気づけば、最後に実家に帰ってからもうすぐ一年が経とうとしているかも知れません。
ここまで長期間実家に帰らないことは初めてなので、ホームシックが突発的に襲ってきて驚いてしまうことが稀にあります。
実家に住んでいた頃は4人兄弟で毎日どこかでで誰かが親に勉強しろと言われていて、自分も責められているかのようで常に鬱々とした気持ちを抱えていた気もしますが、いざ東京にでてきて一人暮らしを始めてしまうと誰かに口出しをされるという幸せさを羨ましく感じてしまう瞬間もあります。
大人になるにつれて、子どもの頃当たり前だった環境の尊さをしみじみと実感してしまいます。
Vol.148『ハッチング―孵化―』
☆4.0/☆5.0点中
北欧フィンランド。 12歳の少女ティンヤは、完璧で幸せな自身の家族の動画を世界へ発信することに夢中な母親を喜ばすために全てを我慢し自分を抑え、 新体操の大会優勝を目指す日々を送っていた。ある夜、ティンヤは森で奇妙な卵を見つける。 家族に秘密にしながら、その卵を自分のベッドで温めるティンヤ。 やがて卵は大きくなりはじめ、遂には孵化する。
卵から生まれた”それ”は、幸福な家族の仮面を剥ぎ取っていく……。
今年1月下旬にサンダンス映画祭でプレミア上映されるや、その美しくも不穏な世界観で世界を驚愕させ、フランスで開催されるジャンル映画に特化した国際映画祭、ジェラルメ国際ファンタスティカ映画祭でもグランプリを受賞した本作。
主人公の少女ティンヤを演じるのは1200人のオーディションから選ばれたシーリ・ソラリンナ。母親を喜ばせるために本心を抑えこみ、体操の大会優勝を目指して厳しい練習に打ち込む日々を送る、この年代特有の儚さやあやうさを初演技ながらも見事に演じきっています。
母親役にはフィンランドで多くの作品に出演するソフィア・ヘイッキラ。誰もが羨む”幸せな家庭”を作り上げ、自らのブログで発信することに夢中になり、娘を所有物として扱う自己中心的な母親を演じます。
そして、監督を務めるのはこれまで多くの短編作品を世界の映画祭に出品し高い評価を受け、本作で長編デビューとなる新鋭女性監督ハンナ・ベルイホルム。北欧らしさのある洗練された世界観の中で、家族の中に潜む狂気と恐怖を抜群の感性で切り取り、ティンヤの血や涙など心の痛みを吸った卵から生まれた何かが、一見幸福に見えるが空虚に歪んだ関係である家族の仮面をはぎとり、描き出しています。
『ぼくのエリ 200歳の少女』『ボーダー 二つの世界』に次ぐ北欧発の新たな傑作ホラーであり、アリアスター監督によって生み出された太陽に照らされ人々が歌い踊る明るい世界の中でも恐怖を描き出した『ミッドサマー』と同様に、幸せそうな家族が柔らかな光が差し込む中で暮らす完璧すぎる家庭での、負の感情や崩壊の兆しを決して母の撮る動画には映り込ませてはいけない不気味な違和感に支配された、明るさの中の狂気をジワジワと蝕むように予感させていく。
ティンヤの涙や血などの痛みを吸って成長する謎の卵から生まれた “何か”は、母親がせっせと嘘と見栄で固め、父親が家庭に静かに潜む問題に対して干渉せず目を逸らして作り上げた幸せで平穏な家族の仮面をはぎとり、ティンヤが心の奥に秘めた思いを言わずとも理解している”何か”はティンヤの鬱積した思いを取り除き願望を叶えるべく暴力的に周囲を捻じ曲げていきます。
ティンヤがアッリと名付けられた卵から生まれたそれに向ける、ただ懸命に守ってあげようとする愛情と、ティンヤの母親の愛情とは決して呼べない自分の承認欲求を満たすための道具として娘を扱う行動。同じように愛しているつもりでも子の気持ちを踏みにじり息苦しい日々をこっそりと過ごすティンヤの日々の葛藤は測りきれないものであり、ティンヤ→アッリ、母親→ティンヤの対照的なふたつの愛情が明確に映し出されていきます。
完璧にコントロールされきった家庭にはホラー映画の伝統的な闇に溢れ出す邪悪な恐ろしさはなく、パーフェクトに柔らかくラブリーな光の溢れる場所に底知れぬ恐怖を抱かせられ、そんな光の場所に相反するように秘密に存在する醜いモンスターとのギャップのある唯一無二のホラーとなっています。
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