
Vol.14 発達障害(4)「個性と障害」
このところ3回連続で発達障害について紹介してきましたが、ここで、「障害」と「個性」ということについて少し考えてみたいと思います。
まず、「自閉スペクトラム症」という言葉の「スペクトラム」とはどういう意味でしょうか?
それは「連続体」という意味で、たとえば下の図のように、プリズムなどを使って光を波長の順に並べたものは光のスペクトルです。それぞれの色と色の間には明確な境界線はなく、連続しています。
研究が進む中で、いわゆる「自閉症」の特徴がそれほど強くなく、一見すると違うように見えるけれど、特性として共通したものがある人の存在がしだいに明らかになってきて、その多様なあり方、濃淡をスペクトラム=連続体として捉えるようになったのです。
たとえば上のグラデーションで、仮に右に行くほどなんらかの特性が強く左に行くほど薄いのだとして、それに境目はありません。
つまり、典型的な重度の自閉症の方もいれば、自閉症の特性をわずかにもちながらも社会適応できている人まで広く含めた群で考える、ということです。
■「個性」と「障害」
「なにかの特性を持っていて、それによって日常生活上に支障がないのなら、それは障害ではない」という考え方があります。
なんらかの支障がないのであれば、それは「個性」です。
逆に言えば、なんらかの支障が生じれば、それは「障害」になってしまいます。
『発達障害のわたしのこころの声』(星野あゆみ著・本田秀夫監修/Gakken刊)の「発達障害は個性化か?」という章で、著者の星野あゆみさんは次のように書かれています。
発達障害は「個性のうち」だろうか。私は、それは違うと思う。個性というとプラスのイメージがあるが、障害と言われるからには、それだけの不便さがあるのだ。障害はその人の性格に影響を与えるかもしれないけれど、障害そのものは個性ではない。それに「個性なのだからそれでいい」と言ってしまっては、実際に生じる問題に対処できる能力も身につかない。
だから、教育・医療・就労などの部分では、障害に対して適切にサポートする制度があってほしいと思うし、困っていることを「個性」という言葉に置き換えることによって「そのままでいい」と言ってしまうのでは助けにならないので、障害は障害として扱うべきだと思う。
ちなみに発達障害であることを打ち明け、相談したなかでベストアンサー(?)だったのは、「私は今のままの星野さんが好きだし、そのままでいいと思いますよ。でも何か困っていることがあったり、配慮して欲しいことがある場合には、遠慮しないで言ってくださいね」である。
「個性」と「障害」の境界線はあいまいで、環境や状況、社会や時代が変われば、それはどちらにもなり得ます。
下の図は「ルビンの高杯」とよばれるものです。
見方によって、高杯に見えたり、向かい合う人に見えたりします。人間は、それぞれを交互に切り替えて認識することはできますが、同時にふたつのものを見ることはできません。そのように、個性も障害も、ついどちらかひとつだけに目を向けてしまいがちですが、どちらも存在するのです。
また、最近ではテニスの大坂なおみさんが日本人なのかアメリカ人なのか、ということが話題になったことがありました。
それに対するご本人の回答は「わたしはわたし」というものでした。
そもそも、個人のあり方を他人が規定するのはおかしなことです。同様に、当事者をぬきにして他人が「あなたのそれは個性だ/障害だ」と決めるのも妙な話だと思います。
イアン・デューリー(1942-2000)というイギリスのアーティストがいます。
彼は7歳のときに小児まひにかかり、左半身が不自由になってしまいます。その後様々な苦難を超えて美術教師になるのですが、自分が本当にやりたい音楽の道を選び、29歳から本格的にバンド活動開始。34歳の1977年シングル『Sex & Drugs & Rock & Roll』が全英チャート2位に、1st.アルバム『New Boots and Panties!!』が全英チャート5位となる大ヒットを飛ばしました。
そんな彼に、1981年、世界障害者年のためにユニセフは歌を依頼します。
彼は当初「障害があっても頑張ろう」というような前向きな歌を書かねばと思ったそうですが「やはり本当の気持ちを歌おう」と決め、「Spasticus Autisticus(スパスティカス・オースティスカス)」という曲を作ります。
スパスティカスとはスパシ(痙攣)とローマ帝国に反乱した奴隷スパルタカスの合成語で、オースティスカスはオーティズム(自閉症)をローマ風にした言葉です。
つまり「障害を持った反逆者」という意味を持つタイトルです。
歌詞は「俺たちは障害者だけど、お前らの言いなりにはならない、お前ら健常者には俺たちの気持ちはわからない!」というような内容でした。
そのため、ユニセフは「これは困る」と却下。さらにBBCでは放送禁止となってしまいました。彼はビッグチャンスを自ら棒に振っても、自分の意思を貫いたのです。
そうした姿勢に対するリスペクトはもちろんですが、もうひとつ大切なことがあるように思います。
それは、「わからない」ということです。『逝きし世の面影』(渡辺京二著・平凡社)という本にこんな一節があります。
ある異文化が観察者にとっていかにユーニークで異質であるかということの自覚なしには、そして、その理解のためには観察者自身のコードを徹底的に脱ぎ棄てることが必要なのだという自覚なしには、異文化に対する理解の端緒はひらけない。しかもその必要の自覚は、自文化のコードを脱ぎ棄てることは不可能だという絶望にまで、観察者を駆りたてることがある。
このくらい「他文化(他人)」を理解するということは難しいということだと思います。
カウンセリングでも「共感」が大切であるということはこれまでにもなんどか取り上げてきました。
しかしそれは、相手と「同感(まったく同じ気持ち)」になれるということではありません。自分の準拠枠を脱ぎ棄てて共感的に理解しても、それはその人の感情そのものではないのです。
そのことを自覚した上で理解しようとする、そうした困難さを含んだ姿勢が大切なのだと僕は思います。
ちなみにこの曲ですが、彼の死後に開催された2012年ロンドン・パラリンピックでは、この曲が障害者演劇集団The Graeae Theatre Companyによってパフォーマンスされました。
こういうチョイスや思い切りも含めてロンドン五輪のときの音楽などの演出は素晴らしかったと思います。
Vol.1 レジリエントな人(回復性の高い)とは?
Vol.2 「俺の話を聞け!」〜『傾聴』が大事
Vol.3 「バンドをやめたい」と言われた!
Vol.4 うつ病と双極性障害
Vol.5 とにかく「休む」! 不安や絶望はクリエイティヴに必須ではない
Vol.6 「人はどこまで環境に左右されず意思決定できる?」
Vol.7「現在」と「事実」を重視、視点を変えてみる
Vol.8「I Love Myself」自己肯定感を持て!
Vol.9 睡眠は大切!不眠の悪循環から抜け出す方法
Vol.10 LGBTについて LGBTと音楽
Vol.11 発達障害(1)自閉スペクトラム症/自閉症スペクトラム障害
Vol.12 発達障害(2)ADHD(注意欠陥・多動性障害)
※「【連載】「アーティストのためのカウンセリング入門」は毎週月曜日更新予定です。
ミュージシャンとしてデビュー後、音楽系専門学校で新人開発を担
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