産業カウンセラーの手島将彦による新連載『こころの本〜生きづらさの正体を探る、産業カウンセラー手島将彦のオススメ本』。
『なぜアーティストは生きづらいのか? 個性的すぎる才能の活かし方』(2016年/リットーミュージック)、『なぜアーティストは壊れやすいのか? 音楽業界から学ぶカウンセリング入門』(2019年/SW)の著者であり、音楽業界を中心にメンタルヘルスの重要性を発信し続けた手島がオススメする本を不定期連載で紹介していきます。
Vol.71『ともに生きるための演劇』
メンタルヘルスや心理学に関して比較的読みやすい本を紹介しているこの連載、71回目は『ともに生きるための演劇』(平田オリザ著・NHK出版)です。これは直接心理学やメンタルヘルスについて書かれた本ではありませんが、前回紹介した『ケアとアートの教室』同様に「アート」と「共生社会」との関係について考えさせられる本です。
本来世界は多様なものですが、今まで以上に多様な価値観が身の回りで認識されるようになり、そのためお互いに「わかりあえないこと」も多々起こり得るようになりました。それを前提として「多様なままでともに生きる世界」を成り立たせるのには何よりも「対話」の力が必要で、その力は演劇を通してこそ確実に学ぶことができる、と著者の平田オリザさんは言います。人間にとって、身振りや言葉によって人に何かを伝えること、演じ分けることは、共同体での生活を円滑にするためのごく自然な発達であり、これが芸術や演劇の萌芽で、異なる価値観を持つ人がその異なる「概念」をどうすり合わせていくのかを突き詰めたのが「哲学」であり、異なる「感性」をすり合わせていくのが「演劇」だとも言います。
「対話の体力」を演劇によっていかにして鍛えていくのか実例を上げながら解説してくれるのですが、その中からひとつ引用して紹介します。
あるとき、小学校6年生の授業で、家庭では話すけれど学校では一言も話さない場面緘黙症の子がいました。その班の子どもたちは、その子に台詞をしゃべらなくていい役を作りました。その子を外国人の転校生の役にして、日本語が話せない設定にしたのです。先生役の子の耳元でその子がコソコソ話すフリをすると、先生が「じゃあ、通訳します」と言ってその子の代わりに話します。うなずいたり、手を振ったりなど、身振り手振りもつけていました。とても自然な設定で、他の班では思いつかないアイデアでした。その子がいたからこそのアレンジです。その子自身もとても嬉しそうにしていました。
ところで、前回のサッカーW杯で大活躍したフランスのエムバペ選手が、かつて演劇や音楽の教育を受けていて、なかでも演劇の経験は人格形成において重要な役割を果たしたという記事(*)が紹介されたことがあります。特にエムバペがデビュー当時からマイクの前できちんと発言できるのは、その経験が大きくモノを言っている、というのです。実は海外では「演劇教育」は一般的に行われているものなのだそうです。ではなぜ日本では一般的ではないのか、ごく簡単に言えば、明治維新後の政府が演劇教育は軍隊の役には立たないと考えたこと、また戦後では、戦前から自由民権運動、左翼運動、労働運動と演劇が密接に結びついていたため、反政府的な印象があり、教育に含めていくことがほとんど検討されなかったのです。この本を読むと、今からでも取り入れてみてはどうだろうか、と思います。
そしてこの本のもう一つの魅力は「演劇」というフィルターを通して、コミュニケーション、言語、インクルーシブ、ダイバーシティ、ユニバーサルデザイン、デモクラシー、など幅広く社会を捉え直すことができるところです。演劇に限らず「アート」は全てそうした力を持っているように思います。とても読みやすく書かれていて分量も多くないので、演劇に関係している人はもちろんですが、演劇に馴染みがない人でもお勧めできる本です。
「こころの本〜生きづらさの正体を探る」のバックナンバーも合わせてチェック!!
Vol.1 『才能のあるヤツはなぜ27歳で死んでしまうのか?』
Vol.2 「発達障害」に関する基礎知識を得るための2冊
Vol.3 『ニューロダイバーシティの教科書』
Vol.4 『ジェンダーと脳〜性別を超える脳の多様性』
Vol.5 『はじめて学ぶLGBT〜基礎からトレンドまで』
Vol.6 『ポップスで精神医学〜大衆音楽を“診る”ための18の断章』
Vol.7『世界一やさしい精神科の本』
Vol.8『居るのはつらいよ〜ケアとセラピーについての覚書』
Vol.9『野の医者は笑う〜心の治療とは何か?』
Vol.10『心理学[第5版]』
Vol.11『情報を正しく選択するための〜認知バイアス事典』
Vol.12『サブカルチャーの心理学』
Vol.13『うつ病と双極性障害に関する2冊』
vol.14『統合失調症がやってきた』
Vol.15『相方は、統合失調症』
Vol.16『疾風怒濤精神分析入門』
Vol.17『すずちゃんののうみそ』
Vol.18『オチツケオチツケこうたオチツケ こうたはADHD』
Vol.19『ありがとう、フォルカー先生』
Vol.20『<叱る依存>がとまらない』
Vol.21 『夜と霧』
Vol.22 『ハブられても生き残るための深層心理学』
Vol.23 『格差は心を壊すー比較という呪縛』
Vol.24 『もっと!〜愛と創造、支配と進歩をもたらすドーパミンの最新脳科学』
Vol.25 『親子で考えるから楽しい! 世界で学ばれている性教育』
Vol.26 『多様性の科学〜画一的で凋落する組織、複数の視点で問題を解決する組織』
Vol.27 『わたし中学生から統合失調症やってます。』
Vol28.『これからの男の子たちへ〜「男らしさ」から自由になるためのレッスン』
Vol.29 『事実はなぜ人の意見を変えられないのかー説得力と影響力の科学』
Vol.30 『あの時も「こうあるべき」がしんどかった〜ジェンダー・家族・恋愛〜』
Vol.31 『もしも「死にたい」と言われたら〜自殺リスクの評価と対応』
Vol.32 『「助けて」が言えない〜SOSを出さない人に支援者は何ができるか』
Vol.33 『第四の生き方―「自分」を生かすアサーティブネス』
Vol34. 『管理される心〜感情が商品になるとき』
Vol35. 『ひとりひとりの個性を大事にする〜にじいろ子育て』
Vol.36 『なぜ人と人は支え合うのか〜「障害」から考える』
Vol.38『当事者・家族のための〜わかりやすいうつ病治療ガイド』
Vol.39 『基礎からはじめる〜職場のメンタルヘルス〜事例で学ぶ考え方と実践ポイント(改訂版)』
Vol.40 『職場で出会うユニーク・パーソン〜発達障害の人たちと働くために』
Vol.41 『3ステップで行動問題を解決するハンドブック〜小・中学校で役立つ応用行動分析学』
Vol.42『精神医学の近現代史』
Vol.43『抑圧された記憶の神話〜偽りの性的虐待の記憶をめぐって〜』
Vol.44『吃音のことがよくわかる本』
Vol.45『こんなとき私はどうしてきたか』
Vol.46『教室マルトリートメント』
Vol.47 『学校の中の発達障害』
Vol.48 『科学から理解するー自閉スペクトラム症の感覚世界』
Vol.49 『ラブという薬』
Vol.50 『なぜアーティストは壊れやすいのか?』
Vol.51 『こころの処方箋』
Vol.52 『ヒトはそれを「発達障害」と名づけました』
Vol.53 『グループ・ダイナミクス〜集団と群集の心理学』
Vol.54『HSPの心理学〜科学的根拠から理解する「繊細さ」と「生きづらさ」』
Vol.55 『生涯発達のダイナミクス〜知の多様性 生きかたの可塑性』
Vol.56『女の子だから、男の子だからをなくす本』
Vol.57『おとなの自閉スペクトラム〜メンタルヘルスケアガイド』
Vol.58『ハッピークラシー〜「幸せ」願望に支配される日常』
Vol.59『情報を正しく選択するためのー認知バイアス事典 行動経済学・統計学・情報学編』
Vol.60『精神疾患をもつ人への関わり方に迷ったら開く本』
Vol.61『「自傷的自己愛」の精神分析』
Vol.62『トランスジェンダー問題〜議論は正義のために』
Vol.63『改訂新版―カウンセリングで何ができるか』
Vol.64『家族心理学〜家族システムの発達と臨床的援助』
Vol.65『10代からのメンタルケア「みんなと違う」自分を大切にする方法』
Vol.66『喪失学「ロス後」をどう生きるか?』
Vol.67『奇跡のフォントー教科書が読めない子どもを知ってーUDデジタル教科書体開発物語』
Vol.68『レジリエンスの心理学〜社会をよりよく生きるために』
Vol.69『サブカルチャーの心理学2〜「趣味」と「遊び」の心理学研究』
Vol.70『ケアとアートの教室』
ミュージシャンとしてデビュー後、音楽系専門学校で新人開発を担
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