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【連載】こころの本〜生きづらさの正体を探る Vol.76『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』

StoryWriter

産業カウンセラーの手島将彦による新連載『こころの本〜生きづらさの正体を探る、産業カウンセラー手島将彦のオススメ本』。

『なぜアーティストは生きづらいのか? 個性的すぎる才能の活かし方』(2016年/リットーミュージック)、『なぜアーティストは壊れやすいのか? 音楽業界から学ぶカウンセリング入門』(2019年/SW)の著者であり、音楽業界を中心にメンタルヘルスの重要性を発信し続けた手島がオススメする本を不定期連載で紹介していきます。

Vol.76『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』

メンタルヘルスや心理学に関して比較的読みやすい本を紹介しているこの連載、76回目は『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』(帚木蓬生著・朝日選書)です。著者は多くの受賞歴のある小説家ですが、臨床の現場に40年以上携わってきた精神科医でもあります。

「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉は、もとはイギリスの詩人ジョン・キーツが兄弟に宛てて書いた手紙に書かれていた言葉で、「事実や理由をせっかちに求めず、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいられる能力」のことです。本書の冒頭での言葉では「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」のことをさします。キーツがこの言葉を使ってからかなり後になって、精神分析医のウィルフレッド・R・ビオンが精神分析の分野でその力の重要性を提唱しました。

人間は「わからない」という状態は不安になりますので、できるだけ「わかろう」とする、理解したいと思う傾向があります。ただそれが性急に過ぎると間違いにも繋がります。また、「浅い理解」にとどまってしまい、本来大切な「深い理解」に至らなくなってしまうかもしれません。本書では、教育の場もそうなってしまいがちであることを危惧していますが、それは僕自身思い返してみても非常に同感なところです。

また、筆者の精神科医としての臨床の事例が紹介されていますが、そこでは「今はどうしようもない」問題がしばしばクライアントから提示されます。これは僕もカウンセラーとして何度も体験しています。精神科医やカウンセラーでなくても、そうした場面はどんな人でもあるのではないでしょうか。そんな時には正直言って「一緒に悩む」くらいしかできることがなかったりします。このとき「ネガティブ・ケイパビリティ」が重要になってくると言うのですが、個人的な経験としても非常に納得するものでした。そうやって、それ以上傷まないようにケアはしながら「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える」「何とかするのではなく何とかなると考える」ということで、問題が解決していく、ということもあると筆者は言いますが、この点もまさに同感です。

もちろん、明確に問題点がわかっていて、その解決法も見えていて、しかも実行が可能だ、ということであれば、できるだけそのように行動すべきでしょうし、単に考えることを放棄してすぐに「わからない」と放り出してしまうことは避けなければならないでしょうが、その一方で「わからない」ということ自体を大切にする、ということも大事なのでしょう。それは創作活動や、何らかの創作された表現を受容するときにも言えることだと思います。わからないことをわからないまま受容することによって発見できること、というものは確かにあります。本書は小説家ならではの芸術論・文学論も読みどころで、皆がよりよく生きていくため、そして創作にも良い影響を及ぼすようなヒントの詰まった本です。


「こころの本〜生きづらさの正体を探る」のバックナンバーも合わせてチェック!!

Vol.1 『才能のあるヤツはなぜ27歳で死んでしまうのか?』
Vol.2 「発達障害」に関する基礎知識を得るための2冊
Vol.3 『ニューロダイバーシティの教科書』
Vol.4 『ジェンダーと脳〜性別を超える脳の多様性』
Vol.5 『はじめて学ぶLGBT〜基礎からトレンドまで』
Vol.6 『ポップスで精神医学〜大衆音楽を“診る”ための18の断章』
Vol.7『世界一やさしい精神科の本』
Vol.8『居るのはつらいよ〜ケアとセラピーについての覚書』
Vol.9『野の医者は笑う〜心の治療とは何か?』
Vol.10『心理学[第5版]』
Vol.11『情報を正しく選択するための〜認知バイアス事典』
Vol.12『サブカルチャーの心理学』
Vol.13『うつ病と双極性障害に関する2冊』
vol.14『統合失調症がやってきた』
Vol.15『相方は、統合失調症』
Vol.16『疾風怒濤精神分析入門』
Vol.17『すずちゃんののうみそ』
Vol.18『オチツケオチツケこうたオチツケ こうたはADHD』
Vol.19『ありがとう、フォルカー先生』
Vol.20『<叱る依存>がとまらない』
Vol.21 『夜と霧』
Vol.22 『ハブられても生き残るための深層心理学』
Vol.23 『格差は心を壊すー比較という呪縛』
Vol.24 『もっと!〜愛と創造、支配と進歩をもたらすドーパミンの最新脳科学』
Vol.25 『親子で考えるから楽しい! 世界で学ばれている性教育』
Vol.26 『多様性の科学〜画一的で凋落する組織、複数の視点で問題を解決する組織』
Vol.27 『わたし中学生から統合失調症やってます。』
Vol28.『これからの男の子たちへ〜「男らしさ」から自由になるためのレッスン』
Vol.29 『事実はなぜ人の意見を変えられないのかー説得力と影響力の科学』
Vol.30 『あの時も「こうあるべき」がしんどかった〜ジェンダー・家族・恋愛〜』
Vol.31 『もしも「死にたい」と言われたら〜自殺リスクの評価と対応』
Vol.32 『「助けて」が言えない〜SOSを出さない人に支援者は何ができるか』
Vol.33 『第四の生き方―「自分」を生かすアサーティブネス』
Vol34. 『管理される心〜感情が商品になるとき』
Vol35. 『ひとりひとりの個性を大事にする〜にじいろ子育て』
Vol.36 『なぜ人と人は支え合うのか〜「障害」から考える』
Vol.38『当事者・家族のための〜わかりやすいうつ病治療ガイド』
Vol.39 『基礎からはじめる〜職場のメンタルヘルス〜事例で学ぶ考え方と実践ポイント(改訂版)』
Vol.40 『職場で出会うユニーク・パーソン〜発達障害の人たちと働くために』
Vol.41 『3ステップで行動問題を解決するハンドブック〜小・中学校で役立つ応用行動分析学』
Vol.42『精神医学の近現代史』
Vol.43『抑圧された記憶の神話〜偽りの性的虐待の記憶をめぐって〜』
Vol.44『吃音のことがよくわかる本』
Vol.45『こんなとき私はどうしてきたか』
Vol.46『教室マルトリートメント』
Vol.47 『学校の中の発達障害』
Vol.48 『科学から理解するー自閉スペクトラム症の感覚世界』
Vol.49 『ラブという薬』
Vol.50 『なぜアーティストは壊れやすいのか?』
Vol.51 『こころの処方箋』
Vol.52 『ヒトはそれを「発達障害」と名づけました』
Vol.53 『グループ・ダイナミクス〜集団と群集の心理学』
Vol.54『HSPの心理学〜科学的根拠から理解する「繊細さ」と「生きづらさ」』
Vol.55 『生涯発達のダイナミクス〜知の多様性 生きかたの可塑性』
Vol.56『女の子だから、男の子だからをなくす本』
Vol.57『おとなの自閉スペクトラム〜メンタルヘルスケアガイド』
Vol.58『ハッピークラシー〜「幸せ」願望に支配される日常』
Vol.59『情報を正しく選択するためのー認知バイアス事典 行動経済学・統計学・情報学編』
Vol.60『精神疾患をもつ人への関わり方に迷ったら開く本』
Vol.61『「自傷的自己愛」の精神分析』
Vol.62『トランスジェンダー問題〜議論は正義のために』
Vol.63『改訂新版―カウンセリングで何ができるか』
Vol.64『家族心理学〜家族システムの発達と臨床的援助』
Vol.65『10代からのメンタルケア「みんなと違う」自分を大切にする方法』
Vol.66『喪失学「ロス後」をどう生きるか?』
Vol.67『奇跡のフォントー教科書が読めない子どもを知ってーUDデジタル教科書体開発物語』
Vol.68『レジリエンスの心理学〜社会をよりよく生きるために』
Vol.69『サブカルチャーの心理学2〜「趣味」と「遊び」の心理学研究』
Vol.70『ケアとアートの教室』
Vol.71『ともに生きるための演劇』
Vol.72『心理学から見た社会〜実証研究の可能性と課題』
Vol.72『ジェンダー・アイデンティティ〜LGBTだけじゃない!わたしの性』
Vol.75『あなたを愛しているつもりで、私はー。娘は発達障害でした』

手島将彦(てしま・まさひこ)
ミュージシャンとしてデビュー後、音楽系専門学校で新人開発を担当。2000年代には年間100本以上のライヴを観て、自らマンスリー・ライヴ・ベントを主催し、数々のアーティストを育成・輩出する。また、2016年には『なぜアーティストは生きづらいのか~個性的すぎる才能の活かし方』(リットーミュージック)を精神科医の本田秀夫氏と共著で出版。アマゾンの音楽一般分野で1位を獲得するなど、大きな反響を得る。保育士資格保持者であり産業カウンセラーでもある。
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